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出立の日は、いつだって慌ただしい。
正午を少し過ぎたころ、港の待合所で、ノイズ混じりの館内放送が、フェリーの乗船改札の開始を告げた。
あたしと良一がベンチから立ち上がったちょうどそのとき、明日実と和弘が陸上部の練習着のまま、待合所に駆け込んできた。
明日実が肩で息をしながら、満面に笑みを咲かせた。
「間に合ったぁ! 部活が終わった瞬間に飛び出してきたと。最後に顔ば見られてよかった!」
「練習のとき以上に本気出して走ってきたっぞ。ほんと、間に合ってよかった」
ひとしきり「よかった」と言ってから、明日実と和弘は、あたしたちを車で送ってきてくれた里穂さんに、ペコリと頭を下げた。里穂さんがにこやかに応じる。
明日実は、あたしと良一の顔を順繰りに見つめた。
「来てくれて、ありがとうね。真節小の最後のときに一緒におられて、嬉しかったし、心強かった。本当にありがとう」
和弘がうなずく。
「一日しか一緒におられんやったけど、楽しかった。真節小の校舎ば探検したこと、一生忘れんよ。結羽ちゃん、良ちゃん、ありがとう」
良一はかぶりを振った。
「おれのほうこそ。呼んでくれて、ありがとう。会えてよかった。学校探検して、海で泳いで、おいしいもの食べて、みんなと話して、元気になれた。東京に戻っても、また頑張れるよ」
明日実の微笑んだ唇が震えた。無理やり微笑み直した両目の端から、ポロリと涙がこぼれ落ちる。
「あー、もう、ごめん! 昨日から、うち、泣きすぎやね」
和弘が明日実の頭をポンポンと撫でた。和弘の目も、今にも決壊しそうに潤んでいる。
同じ場面を見たことがある。卒業式があって、閉校式があって、あたしと良一が小近島を離れた、あの三月だ。明日実は、笑おうとしながら泣いていた。和弘は、明日実をなぐさめながら泣いていた。
あの三月、あたしは、幼い時間を形づくっていた世界のほとんどを、いっぺんに失った。小近島の家も、学校も、同級生も、もうあたしのそばには存在しない。自分という存在は、空っぽな世界に立つ一本きりの柱だった。
あたしと同じ気持ちを、きっと良一も味わった。明日実と和弘は、小近島を舞台とする世界から、大事な柱を何本も引き抜かれてしまった。
すごく、すごく心が痛くて、どれだけ泣いたって追い付かないけれど、仕方ないんだってこともわかっていた。あたしたちはそれぞれ、黙って耐えた。駄々をこねずにあきらめて、失ったものの大きさに背を向けるように、必死で前へ進もうとした。
四年経った。体は四年ぶん成長した。でも、無力感は変わらない。仕方ない状況も、あたしたちの力じゃ、くつがえせない。
さらに四年後だったら、どうだろう? あたしたちは、それぞれ選んで進む道の途中で、今よりは強い力を手に入れているんだろうか?
和弘があたしを見た。泣きそうな目をしているけれど、涙をこぼしてはいない。あたしに一歩、近付いて、がやがやした港の人出の中、ギリギリ聞こえるくらいの声で、和弘はあたしに告げた。
「結羽ちゃん、彼氏おらんとでしょ。たまに連絡してよ。おれ、連絡するけん、返信して。お願い」
あたしはとっさに、しょうもない返事をしてしまった。
「何で?」
和弘は律儀に答えた。
「だって、おれの気持ち、まだ全然、続いちょっけん」
「……何で?」
「昨日も言ったやろ。結羽ちゃんは小近島から離れていったけど、でも、遠くにおるようには思えんけん。会えんでも、つながっちょるよなって感じられる。忘れ切らんよ」
「でも、あたしは……」
明日実がいきなり、あたしに抱き付いてきた。ふわっとして、柔らかい。汗と制汗スプレーの匂いがする。
あたしの肩に顔を寄せた明日実は、ふぇーっと、情けない声でちょっと泣いた。ぐすぐすしながら顔を上げて、どうにか微笑む。
「応援しちょっけんね! 結羽の歌、小近島まで届けて! 結羽も良ちゃんも、地元の期待の星やけんね!」
「地元って? あたしには、地元とか、ないよ。あっちこっちの島に住んでたせいで、どこが出身地って言えない」
明日実は声を立てて笑った。
「それ、カッコよか! 結羽にとって、全部の島が地元やん。旅人やね。いつでもどこにでも、遊びにも行けるし、帰ることもできるってことやろ。結羽のことば地元の星って呼んで応援しちょっ人が、あっちの島にもこっちの島にもおるとでしょ」
「あ……」
つかえが取れたような気がした。
全部だったのか。旅人のあたしにとって、島々の全部がふるさとだったのか。
そんなふうに言い換えたところで、どの島にも溶け込めなかった事実は変わらない。どの島にも家がないことに違いはない。
でも、心の中で何かが変わった。何かが、ふっと軽くなった。古いかさぶたがはがれて落ちるように、ずっと胸にこびり付いていた悲しみが、不意に離れていった。
あたしはきっと、この島々のどこを旅しても、「いらっしゃい」じゃなくて「おかえり」と言ってもらえる。その場所にあたしの家が存在しなくても、そこに住んだ記憶は存在しているから。
旅人で、いいじゃないか。旅人だから、たくさん出会えたじゃないか。旅人である両親のおかげで、良一にも明日実にも和弘にも、夏井先生にも里穂さんにも、真節小にも、真節小の最後のときにも、出会うことができたんだ。
あたしは明日実をギュッと抱きしめた。
「頑張ってくる。期待、裏切らないように、頑張る」
明日実の体を離す。近い場所で笑い合った瞬間、両目がぶわっと熱くなって、熱が涙になって、目尻から流れ落ちた。
あたし、泣いてる。
鼻と喉がつながるあたりがゴツゴツして、息が苦しくなった。涙って、熱いんだ。こんなにも胸の中を掻き乱して、叫びたいくらいの感情を連れてくるものなんだ。
あたしは下を向いて、急いで涙を拭った。
待合所の館内放送が、乗船改札の案内を繰り返している。そろそろ行かないといけない。あたしはギターケースをベンチから拾い上げた。
明日実が良一にパンチを繰り出した。
「頑張らんばよ、良ちゃん! ボーっとしちょったら、和弘に負けるよ。中途半端な男には、あたしの結羽は渡さんけんね!」
えっ、と、良一と和弘が同時に目を見張った。あたしは明日実のほっぺたをつねった。
「勝手なこと言うな。バカが調子に乗る」
「きゃー、結羽、痛かよー!」
悲鳴を上げながら、明日実が笑う。
あたしたちがフェリーに乗り込んだら帰っていいと告げておいたのに、甲板から浮桟橋を見下ろすと、明日実も和弘も里穂さんも、まだそこにいた。
和弘が真っ先に、甲板に出たあたしと良一を見付けて、ジャンプしながら両手を振った。明日実と里穂さんも、すぐに気付いた。
明日実が大声を出した。
「結羽ーっ! 良ちゃーんっ! ぎばれーっ!」
ぎばれって、島の言葉だ。頑張れって意味。良一が潤んだ目をして、大きく手を振った。
「引っ越しのときと同じだな。ぎばれーって、見送ってもらった」
あたしは黙ったままうなずく。声を出したら、涙まで出そうだった。もろくなってちゃいけないのに、うまく感情がコントロールできない。
フェリーのエンジン音が大きくなった。船体がゆっくりと動き出す。
明日実と和弘が手を振っている。あたしは小さく右手を挙げて応えた。その手首には、昨日の傷を隠す包帯がある。
突然、良一があたしの包帯の手首をつかんで、強い力で引っ張り上げた。
「何するの」
「手、もっとちゃんと振らないと、見てもらえないだろ」
良一につかまった手が、あたしのじゃないリズムで、大きく左右に揺さぶられる。明日実が笑って、和弘が何か怒鳴った。里穂さんが見守ってくれている。
島が少しずつ遠ざかる。青く澄んだ湾に白い水尾を引いて、フェリーが一度、出航を告げる汽笛を鳴らす。
ここで過ごした日々は、悲しいことも、楽しいことも、嬉しいことも、やるせないことも、たくさんあった。いろいろあった。かけがえのないものばかりだった。
あたしは、ここから船出する。
捨てるわけじゃないし、忘れたりもしない。ここはあたしのふるさとだ。
あたしは旅人であり続ける。旅をしていくその先で、自分という誰かに出会いたい。
心の鎧はまだ着けておく。心の閉ざし方も覚えておく。あたしは弱い。身を守らなければ、打ち倒されて立てなくなる。
だけど、弱いままではいられない。ちゃんと笑おう。たまに泣こう。昔、島の潮風の中でやっていたことを、一つひとつ、もう一度やってみよう。
「あたし、ぎばるけん」
あたし、頑張るから。
本当はしゃべれる島の言葉を、口の中だけでつぶやく。
あたしは良一の手を振りほどいた。そして、自分の力で、自分のリズムで、遠ざかるふるさとの人々に向けて、大きく手を振った。
サマーブルー
by hoodiekid
night night night
また始まってしまう今日
まだ飛び立てない my blue nights
落ち着く場所は夜の中
いつの間にか闇がトモダチ
深くかぶったフードの下
滅びてしまえ 全部 全部
キライ キライ キライ
僕の内側にいる宇宙
僕の外側にある世界
クライ クライ クライ
目を開けて見る夢の途中
目を閉ざした痛いリアル
精一杯 ネジを巻いて
歌う喉が 走る足が
止まらないように
まだ終わっちゃダメなんだろう?
タイムカプセルのキラキラ
分からなかった壊し方
コワレチャッタのは僕だけで
潮風はずっと吹いてたよ
なくしたくないブルースカイ
一瞬一瞬 過ぎ去るイマ
つかまえる手からこぼれてって
歴史になってく あざやかに
why why why
繰り返したんだよ ねえ なぜ
消えてっちゃうんだよ ねえ なぜ
sky sky sky
空へ吸い込まれた涙
ひりひりした命の全部
精一杯 顔を上げて
破れた翼 ひとりぼっち
アイツも泣きながら
僕も もがいて叫んでやろう
fly fly fly
壊れて終わってあきらめたなんて
ホントは始まっただけのゼロ
try try try
イチから覚え直せばいい
ここから生きてくんだよ
alive alive alive
死んでないってだけじゃなくて
確かに生きていくんだよ
精一杯 声を上げて
僕は歌う ここで歌う
傷だらけの唄が君に届いたら
thank you 僕は生きていけるよ