「な、何でもないよ。あのね、うちのおとうさんは、ちょっと変わった人なの。家では仕事をしないのが我が家のルールなんだけど、それでも、おとうさんは何か思い付いたら、いきなり紙に、ばーっと計算式とか書き始めるし」

 プログラマモードになったときの父には、日本語が通じない。紙に書き殴りながらぶつぶつこぼす言葉も、日本語じゃないのはもちろん、人間が普通に使う言語ですらない。
 父は、プログラミング言語でひとり言をつぶやく。プログラミング言語は、人間がコンピュータに指示を出すときに使われる言語だ。いわば、人間とコンピュータの共通語。

「プロフェッサ・イチノセは、プログラミング言語を声に出して発するのですか?」
「うん」
「プログラミング言語は、入力するための言語です。音声を用いて使う言語ではありません。プログラミング言語を発声しても、人間にもコンピュータにも認識されず、徒労に終わります」
「まあね。おとうさんの場合はひとり言だから、最初から、誰かに聞かせようとしてるわけじゃないけど。それにしても変というか、ちょっと不気味というか」

「人間は、仕事の処理をするとき、ひとり言が出るのですね。不思議な現象です」
「コンピュータも仕事の量が多いとき、本体の中の熱が上がるのを防ぐために、冷却ファンが大きい音で、フィーンって鳴っちゃうでしょ? 人間も、ああいう感じで、思わず声を出したりするの」

 あたしのいい加減な例え話に、アイトはまじめに、なるほどとうなずいた。
 アイトが思考モードに入ると、本体がフィーンと唸り出す。アイトは、その音がどうにも格好悪いと思っているらしい。仕方ないよ、そういうものだよって、何度もフォローしてあげている。

 フィーンという音は、あたしはあまり気にならない。でも、音や声に敏感なところがあるニーナは、唸っている本体へと飛んでいったり、また戻ってきてアイトの前をうろうろしたり、落ち着かなくなる。
 あたしは、アイトのフィーンが落ち着くのを待ってから、話を再開した。