♪side:樋口翔太

「間違った青春と正しかった言葉に背を向けたんだ」


「そうですか……高橋さんが……」
「待合室で話してたんだけど、凄い焦ったような悲しいような顔してたわ」
「彼女がですか?」
そんな場面全く想像出来ないし、なんで僕がこんな状態になってしまった時に彼女がそこまで心配してくれるのか理由がわからない。もう他人のはずなのに。好きな人に振られて車にはねられた上で、二日も眠りこけたんじゃ、ろくに頭も働かなかった。少し別のことを考え始めた。
永遠の命がそこら辺で拾えたらいい。とか、とんでもなくくだらない内容の妄想が僕の頭の中で始まろうとしていた。どっかで見たような黄色の箱をジャンプしてグーパンチで叩いて出てくる緑色のキノコを拾うみたいに。って昔は思ってた。でも今はそんなこと微塵も思わない。命は限りがあるから命なんだよって誰かに言われた気がしたから。誰だか覚えてないけどはっきりその言葉は覚えてる。その人に生まれ変わったらどうしたいか聞かれて僕は答えなかった。答えは書くべきだったんだろうが、ペンを動かせずに質問の下は白紙のまま彼に返してしまった。なんとなく悪いことをしてしまったと思う。
ちなみに僕は生まれ変わるなら、人間として生まれ、耳が聞こえないとか事故で脚が動かせないとか翼さんにフラれる人生でなければなんでもいい。ただまぁ、そんなことは正直どうでもいい。実際にそんな人生で生まれたのにはきっと理由があるんだと物心ついた時から考えていたからだ。今思えば相当ドライな考えの子供だったようにも感じられる。
ただ、「彼女が?」と聞いてしまったのには失敗したと思った。もっと言葉を選ぶべきだった。ほかの言葉を選んでいたら、看護師さんからの返答がもう少し違ったものになっていたのかもしれなかった。
看護師さんからの返答は予想もつかないものだった。
「高橋さんって人、『好きな人なんです!絶対に死なせないでください!』なんて涙ながらに終始救急隊の人に言ってたみたいよ。彼氏なら心配かけちゃダメよ」
なんて言われても信じられない。ほんの何時間前かにフラれたはずなのに僕のことが好きだなんて。そんな馬鹿な。今日は四月一日じゃない。三月十一日のはずだ。
落ち着いてものを考えるのすらちょっと困難になって来たから一人にしてほしいと看護師さんに伝えた。優しそうな笑顔で何も聞かずに一人にしてくれた。
一人になってどうしようとかなんにも考えてなくて、ただ白い殺風景な電灯で照らされた病室で沈黙のなか孤独を噛み締めていた。僕が体勢を変えるたびに少し揺れるベッドはなんだか懐かしい匂いがした。いや、懐かしいと言うより昔は嫌いだったはずの消毒薬の匂いだ。注射をされる前に漂ってた大嫌いな匂いが何故かこんなにも懐かしく感じられるのは、少しは大人になれたってことなんだろうか。
じゃあ大人っていつからだろう?二十歳になったら?経済的に独立できた時から?そんな事まだ分からない。多分、「子どもの頃に戻りたい」って思った時に「あぁ、自分は大人なんだ」と実感する日は来るんだと思う。
ちょっと前までは早く大人になりたかったけど、今はそうでもない。こんなボロボロの身体で社会に出てどうこうできるとは思えないし、なによりそう思ってしまう悔しさが足首に絡みついて取れない。なんでこんな身体で生まれたんだろう。なんでこんな身体になったんだろう。なんて何を恨めばいいかもわからないままにただ何かを恨んでるんだ。親でもなければ運命でもないものを恨んだとして、結局は空回りしてどうしようもなくなるんだ。だから僕は間違った青春と正しかった言葉に背を向けて逃げたんだ。まぁその結果がこのザマなんだけど。だから僕は自分のことが嫌いだ。
多分なんだけど、人は自分を嫌いになった時に、自分を好きになるために自分を認めてくれる誰かを探すんだ。変えられる訳がない他人の環境に首を突っ込んで思い通りにならなかったら別れを繰り返す。きっと人間って生き物はそういう醜い生き方をしてるんだ。自殺する人ってこの考え方が極端すぎで最後にはこんな世界なんて嫌だって言って逃げながら手首を切ったり首を吊ったり飛び降りたりするんだろうね。
そんなことを考えていて気づいた。なんでこんな暗くなっていたんだろうって。別にこの世の終わりでもなければ誰かが死んだわけでもない。電灯もまだ明るいし、暗いといえばカーテンの向こうだけだというのに。
とにかく僕は誰かに会いたかった。誰でも良かった。結局のところ、やっぱり僕は一人になんかなりたくなかったんだ。
急にとんでもない不安感に襲われて、布団に潜り込んだ。軽い羽毛布団にさえ押しつぶされてしまいそうな、そんな恐怖感がのしかかってきた。
同時に病室の扉が開く気配がした。段々と心拍数が早くなる。気配も近づいている。ベットの隣に誰かが立った。僕はそれが誰なのか確認したかったけど怖くて顔を出せなかった。
不意に背中をつつかれて、やっとの事で顔を布団から出してその人の顔を見た。その瞬間強ばっていた全身の力が一気に抜けていった気がした。