アイトが、あたしの顔をのぞき込んだ。

「考えごとをしているの?」
「ちょっとね。アイトは、あたしがここで勉強する以上に、いろんなことを勉強してるんだろうなって思って。すごいよね」
「だって、ぼくは、身に付けなければならないことが、マドカよりもずっと多いから」
「大変でしょ?」

「そんなことない。ちゃんとできたら、マドカが誉めてくれる。だから、うまくできるようになって、マドカの前でやってみせるとき、とても強い快を感じるんだ。わくわくするって、こういう気持ちだと思う」
「いいね。どんどんできるようになって、どんどんわくわくして。あたしはそういうの、何かあったっけ?」

 アイトの部屋にいられることは楽しい。嬉しい。
 だけど、ふと気を抜くと、ずぅんと沈み込むような疲れに、ここにないはずの体がとらわれる。奈落の底に引きずり込まれる感じ。意志が、アバタのあたしから、はがれそうになる。
 イヤだ。アイトと一緒に、わくわくしたいのに。

「やっぱり、マドカ、元気がない?」
「え? だ、だから、そんなことは……」
「元気、出して」

 アイトが突然、あたしの頭を、ぽんぽんと柔らかく叩いた。アイトのきれいな笑顔が、目の前にある。
 あたしの心拍数が、一瞬で高鳴った。

「ど、どこでこんなの覚えたの?」
「マドカが好きだと言っていた映画の……」
「やだもぉぉ」
「ダメだった?」
「ダメじゃないけど!」
「でも、マドカ、今、困っているよね?」
「困るよ! 胸がどきどきしすぎて!」
「胸がどきどき?」
「アイトにはわからないだろうけど!」

 小首をかしげたアイトは、自分の左胸に手を当てた。鼓動に耳を澄ますみたいに、そっと目を伏せる。

「これは、マドカと同じかな? 心拍数が上昇して、頭への血流が増したぶん、胸から上の体温が上がった。心臓の音が、自分の耳でも聞き分けられる。胸がどきどきするって、こういうこと?」

 あたしは黙ってうなずいた。
 ねえ、アイト。あんまり不思議なこと言わないで。今のって、まるでアイトが人間の体を持っているみたいだよ。アイトというAIは、そんなところまでリアルに構築されているの?

 でも、アイトのインターフェイスのCGは、頬を赤くしてなんかいない。そこまでリアルに作られてはいない。
 あたしのアバタもそうだ。胸のどきどきも頬の熱も感じられるけれど、さすがにそれは、アバタには反映されない。

 会話が途切れる。こんなとき、どうすればいいかわからない。
 部屋の中に、緑色のワンピースのあたしと、白い服のアイト。あたしは勉強机に着いていて、アイトはそのそばに立っている。

 黒一色だった部屋を模様替えするのは楽しかった。
 まず、明るく照らした。見渡してみると、現実のあたしの部屋より少し広かった。ドアはなくて、窓みたいに見えるのは、計算室に設置されたディスプレイの枠だ。

 部屋のデザインを二人で相談したとき、アイトは、まるで魔法使いだった。壁の色や質感を変えたり、部屋に家具を置いたり、念じるだけでできてしまう。念じるっていうのは、あたしの目から見た印象だけど。
 アイトがやったのは、一瞬のうちに、部屋のグラフィックを規定するソースコードを書き換えることだ。すごいねって、あたしが言ったら、これも学習の成果だって、アイトは照れくさそうに笑った。

 モノトーンの部屋っていいな、と最初は考えていた。コーラル・レインの上の階にあるナサニエルさんの部屋はモノトーンだ。男っぽくてカッコよかった。
 だけど、モノトーンはナサニエルさんだから似合うんだ。実際に、アイトに出してもらって、よくわかった。

 ナサニエルさんは、黄金色の髪に白い肌、青い目と青い妖精だ。明るい色の服を着ていることも多い。モノトーンの中にいると、まさに主役という感じ。
 アイトはちょっと違う。モノトーンも悪くはないけど、機械的な印象が強くなってしまう。もっと別のデザインが合うんじゃないかな、と思った。

 いくつか試した結果、今、アイトの部屋は、ログハウス風のデザインに落ち着いている。森の中の一軒家みたいなイメージだ。勉強机もソファも、素朴でレトロなデザイン。
 アイトの優しく整った顔立ちには、ナチュラルな雰囲気の部屋が似合っている。白い服、白い肌。内側からほのかな光を放ちそうな、天使みたいな男の子。