昼休みになると、私は一人、由佳ちゃんが持たせてくれたお弁当を食べる。由佳ちゃんは毎朝六時に起きて、うちのお母さん顔負けの彩り鮮やかなお弁当を作ってくれるのだ。

 レタスに鳥の照り焼き、ピーマンのごま和え、にんじんのきんぴら、ご飯には梅干しと昆布の佃煮。和佳の持ってきていたお弁当も、いつもおいしそうだったけど、あれは和佳と由佳ちゃんが交互に作っていたんだろうか。それともずっと和佳が?

 二学期になってから、私は一度もお弁当を作っていなかった。事故のことで気を遣われているのはわかるけれど、由佳ちゃんにとっては相当な負担になっているはずだ。

 罪悪感のスパイスを差し引いてもおいしいお昼をもそもそ食べていると、秀からメールがきていた。

「今日家の近くで見た猫。超オデブ。猫ってメタボになるのかな?」
 ぶれっぶれの写真付き。たぶん、敢えてくだらない話題。

「昨日のサッカー見た? 後半ロスタイムのフリーキックやばかった。どうやったらあんな曲がんだよ。ワイヤーで引っ張ってんのかと思うワ」
 サッカーの話は結構多い。全然、ついていけない。

「こないだ言ってた映画観たいな。週末は時間ある? 無理はしなくていいけど」
 ときどき誘いもくる。今のところ、全部断っているけれど。

 スマホのデータは復旧されているけど、過去のトークとかメッセージは全部消えてしまったし、着信履歴なんかも残っていないから、これが和佳と秀の本来のペースなのか、私にはわからなかった。

 あんな事故の後だから、こっちも気を遣ってメッセージをくれているのはなんとなくわかるけど。

 顔文字とか絵文字はほとんどない。それはたぶん、和佳が使わないからだ。私もそうしていたように、秀も和佳のペースに合わせているのだろう。

 でも、メッセージの頻度はあまり気を遣っていないみたいだ。和佳はあんまりスマホを見ないし、返事はまちまちだけど、秀は結構ばーっと送ってくる。それは私とやりとりしているときもそうだった。文字も顔文字もばんばん使って、短い文章が一分に一通とか飛んでいって、なんだかチャットみたいになるのだ。

 ついついそのペースで返しそうになるけれど、だめだ、今の私は和佳なんだ。和佳が急に彩り鮮やかなメッセージをガンガン送ってきたら、きっと秀は困惑する。

 私は私の記憶の中の和佳の癖をなぞるようにして、なるべくシンプルで、簡潔な文章を書く。

「猫、かわいい」
「サッカーは観てない」
「ごめん、週末は病院だから」

 送り返してから読み返すのは悪い癖だ。
 もう送ってしまったのに、取り消しはできないのに、ついつい読み返して、ここはこうじゃなかったかな、とか、ああいう言い方は和佳らしくなかったな、とか後悔する。

 しょうがないんだ。学校で、あまりにも一人でいる時間が長くて、休み時間はスマホを触るしかない。メッセージを読み返すくらいしかやることがない。和佳のスマホには驚くほどアプリが入っていなくて、そのまっさらなデスクトップを見ていると、新しいアプリを入れることもなんだか憚られた。

 突然、廊下の方からやや高い声がして、私は顔を上げた。

「こいつまーたこんなの読んでるよ」

 教室の一番右の列に、小さな人の輪ができていた。遠目にも少し目立つ女子の集団は、長谷川さんのグループだ。このクラスで、ちょっと恐れられている、女子バスケットボール部を中心とした女子の派閥。

 囲まれているのは川村さんだった。読んでいた文庫本を取り上げられている。ややかわいらしい表紙のそれはおそらく一般的な文芸ではなく、長谷川さんみたいな子からすると、読んでいるのがイタイと評されそうな代物だった。

「返してよー」

 川村さんは困っているのか困っていないのかよくわからない、のんびりした口調で抵抗している。彼女がそんな雰囲気なのでいまいち目立っていなかったが、確かに悪意を感じた。二学期になってから、何度か見かけた。

 川村さんはしょっちゅう教科書や筆箱を探しているし、たまに上履きを履いていない。彼女自身がどんくさいところがあるのは事実で、それ故に周囲も自己責任と思っている節がある。

 けれど彼女が受けている仕打ちが明らかに嫌がらせであり、要するにいじめであることも、きっとみんな理解している。

 一学期からこうだったのだろう。昨日今日の感じじゃない。先生は知らないのだろうか。
 和佳は、こういうとき、どうするのだろう。

 見て見ぬ振りをするのが和佳らしいのかどうか、私には判断がつかなかった。正義感は強いはずだ。曲がったことは嫌いだ。でも、他人に関わらないところもあった。君子危うきに近寄らず。厄介ごとに首は突っ込まなさそうに見える。

 たぶん、先生には言うだろう。生徒同士が言うより、角が立たないし、効果もある。

 和佳ならそういう合理的な判断をしそうだ。そう思って私も何度か先生に報告はしたけれど、おそらくあの担任はこういう生徒同士のいざこざを、どうこうできるタイプではない。

「返してってばー」

 川村さんが手を伸ばす先で、長谷川さんが中身を嫌らしく音読している。確かに聞いているとちょっとこっぱずかしい内容だった。だけどそれを読むのは川村さんの自由だ。さらし者にされる理由なんて、どこにもない。

 私は口を開きかける。立ち上がりそうになって、けれど浮かせた腰をすぐに下ろす。
 森宮和佳は、そういうタイプじゃない。自制しろ。私は大神伊織じゃない。

 後で先生に言いにいこう。今度こそきちんと対応してもらうよう、強く言うのだ。和佳ならきっと、そうしたはずだから。

 真っ赤になっている川村さんから逃げるように、私は歯を食いしばって目を閉じた。