ここに書いた小説には、実話と呼ぶにはあまりにも多くの嘘がある。人名も地名も、登場人物の経歴も年齢も、ある出来事がいつ起こったのかも、そこに誰が居合わせたのかも、たくさん嘘をついている。

 けれども、もしもこれを読むあなたがわたしと同じ苦しみを経験したことがあるのなら。例えば、学校に行けないとか、友達がいじめに遭ったとか、点数や偏差値に追い詰められているとか、眠れないとか笑えないとか食べられないとか、もしもそんな経験があるなら。
 わたしがどんな嘘をついて、どこに事実を語っているか、きっとわかってしまうと思う。

 自分のほうがもっと苦しい思いをしていると感じる人もいるだろう。わたし自身、わたしは大して不幸なんかじゃなかったと思っている。なのに、普通の生活ができなかった。閉じこもってしまった。病んでしまった。それは弱さだったんだろうか。

 二十歳になって、それから後のことを少しだけ書き添えておく。
 食べたい吐きたいという衝動は、だんだん収まっていった。完全になくなったのは、「竜也」と同じマンションに引っ越して、ほとんど毎日一緒に過ごすようになってからだ。

 二部屋を行き来して、わたしが料理を作って「竜也」と一緒に食べるようになった。そのときから、にがり水の大量摂取や豆乳やヨーグルトといったダイエット食品の鎖から、わたしは解き放たれた。そんなものにこだわっていたら、ちゃんとした料理は作れない。
 自分でもあきれるほど、あっさりしたものだった。まったく、一切、ドカ食いしなくなった。朝ごはん用の食パンを買い置いても、それが視界に入っても、わたしは吐きたいとは思わなかった。睡眠導入剤もやめた。やめることができた。

 「竜也」たち「弓道部」の影響で、わたしも運動を始めた。ジョギングとホットヨガだ。前にも書いたとおり、ちゃんと汗をかく体質になるまで、ずいぶん時間がかかった。速くは走れないし、さほど筋力もないけれど、運動は続けている。
 食べて吐くのが落ち着いて、汗をかけるようになって、そうしたら、いつの間にか肌の状態がよくなっていた。今、昔はニキビがひどかったんだという話をしても、すごく意外だという反応が返ってくる。

 ダイエットはもう、意識していない。体重計は捨てた。数字を気にし始めると苦しいだけだから。ただ、筋トレをして体のラインを引きしめるように、気を付けている。向き合うべきは体重計の数字じゃなくて、鏡の中の正直なフォルムだと思う。

 胃もたれしやすいのは、あのころ胃をいじめすぎた罰だろう。三食きちんと取ってしまったらつらいから、朝昼は軽めで、夜はちゃんと食べる。間食はしない。そういうリズムがわたしには合っている。
 人との付き合いで、たくさん食べないといけない席がある。そういうときは食べる。人前で「わたし、小食なので」と言ってしまうより、一人のときに一食抜いて調整するほうが、わたしが目指すカッコいい人間像に近い。

 過去をやり直すことはできないにしても、絡まった糸をいくらかほぐすことならできる。やり残したこと、やり損ねたことを、わたしはいくつか拾い上げた。

 まず「ひとみ」と会った。「ひとみ」も精神的に追い詰められていて、二十代になってからは迷走したり病院にかかったり、ずっとつらそうだった。今は、理解のある年の離れた旦那さんと一緒に、育児に奮闘している。
 逆にというか、「雅樹」とは連絡を取らなくなった。親同士が友達付き合いをしているから、そっち経由で聞いた話によると、「雅樹」は大きな企業で元気に働いているらしい。結婚して子どももいて家も建てて、充実しているみたいだ。

 約束していた「ミネソタ」に、数年越しに行って、「ケリーとブレット」に再会した。メールで連絡を取り合えるようになって、SNSでもつながれる時代が来て、今でもメッセージを送り合っている。高校時代のかけがえのない夏休みの思い出は、小説に閉じ込めた。

 二十六歳のころにファンタジックな青春小説を出版して、その本を持って「智絵」に会いに行った。髪を染めた「智絵」は、美術系の通信制の専門学校の生徒になっていた。調子のいいときだけは外に出て、安心できる場所に行く。そこまでは、どうにか快復していた。
 本を出したことは、「鹿島先生」も「イチロー先生」も喜んでくれた。本好きの「鹿島先生」には、最近ウェブサイト上のコンテストで結果を出したことも報告した。「鹿島先生」は読んでくださって、はがきで感想を送ってくださった。

 わたしは今も「竜也」と一緒にいる。お互い、好きなものを仕事に選んだ。コミュニケーション能力の高い「竜也」はともかく、相変わらず社会性のないわたしは、何かと苦労しているけれど。