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 和佳は本当に、クラスで孤立していたようだった。

 二学期になり、おっかなびっくり登校した初日だけでそれは嫌というほどわかった。なにせ、ギプスをつけて登校したというのに、誰もつっこんでこなかったのだ。

 にぎやかな教室の中で、私の周りだけが、まるで別世界のように、がらんとしていた。
 私の世界だけが、色彩を忘れられたみたいに、モノトーンに染まって見えた。二年五組というパズル、まっすぐに輪郭が揃ったピースの中で、私の場所だけ色がついていない。

 あまりにもスマホの通知が鳴らなくて、ちょっとびっくりした。私のスマホはひっきりなしにピコピコ言ってたのに、和佳のスマホを鳴らすのは秀と由佳ちゃんだけだ。

 ちょっと悪いなと思いながらフレンドリストを見たら、数えるほどしか入っていなかった。なんとなく、そうなのかなとは思っていたけど、そうは言っても、二、三人くらいはよく話す子がいるんだと思っていたのに。

 私から話しかければ、何か変わるのかもしれない。だけどそれをすれば、今までの和佳のイメージは瞬く間に崩れてしまうだろう。

 和佳として生きようと思うなら、それはきっといいことじゃない。私はもう、伊織ではないのだ。

 夏の気配がまだ色濃く残る九月。誰とも話すことができないまま、二週間が過ぎようとしていた。いい加減、森宮和佳の名で呼ばれて、反応できるようにはなってきたけれど。

「はい、じゃあここ。森宮さん」

「はい!」

 私は慌てて立ち上がる。「あだっ」ぐきりと右腕が痛んで悲鳴をあげる。
 微妙に視線を感じながら黒板を見て、先生が指差している問題を見た。わけのわからない数式を数秒睨んで、脳みそが白旗をあげる。

「わかりません」

 普段通りに言ったつもりだったけど、途端に教室がざわついた。

 ――モリミヤさんがわからない?
 ――あのモリミヤさんが?
 ――わからないって言った?

「あ」

 そうだ、和佳って勉強できるんだった。とっさに頭が回らなかった。迂闊な自分を悔やむが、もう遅い。

「先生!」

 誰かの手が上がった。

 教室の右の方に座っている、小柄な彼女の名前は、川村さんというのだと最近知った。なんだかぼんやりとして、いつもふらふらとしている、少し変わった女の子だ。

「森宮さん、夏休みに事故に遭って入院してましたし、そのー」

 彼女はたぶん、善意で言ってくれたのだろう。

 私が夏休みに事故に遭ったことは、もうすでに周知の事実だった。始業式で校長が大神伊織の死に触れたので、そのとき一緒に事故に遭ったらしいということは、うっすら噂として流れているのを私も知っている。

「そうか……そうだったな。じゃあ川村、代わりに」

「はい」

 川村さんがぴょこぴょこ頭を揺らして黒板に向かうのをぼんやり眺めながら、私はすとんと椅子に崩れるように座った。
 事故のせい、ということでクラスメイトも納得したらしく、ざわつきはおさまっていた。

 和佳になってから、もう一月以上が経つ。

 先日ギプスが取れて、ようやく体は普通に動かせるようになってきたけれど、自分が森宮和佳だということにはいつまで経っても慣れる気がしない。私と和佳は違う人間だという、ごくごく当たり前のことを、日々思い知らされる。

 川村さんが問題を解き終わると、先生がその解説を始めた。私は黒板を見て、内容をそそくさとノートに書き写した。

 筆跡のように、体に染みついている所作は意識しなくてもできる。だからノートには、今までと変わらない字が続いていく。

 だけど、内容はだめだ。私は相変わらず勉強が苦手だし、和佳のノートのルールがわからない。
 大神伊織だった頃に苦手だった科目は、森宮和佳になっても変わらず苦手のまま、突然勉強ができるようにはなったりしていない。だからノートは、字は同じでも内容はすかすかのはずだった。

 よくわからないけど、今の私は、私の脳と和佳の脳が混ざり合ったような感じなんだと思う。きちんと森宮和佳として生きるには、大神伊織としての自分を殺さなければならない。

 一方で和佳が本来持っていたものを、引き出す必要がある。
 けれどそれは、どんなに意識しても、簡単にできることではないんだ。

 私は、和佳じゃないんだから。