彼女の周囲は空気がぴりっとしていて、氷のようで、気安く近づこうものなら、その絶対零度の眼差しにうっかり湧いた善意も凍りつく。

 中学一年の森宮和佳は、見るからに人を寄せつけなくて、彼女の周囲にはいつも奇妙に空間が空いている。みんなが遠巻きにするせいで、彼女の周囲半径一メートルくらいが無人地帯と化すのだ。

 そんな無人地帯に、踏み込もうとする馬鹿が一人。

「あのー、森宮さん」

 私だった。

「ノートを、見せていただけませんでしょうか」

 簡単に事情を説明するなら、私はノートを取っていなかった。

 私は昨日、学校を風邪で休んだ。
 そのノートは提出義務があり、昨日が提出日だったので、クラスメイトは皆提出済だった。

 ノート提出を課しているのは国語の安田という鬼教師で、まっさらなノートを提出しようものなら膝詰め説教補修コースまっしぐらなのだった。

 おそらくは幸運なことに、昨日学校を休んでいた人がもう一人だけいて、それが森宮和佳だった。

 ぱんっと両手を合わせた私に、彼女は虫でも見るような目を向けた。

「何の?」

 問い返されて、私は口をぱくぱくさせる。

「あー……えっと、コクゴ……」

「ああ」

 森宮さんは冷たい声でうなずくと、机に手を入れて、一冊のノートを取り出した。どうやら貸してくれるつもりがあるらしい。頼んだくせに私は目を丸くする。

「はい」

 差し出されたノートには、達筆で「国語」と書かれていた。反射的に受け取って、私はそれを胸に抱え込んだ。

「ありがと、」

「これっきりにしてくれる? 私、あなたみたいな人にノート貸すの好きじゃない」

 はっきりと言われて、私は再び口をぱくぱくさせた。彼女の目には、確かに拒絶と侮蔑の色があった。かすかな怒りが揺らいでいる。夏の陽炎のように。

 彼女の成績がずば抜けていいことは知っている。そして彼女はきっと、私の成績があまりよろしくないことも知っている。

 自分がしっかり取ったノートを、怠け者が楽々コピーするのは気にくわない。そういうふうに聞こえた。

「……うん。わかった」

 私はうなずいて、そそくさと席に戻った。

 次の数学の授業中、授業そっちのけで森宮さんのノートを開くと、「おぇっ」とよくわからない感嘆の声がこぼれた。

 なんという整った字。文字の大きさがずっと変わらない。まるでロボットが書いたみたいだ。傍線は全部定規で引いている。修正テープを使った形跡もある。国語のノートごときに修正テープを使う神経が、がさつな私にはちょっとわからない。

 書かれている内容も、たぶん黒板丸写しじゃなかった。教科書からの引用とか、彼女自身が付け加えた解釈で、それはもはや新しく一冊の教科書が書き起こされている感覚に近かった。

「はあ……すご」

 ため息をつきながら書き写そうとして、すぐに手が止まった。

 これを丸写しすると、普段の私のノートと違いすぎてすぐばれる。しかし提出期限と言われている昼休みまで時間もない。いちいち私っぽくアレンジを加えていたら間に合わなくなってしまう……。

 私はちらりと右の方を見た。森宮さんが見える。今も真面目にノートを綴り、ときどき黒板を見上げて、真剣な眼差しで先生の話を聞いている。

 あの苦労を、私は丸パクリしようとしているわけだ。

 しばらく考えて、私は手を動かし始めた。安田に怒られるのは嫌だ。だから写すしかない。私は一言一句違わず森宮ノートを書き写して、次のページをめくった。