神無崎さんがいなくなって、すぐのことだった。

 宗樹は、わたしと恋人ツナギしてた手を『ぱ』と速攻で放したかと思うと、今まで神無崎さんの前で、ゆる~~く笑っていた表情を冷たく引き締めた。

 そして、トゲトゲの一杯詰まった視線をわたしに向かって投げつけ、言ったんだ。

「……あんた、莫迦?」

 は、はいいい?

 自慢じゃないけど、わたし、今まで『莫迦』なんて言われたことない。

 ウチの両親、ちっちゃい時からわたしを執事やメイドさんの使用人に任せて放任してたから、その分、一緒にいる時は極甘だった。

 だから、口が裂けてもそんなコト言わないし。

 そもそも、今まで『莫迦』って言われるほど、悪い成績をとったことないからなんだけれど。

 本当の理由は、ね。

 天下の『西園寺家令嬢』に面と向かって『莫迦』って言えるほど度胸のある人なんていなかったんだ。

 わたしに向かって、お世辞は言えても、悪口なんて絶対無理、みたい。

 だから、今。

 産まれて初めて『莫迦』って言われて腹が立つ、って言うよりは、とても驚いて……なんだか嬉しかったんだ。

 だって、ほら。

 西園寺じゃない、『普通の女の子』にちょっと近づけた気になって……

「……莫迦って言われて、楽しそうに笑う女、初めて見た」

 呆れた声で宗樹に言われ、わたしはあたふたと頭を下げた。

「あ……えっと、すみません!」

「こんなとこで、お前が謝ってんじゃねぇよ。
 くそ、調子、出ねぇなぁ」

 今さっき感じた、氷みたいなトゲトゲの視線が少し弱まったかわり、宗樹は、今日が世界の終わり、みたいなため息を深々と吐いた。

 うぁ。

 ため息のつきかた、爺とそっくり。

 その、あまりの檄似ぶりにたじろいて、二、三歩後ろに下がったら、ごん、と堅いものが頭に当たる。

 うぁ、わたし壁際にいたんだ!

 驚いた!

 全く気がつかなかったと、どきどきしてたら、今度は宗樹の手が、わたしの顔のすぐ近くについた。

 こ、これっていわゆる『壁ドン』の体勢とかって言うモノじゃっ!

「まだ、何も話してねぇのに、途中で逃げんな、お嬢さん」

「は……はいぃぃ」

 かくかくとうなづくわたしに鋭く視線を投げて、宗樹は口を開いた。

「……お嬢さんには、言いたいことも山ほどあるが、まず聞く。
 あんたは、一体ここでナニをしてたんだ」

「な……ナニって、ただ学校に行こうと……」

「こんなに朝早く?
 まだ、新入生を迎える生徒会役員だって登校するには早い時間だぜ?」

「でも、わたし電車乗るの初めてで、その……切符買うにも自信なく……」

 最後の方は、消えかけてしまったわたしの声に、宗樹は「ああ~~」と唸った。