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確率を計算してはみるけれど
所詮は全か無かの法則
絶対値でくくれば等しいベクトルも
ホントは違う方向指してる
授業中の隙を突いて作った短歌だ。五七五七七の中に鬱憤を閉じ込める。誰にも見せるつもりはなかった。見せられるような美しい言葉ではなかった。
下宿先のわたしの部屋は、ベッドとタンスと座卓に座椅子があって、普通の勉強机はない。座卓は、冬にはこたつにできるタイプのものだ。
大叔母は説明した。
「前にこの部屋にいた子が、勉強机より座卓がいいって言ったから、それをそのままにしてるんだよ。勉強机のほうがいいなら、物置にあるけど」
わざわざ模様替えをするのは面倒だったし、わたしは座卓を使うことにした。それで正解だと、すぐに思った。部屋にある座卓は勉強机よりも面積が広いから、各教科の参考書や辞書をズラッと並べられる。いちいち取り出したりしまったりの手間がないのは便利だ。
いつからか、わたしはベッドで横になることがなくなっていた。畳の上、座卓にセットした座椅子を倒して、そのまま寝る。
就寝は日付が変わってから。だいたいは一時か二時。目覚まし代わりのCDプレイヤーをセットした時刻は朝の五時半。
眠りは浅かった。音楽が鳴るより早く、CDプレイヤーがカチッとかすかな音を立てただけで、わたしは目覚めた。ジーッというホワイトノイズを聞きながら起き上がって、一晩ぶんのノルマにしている勉強の続きをする。
響告大の入試は、問題のレベルが高いとか設問の方向性がエキセントリックだとかと有名だ。でも実は、数学を除く大半の問題は、センター試験で出るようなスタンダードな問題を正確に、そして猛スピードでこなせるようになれば、どうにか歯が立つものだ。
だから、わたしはとにかく大量の過去問をどんどん解いていくことにした。まとめ方の工夫とか覚え方の工夫とか、そういう知恵と時間を使って一つのテーマをやるんじゃなくて。ひたすら、物量作戦。
一晩のノルマは、センター試験の過去問か、センター試験を想定した模試の過去問を、国英数の三教科ワンセット。問題を解いて、答え合わせをして、間違ったところの訂正をするところまで。それに加えて、授業の予習復習、補習の課題、人より一科目多いぶんの日本史の勉強。
ゆっくりベッドに横になる余裕があるわけもなかった。人間ってどうして眠くなるんだろうと、どうしようもないことを思いながら、わたしは夜中にうとうとと仮眠を取る。
ノルマを決めたことのほかにもう一つ、自分で設定したルールがある。苦手の数学の課題は誰よりも早くやってのけること。
受験対策の習熟度別授業と、朝と放課後の補習は、課題をすでに解いた状態で出ることが求められている。課題は二週間ぶんとか一ヶ月ぶんとか、まとめて出される。それを誰よりも早く全部解いて、必ず出てくる「わからない問題」を先生に訊きに行く。
数学という教科によって論理的思考がやしなわれるというけれど、わたしはどうやらその思考法が苦手らしい。「わからない問題」の解説を受けると、何がわからないのかがわかるときもあれば、結局どうしてもわからないときがある。
わからないポイントがわかれば、そこを重点的に勉強する。本格的にわからないときには、やるべきことは一つ。模範解答の丸暗記。数字も記号もすべて覚える。ひたすら書き殴って記憶する。
数学に関しては本当に、ものすごく効率の悪い勉強しかできなかった。わたしは結局、微分と積分がわからないままだ。問題を見ても、この場合は微分をするのか、それとも積分をするのかの判断がつかない。ちょっと目も当てられない話だと、受験生にはわかると思う。
それでもセンター試験の点数を上げることができたのは、マーク式という問題形式のおかげだ。答えの形が提示されているから、それが微分した結果なのか積分した結果なのかが推測できる。
要するに、小学校の問題で例えていえば、こういうこと。
169○13=□□□□
(○にあてはまる記号をマークしなさい)
(□にあてはまる数字を1つずつマークしなさい)
答えの桁数が169より多いのだから、○に入るのは、掛け算記号の「×」だとわかる。計算を間違えなければ、□に入る数字も正解できる。
わたしがセンター入試の数学で利用していたのが、この考え方だ。記述式のテストだったら、苦手の数学で八割、九割なんて点数を出せるはずがなかった。
そんなふうに必死で勉強した。居眠りして時間を浪費すると、罪悪感を覚えた。ノルマをこなせなかったときは後悔して、自分にいらだって、手にした筆記用具で腕を傷付けた。
やせたい気持ちも強烈に続いている。こんなに苦労しているのに、どうして、もっと簡単にやつれていかないんだろう?
勉強している間は頭が冴え切っている。ほとんどずっと勉強しているから、頭の中がカーッと発光しているような異様な感覚は、オフになるときがない。
何のためにこんなことをしているんだろう、というのも、もちろん考える。勉強して成績を上げて志望校に合格したとして、何があるっていうんだろう? わたし、別に生きていたくもないはずなのに。
明るい歌なんて書けるはずもなかった。
骨折のカサはコンビニに置き捨てて
泣いているのは空だけじゃない
リセットもできないくすんだ現実で
このままゆっくり死んでいくのか
確率を計算してはみるけれど
所詮は全か無かの法則
絶対値でくくれば等しいベクトルも
ホントは違う方向指してる
授業中の隙を突いて作った短歌だ。五七五七七の中に鬱憤を閉じ込める。誰にも見せるつもりはなかった。見せられるような美しい言葉ではなかった。
下宿先のわたしの部屋は、ベッドとタンスと座卓に座椅子があって、普通の勉強机はない。座卓は、冬にはこたつにできるタイプのものだ。
大叔母は説明した。
「前にこの部屋にいた子が、勉強机より座卓がいいって言ったから、それをそのままにしてるんだよ。勉強机のほうがいいなら、物置にあるけど」
わざわざ模様替えをするのは面倒だったし、わたしは座卓を使うことにした。それで正解だと、すぐに思った。部屋にある座卓は勉強机よりも面積が広いから、各教科の参考書や辞書をズラッと並べられる。いちいち取り出したりしまったりの手間がないのは便利だ。
いつからか、わたしはベッドで横になることがなくなっていた。畳の上、座卓にセットした座椅子を倒して、そのまま寝る。
就寝は日付が変わってから。だいたいは一時か二時。目覚まし代わりのCDプレイヤーをセットした時刻は朝の五時半。
眠りは浅かった。音楽が鳴るより早く、CDプレイヤーがカチッとかすかな音を立てただけで、わたしは目覚めた。ジーッというホワイトノイズを聞きながら起き上がって、一晩ぶんのノルマにしている勉強の続きをする。
響告大の入試は、問題のレベルが高いとか設問の方向性がエキセントリックだとかと有名だ。でも実は、数学を除く大半の問題は、センター試験で出るようなスタンダードな問題を正確に、そして猛スピードでこなせるようになれば、どうにか歯が立つものだ。
だから、わたしはとにかく大量の過去問をどんどん解いていくことにした。まとめ方の工夫とか覚え方の工夫とか、そういう知恵と時間を使って一つのテーマをやるんじゃなくて。ひたすら、物量作戦。
一晩のノルマは、センター試験の過去問か、センター試験を想定した模試の過去問を、国英数の三教科ワンセット。問題を解いて、答え合わせをして、間違ったところの訂正をするところまで。それに加えて、授業の予習復習、補習の課題、人より一科目多いぶんの日本史の勉強。
ゆっくりベッドに横になる余裕があるわけもなかった。人間ってどうして眠くなるんだろうと、どうしようもないことを思いながら、わたしは夜中にうとうとと仮眠を取る。
ノルマを決めたことのほかにもう一つ、自分で設定したルールがある。苦手の数学の課題は誰よりも早くやってのけること。
受験対策の習熟度別授業と、朝と放課後の補習は、課題をすでに解いた状態で出ることが求められている。課題は二週間ぶんとか一ヶ月ぶんとか、まとめて出される。それを誰よりも早く全部解いて、必ず出てくる「わからない問題」を先生に訊きに行く。
数学という教科によって論理的思考がやしなわれるというけれど、わたしはどうやらその思考法が苦手らしい。「わからない問題」の解説を受けると、何がわからないのかがわかるときもあれば、結局どうしてもわからないときがある。
わからないポイントがわかれば、そこを重点的に勉強する。本格的にわからないときには、やるべきことは一つ。模範解答の丸暗記。数字も記号もすべて覚える。ひたすら書き殴って記憶する。
数学に関しては本当に、ものすごく効率の悪い勉強しかできなかった。わたしは結局、微分と積分がわからないままだ。問題を見ても、この場合は微分をするのか、それとも積分をするのかの判断がつかない。ちょっと目も当てられない話だと、受験生にはわかると思う。
それでもセンター試験の点数を上げることができたのは、マーク式という問題形式のおかげだ。答えの形が提示されているから、それが微分した結果なのか積分した結果なのかが推測できる。
要するに、小学校の問題で例えていえば、こういうこと。
169○13=□□□□
(○にあてはまる記号をマークしなさい)
(□にあてはまる数字を1つずつマークしなさい)
答えの桁数が169より多いのだから、○に入るのは、掛け算記号の「×」だとわかる。計算を間違えなければ、□に入る数字も正解できる。
わたしがセンター入試の数学で利用していたのが、この考え方だ。記述式のテストだったら、苦手の数学で八割、九割なんて点数を出せるはずがなかった。
そんなふうに必死で勉強した。居眠りして時間を浪費すると、罪悪感を覚えた。ノルマをこなせなかったときは後悔して、自分にいらだって、手にした筆記用具で腕を傷付けた。
やせたい気持ちも強烈に続いている。こんなに苦労しているのに、どうして、もっと簡単にやつれていかないんだろう?
勉強している間は頭が冴え切っている。ほとんどずっと勉強しているから、頭の中がカーッと発光しているような異様な感覚は、オフになるときがない。
何のためにこんなことをしているんだろう、というのも、もちろん考える。勉強して成績を上げて志望校に合格したとして、何があるっていうんだろう? わたし、別に生きていたくもないはずなのに。
明るい歌なんて書けるはずもなかった。
骨折のカサはコンビニに置き捨てて
泣いているのは空だけじゃない
リセットもできないくすんだ現実で
このままゆっくり死んでいくのか