良一が言った。
「岡浦小って、子どもの数、何人くらいだっけ?」
「八十人切ってるはず。でも、ちゃんと六学年ある。バスケとソフトボールのチームもある」
「人、どんどん減ってるんだよな?」
「増える要素がないよ」

「だよね。昔は、岡浦と小近島は漁業の拠点で、かなりにぎわってたらしいけど。結羽、月夜間《つきよま》って言葉、知ってる?」
「満月のころのことでしょ」

 夜におこなう漁では、強烈に明るいライトでイカや魚を呼び寄せるやり方がある。このやり方だと、満月のころは空が明るいから、ライトの効果が薄くなって漁の効率が悪い。だから、その時期には漁を休む。休みの期間のことを、月夜間と呼ぶ。

 良一の低い声が静かに紡がれる。低いけれど、細くて柔らかい性質の声だ。だから、良一の声には威圧感がない。優しい印象の響きになる。
「小近島教会の慈愛院って、昔はもっと大きかったんだって。子どもの数も、シスターの数も多くて。なぜかっていうとね、親が漁師だと、普段は陸にいないから。親が船に乗ってる間、子どもは慈愛院で過ごす」

「聞いたことある」
「当時の慈愛院の子どもたちはみんな、漁が休みになる月夜間を楽しみにしてたんだって。そのころの名残で、慈愛院には漁師が使う太陰暦のカレンダーがあって、シスターたちは月の満ち欠けと潮の満ち引きを気に掛けてた」

 島々の中には、今でも昔ながらの漁業を続ける集落がある。逆に、明日実や和弘の家が始めたクルマエビの養殖みたいな、今までなかった漁業にシフトする集落もある。
 クジラ漁で栄えていた島は、それが禁じられてから、すっかりすたれてしまった。江戸時代には「クジラ一頭を揚げたら七つの浦が潤う」といわれるくらい、クジラ漁がもたらす利益は大きかったんだ。

 この近海に浮かぶ島々は、海から急に山が生え立つような険しい地形ばかりだ。田んぼが作れる場所も、ごく限られている。漁業で生計を立てるしかない集落がほとんどで、昭和の中ごろまでは、それで産業が成り立っていた。

 いつごろからか、イカや魚が売れなくなったり、価格が極端に下がったりした。動物保護という理由で、クジラを獲ってはいけなくなった。仕事が回らなくなった人々が、だんだんと島から離れ始めた。その流れは、時が経つとともに加速している。