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ホームステイをすることになった家は豪邸だった。客間が四つがあるらしい。わたしはケリーの部屋のすぐそば、竜也はブレットの部屋のそばの客間を使わせてもらうことになった。
スーツケースを引っ張って部屋に入ると、きれいにメイキングされたベットの上に、ブルーの包装のプレゼントが置かれていた。「開けてみて」と言われたから、「OK、ありがとう」とつぶやきながら包みを開く。
ブルーのラメがキラキラした表紙で、どっしりとした装丁のノートが現れた。
ケリーが緑色の目を輝かせてわたしに言った。
「あなたはとても勉強家だとイチローから聞いたの。勉強が得意なだけじゃなくてストーリーを書くとも聞いた。そうしたら、プレゼントもう、このノートしかないと思ったのよ。表紙を見ているだけで、ワクワクするストーリーを思い付きそうでしょ」
「ありがとう。すごく嬉しい」
「よかった。それともう一つ、プレゼントがあるの。あたしとブレットであなたのニックネームを考えたのよ」
「ニックネーム?」
「だって、ア・オ・イ、っていう名前、難しいのもの。日本語の名前は難しいわ」
十二歳のケリーの説明はあまりうまいとはいえなかったし、わたしの聞き取りの能力も高くない。蒼という名前が難しい理由を理解するのには、ちょっと時間がかかった。一言でまとめると、英語を話す人にとって母音が連続する単語はとても発音しづらいということだ。
「あなたの名前はここにいる間、サファイアよ。ア・オ・イ、はブルーという意味だと聞いたの。そうなんでしょ?」
「うん」
「青くて美しいものの中で何がいいかなって考えた。空.海、鳥、すみれ、リボン。でも、やっぱりサファイアよ。そして、あなたにこうして会って、サファイアで正解だったと思った」
「ありがとう」
くすぐったくて、恥ずかしくて、嬉しくて。胸の奥がギューッと締め付けられるように感じると、速まった鼓動が喉のあたりにせり上がってくるみたいで、頬や耳が熱くなった。
ケリーはキョロキョロして、わたしの部屋に誰も入ってこないことを確かめた。それから声をひそめて言った。
「サファイア、あなたとあたしだけの約束にしてほしいんだけど、二人でいるときは、あたしのことをダイアモンドって呼んで。あたしはダイアよ」
人の名前を呼ぶというのは、とてもくすぐったいことだ。でも、英語での会話なら、名前を呼び合うのは普通のことだ。思い切って、わたしは言う。
「OK、ダイア。わたしもそう呼ぶ」
「二人だけの秘密よ。ブレットにも言っちゃダメだからね」
「わかった」
夏の間、ミネソタでは日が沈むのがとても遅い。磨かれた窓から外を見るたびに、薄青色の晴れた空が淡く光っていた。
家の中を案内してもらったり、日本からのお土産をケリーたちに渡したり、たまたま家を訪れたご近所さんにあいさつをしたり、スーツケースの中身を生活しやすいように整理したり、そうこうするうち、あっという間に夕食の時間になった。
外が明るいから、夕食だと呼ばれて時計を見て、初めて午後七時だということに気が付いた。そんなに時間が経っているなんて思いもしなかった。
マーガレットの夫であり、ケリーとブレットの父親であるスティーブは、テレビ局の仕事をしているらしい。仕事が立て込んでいるときは、夕食の時間にしか家に帰れないそうだ。わたしと竜也は夕食の席で初めてスティーブとあいさつをした。
アメリカ人の四人家族と、わたしと竜也。広々としたダイニングのテーブルは、六人で囲むにも大きすぎるくらいだった。夕食のメニューはシンプルだ。大皿に盛られたトマトソースのパスタと、オーブンで焼いたチキンと野菜。飲み物はオレンジジュース。
お祈りをした後、それぞれが自分の皿に取り分ける。食べたいときにちょっとずつ取り分ける日本のやり方と違って、最初に一人前を作ってしまう格好だった。
ケリーが張り切ってお手本を見せてくれた。その後、ブレットが。おかげで何となく、取り分けるべき料理の量がわかる。量も、食べる速さも、どのくらいおしゃべりを挟んでいいのかも、一家の様子を注意深く観察して、わたしは真似をする。
マーガレットが少し心配した。
「日本では食事のとき、チョップスティックスを使うのでしょう。口にはナイフとフォークしかないの。食べにくいかしら?」
箸は、英語ではチョップスティックスっていうんだったっけ。そんなこと思いながら、首を縦に振るべきか横に振るべきか悩む。マーガレットの言葉は否定疑問文だった。日本語の感覚でこれに答えると、イエスとノーが逆になってしまう。
わたしは首を縦にも横にも振らず、たどたどしく説明した。
「日本人も、ステーキやヨーロッパの料理を食べるとき、ナイフとフォークを使います。パスタのときは必ずフォークを使います。だから、わたしたち、大丈夫です」
大丈夫というのは、all right。ホームステイの間、何度もその言葉のやり取りがあった。大丈夫かと聞かれて、大丈夫と返す。All right。わたしは大丈夫。
All rightは、日本語の大丈夫よりも前向きで明るいニュアンスのような気がした。わたしの個人的な感覚だろうか。
わたしがサファイアと呼ばれるようになったことについて、竜也が冗談っぽく大げさな膨れっ面で、いじけてみせた。
「蒼さんだけニックネームがあって、ずるいです」
それで、竜也にもニックネームを付けようという話になった。「竜」の字がドラゴンという意味だとわたしが言ったら、じゃあドラゴンに関係する名前にしよう、と。
ブレットはアニメの『ドラゴンボール』が大好きだから、登場人物の名前を付けたがった。竜也もその話に乗っかって、わたしもケリーも『ドラゴンボール』ならだいたいわかるし、ああでもないこうでもないと話が盛り上がった。
話といっても、英文としてパーフェクトな文章なんてなかったと思う。単語がポンポンと飛び交うだけ。
間違いを恐れて頭の中で英作文をしていては、会話に乗り遅れた。思い付いた単語を、とにかく口に出す。そうして、聞いてもらう体勢を引き寄せる。黙り込んじゃダメだ。単語を口にする。そうしたら、ケリーもブレットも、わたしと竜也の下手くそな英語を補ってくれる。
竜也のニックネームは結局、決まらなかった。でも、四人でワイワイと『ドラゴンボール』のキャラクターのことを好きだとか嫌いだとかカッコいいだとか言い合って盛り上がって、わたしは気が付いたら笑っていた。
シャワーを浴びて、就寝。時間が飛ぶように過ぎるなんて、いつ以来だろう? 普段だったら、時間というものは、ねっとりと絡み付きながら重苦しく這っていくばかりなのに。
ホームステイをすることになった家は豪邸だった。客間が四つがあるらしい。わたしはケリーの部屋のすぐそば、竜也はブレットの部屋のそばの客間を使わせてもらうことになった。
スーツケースを引っ張って部屋に入ると、きれいにメイキングされたベットの上に、ブルーの包装のプレゼントが置かれていた。「開けてみて」と言われたから、「OK、ありがとう」とつぶやきながら包みを開く。
ブルーのラメがキラキラした表紙で、どっしりとした装丁のノートが現れた。
ケリーが緑色の目を輝かせてわたしに言った。
「あなたはとても勉強家だとイチローから聞いたの。勉強が得意なだけじゃなくてストーリーを書くとも聞いた。そうしたら、プレゼントもう、このノートしかないと思ったのよ。表紙を見ているだけで、ワクワクするストーリーを思い付きそうでしょ」
「ありがとう。すごく嬉しい」
「よかった。それともう一つ、プレゼントがあるの。あたしとブレットであなたのニックネームを考えたのよ」
「ニックネーム?」
「だって、ア・オ・イ、っていう名前、難しいのもの。日本語の名前は難しいわ」
十二歳のケリーの説明はあまりうまいとはいえなかったし、わたしの聞き取りの能力も高くない。蒼という名前が難しい理由を理解するのには、ちょっと時間がかかった。一言でまとめると、英語を話す人にとって母音が連続する単語はとても発音しづらいということだ。
「あなたの名前はここにいる間、サファイアよ。ア・オ・イ、はブルーという意味だと聞いたの。そうなんでしょ?」
「うん」
「青くて美しいものの中で何がいいかなって考えた。空.海、鳥、すみれ、リボン。でも、やっぱりサファイアよ。そして、あなたにこうして会って、サファイアで正解だったと思った」
「ありがとう」
くすぐったくて、恥ずかしくて、嬉しくて。胸の奥がギューッと締め付けられるように感じると、速まった鼓動が喉のあたりにせり上がってくるみたいで、頬や耳が熱くなった。
ケリーはキョロキョロして、わたしの部屋に誰も入ってこないことを確かめた。それから声をひそめて言った。
「サファイア、あなたとあたしだけの約束にしてほしいんだけど、二人でいるときは、あたしのことをダイアモンドって呼んで。あたしはダイアよ」
人の名前を呼ぶというのは、とてもくすぐったいことだ。でも、英語での会話なら、名前を呼び合うのは普通のことだ。思い切って、わたしは言う。
「OK、ダイア。わたしもそう呼ぶ」
「二人だけの秘密よ。ブレットにも言っちゃダメだからね」
「わかった」
夏の間、ミネソタでは日が沈むのがとても遅い。磨かれた窓から外を見るたびに、薄青色の晴れた空が淡く光っていた。
家の中を案内してもらったり、日本からのお土産をケリーたちに渡したり、たまたま家を訪れたご近所さんにあいさつをしたり、スーツケースの中身を生活しやすいように整理したり、そうこうするうち、あっという間に夕食の時間になった。
外が明るいから、夕食だと呼ばれて時計を見て、初めて午後七時だということに気が付いた。そんなに時間が経っているなんて思いもしなかった。
マーガレットの夫であり、ケリーとブレットの父親であるスティーブは、テレビ局の仕事をしているらしい。仕事が立て込んでいるときは、夕食の時間にしか家に帰れないそうだ。わたしと竜也は夕食の席で初めてスティーブとあいさつをした。
アメリカ人の四人家族と、わたしと竜也。広々としたダイニングのテーブルは、六人で囲むにも大きすぎるくらいだった。夕食のメニューはシンプルだ。大皿に盛られたトマトソースのパスタと、オーブンで焼いたチキンと野菜。飲み物はオレンジジュース。
お祈りをした後、それぞれが自分の皿に取り分ける。食べたいときにちょっとずつ取り分ける日本のやり方と違って、最初に一人前を作ってしまう格好だった。
ケリーが張り切ってお手本を見せてくれた。その後、ブレットが。おかげで何となく、取り分けるべき料理の量がわかる。量も、食べる速さも、どのくらいおしゃべりを挟んでいいのかも、一家の様子を注意深く観察して、わたしは真似をする。
マーガレットが少し心配した。
「日本では食事のとき、チョップスティックスを使うのでしょう。口にはナイフとフォークしかないの。食べにくいかしら?」
箸は、英語ではチョップスティックスっていうんだったっけ。そんなこと思いながら、首を縦に振るべきか横に振るべきか悩む。マーガレットの言葉は否定疑問文だった。日本語の感覚でこれに答えると、イエスとノーが逆になってしまう。
わたしは首を縦にも横にも振らず、たどたどしく説明した。
「日本人も、ステーキやヨーロッパの料理を食べるとき、ナイフとフォークを使います。パスタのときは必ずフォークを使います。だから、わたしたち、大丈夫です」
大丈夫というのは、all right。ホームステイの間、何度もその言葉のやり取りがあった。大丈夫かと聞かれて、大丈夫と返す。All right。わたしは大丈夫。
All rightは、日本語の大丈夫よりも前向きで明るいニュアンスのような気がした。わたしの個人的な感覚だろうか。
わたしがサファイアと呼ばれるようになったことについて、竜也が冗談っぽく大げさな膨れっ面で、いじけてみせた。
「蒼さんだけニックネームがあって、ずるいです」
それで、竜也にもニックネームを付けようという話になった。「竜」の字がドラゴンという意味だとわたしが言ったら、じゃあドラゴンに関係する名前にしよう、と。
ブレットはアニメの『ドラゴンボール』が大好きだから、登場人物の名前を付けたがった。竜也もその話に乗っかって、わたしもケリーも『ドラゴンボール』ならだいたいわかるし、ああでもないこうでもないと話が盛り上がった。
話といっても、英文としてパーフェクトな文章なんてなかったと思う。単語がポンポンと飛び交うだけ。
間違いを恐れて頭の中で英作文をしていては、会話に乗り遅れた。思い付いた単語を、とにかく口に出す。そうして、聞いてもらう体勢を引き寄せる。黙り込んじゃダメだ。単語を口にする。そうしたら、ケリーもブレットも、わたしと竜也の下手くそな英語を補ってくれる。
竜也のニックネームは結局、決まらなかった。でも、四人でワイワイと『ドラゴンボール』のキャラクターのことを好きだとか嫌いだとかカッコいいだとか言い合って盛り上がって、わたしは気が付いたら笑っていた。
シャワーを浴びて、就寝。時間が飛ぶように過ぎるなんて、いつ以来だろう? 普段だったら、時間というものは、ねっとりと絡み付きながら重苦しく這っていくばかりなのに。