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朝からずっと吐き気があった。無理やり給食を胃に押し込んだら、昼休みに吐いた。胃液まで出尽くして、苦いようなすっぱいような味が喉から口にかけて残った。
胃酸で焼けた喉の奥がヒリヒリして、声がしゃがれた。ああ、歌えないな。急にそんなことを思った。喉が無事だったとしても、歌いもしないくせに。
キリキリ痛む胃を押さえながら保健室に行った。横になりたかった。
保健室は満杯だった。教室に行けない子たちが、ベッドもソファも椅子もすべて占領していた。みんな、パッと見には普通にしている。笑い合っている人たちもいたけれど、わたしの入室に気付いたとたん、彼らは押し黙った。
養護の先生が、困ったような顔をした。
「どしたの? 顔色よくないけど、具合悪い? 熱でもある?」
「胃が痛くて。吐きました」
「早退する?」
「今からロングホームルームで文化祭の準備ですけど、最後に数学があるので、抜けたくないです」
ひとまず熱を測ってみたけれど、やや低めの平熱。教室に行けずに体調を崩している子たちを追い出してまで、ベッドやソファで横になるわけにはいかない。
いや、養護の先生は「代わってもらってもいい」と言った。わたしは「いらない」と意地を張った。わたしだって教室にいたくない。彼らのつらさはわかるつもりだ。彼らがやっと見付けた世界に土足で入って、そこを奪いたくはない。
先生用のクッションの利いた椅子を貸してもらって、保健室の隅で体を丸めて座っていた。何をするでもない時間がもったいなくて、何でもいいやと思って、棚に置かれていた本を手に取った。
思春期の子どもが抱え得る精神的な病気についての本だった。付箋が貼ってある項目を開いたら、摂食障害についてだった。
そういえば、保健室登校の子には極端な体型がけっこう多い。すごくやせている子と、すごく太っている子。
本に書いてある。
「心のバランスが崩れると、当たり前のことがうまくできなくなる。食べることや眠ることに障害を抱えるようになる」
わたしは、引き寄せられるようにその本を読んだ。実例を挙げながらの説明だったから、大人向けの専門的な本ではあっても、わかりやすかった。
カーペンターズという、アメリカのミュージシャンがいた。兄妹で組まれたデュオだった。演奏担当は兄のリチャード、歌は妹のカレン。『トップ・オブ・ザ・ワールド』や『イェスタデイ・ワンスモア』など、誰もが聴いたことのある名曲を世に送り出した二人だ。
一九八三年、カレン・カーペンターは亡くなった。直接の死因は心臓麻痺。彼女の心臓を弱らせたのは、長年にわたる拒食症だった。
子ども時代から、カレンはぽっちゃりした体型だったらしい。脚光を浴びるようになってダイエットを始めた彼女は、やがて「もっとやせなきゃ」という衝動に駆られ、度を超した行動を取るようになっていった。
拒食症は「食べることを拒む」と書く。ただ、それだけじゃない。「食べたことを拒む」でもある。
例えば、下剤を飲んで、食べたものを体から追い出す。体はだんだん、薬に対する耐性を持ち始める。服用する量を増やさないと、薬が効かなくなる。それでも「食べたことを拒む」から、どんどん下剤の量が増えて、体への負担が重くなっていく。
カレンもそうだったらしい。通常の十倍もの下剤や甲状腺の薬を飲んでいたという話もある。異常な量の薬によって、彼女の心臓には、途方もない負担がかかっていた。
仲良しの兄と二人でデュオを組み、世界じゅうから愛される唄を歌ったカレン。でも、プライベートでは苦しんでいた。無茶なダイエット、電撃結婚した夫との不仲、両親の愛に飢えるアンバランスな心。
最期に「ママ、抱いて」と寂しがりながら死んでいったというカレンの症例は、衝撃的だった。本には、ほかの症例も載っていた。回復した症例もあった。カレンのように合併症で亡くなった症例もあった。自殺してしまう症例もあった。
わたしは中途半端だ、と思った。今、胃が痛くてたまらない。でも、拒食症になるほどの苦しみではないし、家の食事はきちんと取っている。睡眠のバランスはよくないけれど、病院にかかるほどでもない。
本から目を上げると、養護の先生と視線が合った。
「胃が痛いのはね、受け入れてないからよ。心がきちんと苦しみを感じられる状態。苦しいから反発しよう、受け入れるもんかって頑張っている状態。心が何も感じられなくなって体だけに響くようになると、腸だとか、もっと奥にある内臓が傷んでしまう」
その日、読んだ本の内容と養護の先生の言葉は、妙に深くわたしの中に刻まれた。今のこの苦しい気持ちのもっと先があるんだと、穴の淵から真っ暗な奥のほうをのぞいてしまった気分だった。
朝からずっと吐き気があった。無理やり給食を胃に押し込んだら、昼休みに吐いた。胃液まで出尽くして、苦いようなすっぱいような味が喉から口にかけて残った。
胃酸で焼けた喉の奥がヒリヒリして、声がしゃがれた。ああ、歌えないな。急にそんなことを思った。喉が無事だったとしても、歌いもしないくせに。
キリキリ痛む胃を押さえながら保健室に行った。横になりたかった。
保健室は満杯だった。教室に行けない子たちが、ベッドもソファも椅子もすべて占領していた。みんな、パッと見には普通にしている。笑い合っている人たちもいたけれど、わたしの入室に気付いたとたん、彼らは押し黙った。
養護の先生が、困ったような顔をした。
「どしたの? 顔色よくないけど、具合悪い? 熱でもある?」
「胃が痛くて。吐きました」
「早退する?」
「今からロングホームルームで文化祭の準備ですけど、最後に数学があるので、抜けたくないです」
ひとまず熱を測ってみたけれど、やや低めの平熱。教室に行けずに体調を崩している子たちを追い出してまで、ベッドやソファで横になるわけにはいかない。
いや、養護の先生は「代わってもらってもいい」と言った。わたしは「いらない」と意地を張った。わたしだって教室にいたくない。彼らのつらさはわかるつもりだ。彼らがやっと見付けた世界に土足で入って、そこを奪いたくはない。
先生用のクッションの利いた椅子を貸してもらって、保健室の隅で体を丸めて座っていた。何をするでもない時間がもったいなくて、何でもいいやと思って、棚に置かれていた本を手に取った。
思春期の子どもが抱え得る精神的な病気についての本だった。付箋が貼ってある項目を開いたら、摂食障害についてだった。
そういえば、保健室登校の子には極端な体型がけっこう多い。すごくやせている子と、すごく太っている子。
本に書いてある。
「心のバランスが崩れると、当たり前のことがうまくできなくなる。食べることや眠ることに障害を抱えるようになる」
わたしは、引き寄せられるようにその本を読んだ。実例を挙げながらの説明だったから、大人向けの専門的な本ではあっても、わかりやすかった。
カーペンターズという、アメリカのミュージシャンがいた。兄妹で組まれたデュオだった。演奏担当は兄のリチャード、歌は妹のカレン。『トップ・オブ・ザ・ワールド』や『イェスタデイ・ワンスモア』など、誰もが聴いたことのある名曲を世に送り出した二人だ。
一九八三年、カレン・カーペンターは亡くなった。直接の死因は心臓麻痺。彼女の心臓を弱らせたのは、長年にわたる拒食症だった。
子ども時代から、カレンはぽっちゃりした体型だったらしい。脚光を浴びるようになってダイエットを始めた彼女は、やがて「もっとやせなきゃ」という衝動に駆られ、度を超した行動を取るようになっていった。
拒食症は「食べることを拒む」と書く。ただ、それだけじゃない。「食べたことを拒む」でもある。
例えば、下剤を飲んで、食べたものを体から追い出す。体はだんだん、薬に対する耐性を持ち始める。服用する量を増やさないと、薬が効かなくなる。それでも「食べたことを拒む」から、どんどん下剤の量が増えて、体への負担が重くなっていく。
カレンもそうだったらしい。通常の十倍もの下剤や甲状腺の薬を飲んでいたという話もある。異常な量の薬によって、彼女の心臓には、途方もない負担がかかっていた。
仲良しの兄と二人でデュオを組み、世界じゅうから愛される唄を歌ったカレン。でも、プライベートでは苦しんでいた。無茶なダイエット、電撃結婚した夫との不仲、両親の愛に飢えるアンバランスな心。
最期に「ママ、抱いて」と寂しがりながら死んでいったというカレンの症例は、衝撃的だった。本には、ほかの症例も載っていた。回復した症例もあった。カレンのように合併症で亡くなった症例もあった。自殺してしまう症例もあった。
わたしは中途半端だ、と思った。今、胃が痛くてたまらない。でも、拒食症になるほどの苦しみではないし、家の食事はきちんと取っている。睡眠のバランスはよくないけれど、病院にかかるほどでもない。
本から目を上げると、養護の先生と視線が合った。
「胃が痛いのはね、受け入れてないからよ。心がきちんと苦しみを感じられる状態。苦しいから反発しよう、受け入れるもんかって頑張っている状態。心が何も感じられなくなって体だけに響くようになると、腸だとか、もっと奥にある内臓が傷んでしまう」
その日、読んだ本の内容と養護の先生の言葉は、妙に深くわたしの中に刻まれた。今のこの苦しい気持ちのもっと先があるんだと、穴の淵から真っ暗な奥のほうをのぞいてしまった気分だった。