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 文系特進クラスは基本的に持ち上がりだけれど、何人かの入れ替えがあった。理系から入ってくる人もいたし、逆に理系のクラスに行った人もいた。担任は鹿島先生のままだった。
 新学期が始まってすぐの健康診断。身体測定が好きな人なんていないと思うけれど、わたしはことさらイヤな気分だった。そして、結果は、想像以上にショックなものだった。

 身長が百六十五センチに対して、体重は六十八キロ。
 こんなに太っているなんて、自分で思っていなかった。顔にあまり肉がつかない体質らしくて、測定に当たった養護の先生も体重計の数値を二度見した。それくらい、自分でもまわりとしても、ここまで重いだなんて、予想外の結果だった。

 ショックだったし、恥ずかしかった。こんな太った姿で平然としていたなんて。もともと決してやせ型でないことわかっていた。それにしたって、限度があるだろう。
 わたしは太っている。わたしは醜い。本気でそう思った。やせなければ。食べてはいけない。このままでは、わたしは、自分で自分の存在が許せない。

 食べてきたばかりの朝ごはんは、体のどのあたりにあるんだろう? 重たくて汚いものが体の中にあるかのように、急に感じられた。その日の昼はまったく空腹感がなかった。弁当も半分しか食べなかった。
 だって、これだけ余分なものが体についているのだから、食べる必要なんかないでしょう。わたしは自分自身に、そう皮肉をぶつけた。

 下宿先では、適当な量のお米とおかずが用意してあって、適当に自分でよそって食べる。大叔母と顔を合わせてのテーブルはめったにない。それがわたしにとって好都合だった。
 ダイエットの知識はなかった。揚げ物や肉は太るとか炭水化物は太るとか、正確ではない直感的な判断で、わたしは好き嫌いを始めた。煮物やサラダ、スープ類だけを食べる。もとからそんなに好きではない甘いものは、一切食べなくなった。

 大叔母に頼んで、弁当からお米を抜いてもらった。量も少なくしてもらった。
「本当にこれでいいの?」
 半信半疑の大叔母に、わたしは説明した。
「昼休みも課題があって食べている時間がないんです」
 とっさに口を突いて出たその言葉は、完全な嘘ではなかった。わたしは昼休みも勉強に当てていた。

 響告大学を受験するためには、ほかの国立大を受ける人より難易度が高いだけでなく、勉強すべき科目の数が多い。試験の内容は選択制の問題がなく、すべてが記述式。しかも、問題文の分量も多ければ記述欄も広くて、回答の文章は十分に長くなければならない。

「倒れるまでやらないことよ。あたしも極端なタチだから、あんたのこと言えないけどね」
「平気です。ちょっとくらい無茶しても、全然ぴんぴんしてますから、わたし」
 大叔母の前では、ごまかし笑いの仮面が定番になった。ああ、このニキビだらけの太った顔、どうにかしたい。

 やせなければ。勉強しなければ。
 学校帰り、歩いて下宿まで行けば遅くなる。暗くなってしまうのを大叔母は意外にも心配していたみたいだ。一度、学校まで迎えに行こうかと尋ねられた。
 わたしは断った。明るい道を選んでるから大丈夫だと。本音は、頭の中で英語を転がす時間がほしかったのと、やせるために歩きたかったからだ。

 どうやったらやせるんだろう? 今ならスマホでサクッと検索して、多すぎるほどの情報が簡単に手に入る。
 わたしはそのころ、親との連絡用にケータイを持ってはいたけれど、それは電話とメールをするためのものに過ぎなかった。ケータイでネットができるようになるのは、もうちょっと後のことだ。

 家庭科の教科書で得た知識が、食べ物や栄養のことに関する、わたしの持つ情報のすべてだった。ダイエットの情報は乏しかった。
 揚げ物を食べない。肉を食べない。お米を食べない。パンを食べない。麺類を食べない。

 下宿の風呂場にある体重計に、朝と夕方と夜と、大叔母が眠った後の真夜中と、一日に何度も乗った。食べる量を減らしただけで、体重は素直に落ち始めた。最初の一ヶ月で三キロ近く。体重計の数字が減るのが、わたしの楽しみの一つになった。

 食べること自体を忘れ去ってしまえばいいんだ、とも思った。そうすれば、やせたいという目標は達成できるし、余計な事が消えたぶん勉強もはかどるはずだ。
 食べたくない。食べ物なんかいらない。コーヒーだけあれば十分。わたしは自分に暗示をかけた。野菜とコーヒー。安心して口に入れていいのは、野菜とコーヒーだけ。

 大きな間違いだった。このときちゃんとした知識があれば、わたしは摂食障害に陥らずに済んだはずだ。
 先に結果を書いておきたい。

 揚げ物をはじめ、油のあるものを一切取らなかったから、肌からツヤが消えた。乾燥しがちな敏感肌は、ますますニキビの治りにくいコンディションになった。また、油不足では、わたしはさほどではなかったけれど、腸内がかさついてひどい便秘になる人も多いらしい。

 肉や魚や乳製品を嫌って、タンパク質が不足した。つねに貧血気味のような、何ともいえない具合の悪さがつきまとうようになった。筋肉の量が減って、体がひどく冷えるようになった。

 炭水化物という、生きるのに必要なエネルギー源を取らなかった。それでまともに生きられるはずがなかった。いくつもの心身の不調、生理不順、イライラや焦燥感。わたしはずっと飢餓状態に近くて、まともではなかった。

 高校三年の春に始まった極端な好き嫌いから始まった、体のトラブル。そこから回復するまでに時間がかかった。ザックリ言って十年近く。普通、いちばんキラキラしているはずの「若い女性」の期間、わたしは三十代の今よりもずっと不健康だった。きれいじゃなかった。

 食べられるようになって、体力がついたから運動ができるようになって、運動して自分の体のバランスがわかるようになった。それで初めて、あのころのわたしがどれほどひどい状態だったかがわかった。
 それとも、あのころのわたしは生きることを否定して、あえて不健康でありたかったんだろうか。直感的に、そうあることを選んだんだろうか。

 時たま、本当に時たま、わたしは智絵を思い出した。わたしは受験のために忙しくしている。智絵はどんな進路を選ぶんだろう。美術学校に行きたいと、ずっと前は言っていた。不登校になる前は。あの夢はもう、消えてなくなってしまったんだろうか。
 智絵に会いに行けなくなった自分が不甲斐なくて、押しつぶされそうになるから、わたしは勉強のことばかり考える。チラッとミネソタのことを考えて現実逃避をする。

 進路指導の学年集会がしょっちゅう開かれるようになった。その時間があれば勉強させてほしいのに、田舎の進学校は軍国主義だ。みんなで一致団結して士気を高めよう、なんて。
 わたしは進路指導の先生の話なんてほとんど聞かず、ポケットサイズの参考書を見ていることが多かった。一言だけ、強烈に記憶に残っている。

「この一年間は、人格が変わるほど勉強しなさい!」
 人格、と来たか。やってやろうか。わたしはもともとメチャクチャで壊れがちだけど、こんな嫌いな人格なんて、いっそのこと完全にぶっ壊してみようか。

 大学に合格したいという、具体的でポジティブな目標ではなくて。わたしは、限界まで自分をいじめてやろうと決めた。それだけだ。
 テスト一つごとに成績は上がった。周囲はそれを喜んだけれど、わたしは楽しいとも嬉しいとも一度も感じなかった。
 やせなきゃ。追い込まなきゃ。そんな毎日だった。