♪side:翔一

暖かい空気と香ばしいコーヒーの香りが漂っている。店内は混みあっていたけれど、すしずめ状態の列車内とは違って爽やかな雰囲気だった。若者ぶりながら呪文のような長い名前のドリンクを注文し、空いていた端の方の席に座った。

「今日これからどうする予定なん?」
「悪い、全然決めてない」
「決めてないわけないだろ、俺を連れて行きたい場所ってどこだよ」
「あぁ、その事な。どこだったっけな」
「誤魔化すなって。朝あんだけもったいぶったんだからそろそろ教えろよ」
「新宿二丁目のバーみたいな所だよ」
「バー?まだギリ夕方になったくらいの時間だけど、開いてるのか?」
「まだ、かな。十九時開店の店だから」
「あと三時間ちょっとあるじゃねぇか、それまでどうすんだよ」
「どうしようかね」
「どうしようかねって……」
「まぁ別に今日と明日はお互い休みだし、暇人同士仲良くいこうぜ」
「スタバで三時間仲良くいけるとでも?」
「そこは、ほら、持ち前のトーク力で三時間繋いでもらって」
「いつ俺がトーク力を自慢したんだよ。適当なこと言ってないでこれ飲んだらすぐ出ようぜ。全席禁煙だから不便なんだよ」
「まぁ、それは確かにな。喫煙者の肩身も狭くなったもんだよなぁ」
「駅の近くに喫煙所あったよな?とりあえずそこでどうするか決めようぜ。こんだけ若者に囲まれてると蕁麻疹が出そう」
「それその辺の若者が聞いたらキレるぜ」
「こんなギリアラフォーのおっさんに何を言われたところで若者たちは気にしないって」
「偏見がすげぇなぁ。若者たちとなんか揉めた事でもあるのか?」
「いや、別にないけどさ。昔の俺を見てるみたいでなんか嫌なんだよな」
「へぇ、翔一もそんなノスタルジーな事言うんだ」
「いや、別に懐かしんではないからノスタルジーって訳では無いんだけどな」
「じゃあアイロニーか? 」
「そんなもんなのかも知れんな」
「ノスタルジーかアイロニーかって言われたらアイロニーになるのかもな」
「翔一ってそんなポエマーだったっけ」
「うるせぇな、さっさと飲んじまえよ」
「俺はトール頼んでるから多いんだよ。ちょっと待ってろよ」

空になったカップに刺さっているストローをカラカラ回しながら、まだドリンクが半分以上残っている直哉のカップと顔を交互に見る。こぼれるんじゃないかってくらい山盛りにされたホイップクリームと真っ白なフラペチーノが本当に減っていってるように見えない。この寒いのに冷たいドリンクを注文したのは失敗だったかもしれない。暖房のおかげで体表はまぁまぁ暖かいが、胃のあたりが冷やされてしまった気がする。
フラペチーノなんてものを初めて頼んだ。このいかにも写真に映えそうな装飾が自分には合わない気がしたが、かき氷のバニラ味とでも例えればいいのか、とりあえず味は意外にもとても美味しかった。
ショート、トール、グランデとかいう分かりにくすぎるサイズの名前ひとつ取っても、俺がどんどん時代というものに取り残され、置いていかれてしまっている気がする。俺より少し若い直哉がしっかりと時代についていけているのがすごいと思う。雑誌の文通コーナーに載っている「誰か」に手紙を送ってみたり、家の固定電話で遊ぶ約束をして、待ち合わせ場所ではお揃いのものを目印にしたりした。あの時はお揃いの伊勢丹の紙袋を持った人が周りに三人いて困った記憶がある。折りたたみ式の携帯電話が減り、ポケベルのサービスも終了した。少しタバコ臭い劇場で観た『戦場のメリークリスマス』も、昨日の事のように思い出せるのに。俺が生きてきた記憶は確かにここにあって、それを懐かしいと思うのは俺の自由だろう。
目を軽く閉じながら激動の時代に思いを馳せていると、直哉がまた俺の事をからかってきた。

「何たそがれちゃってるの」
「いや、なんか昔のこと思い出してて」
「本当にたそがれてたのかよ」
「お前より少しだけ長く生きてるからな」
「なんだそれ、先輩面かよ」
「ほぼ先輩だろ」
「会社の中だけの話だろ」
「違いねぇ。ってか、本当に早く飲めよ」
「あと生クリームだけだから、すまん」
「腹壊すなよ。家まで介抱はごめんだぞ」

店内に据え付けてあったゴミ箱にカップを捨て、レジ前の若者たちの行列を割りながら店を出る。正直、俺一人だったらもう絶対に入らないタイプの店だったと痛感した。