楽園が、僕らを待っている。


「うるせえ、大人しくしろ!!」 
 父親はそう叫ぶと、ズボンのポケットからバタフライナイフを取り出して、それを子供の肘に振り落とそうとした。しかし、振り落とす直前、幸味夜さんが、ハイヒールのかかとでテーブルを勢いよく踏んづけて、それを無理矢理止めさせた。
「お客さん、そういうことは、よそでやってくれませんか?」
「なっ、なんだてめぇ!!」
「蓮、逃げるよ‼ お金は置いてっていいから、荷物持てるだけ持って! 早く!!」
 叫ぶように言うと、幸味夜さんは子供を抱きかかえて、勢いよく走り出した。僕は服と靴の入った紙袋を持つと、無我夢中でその後を追った。
幸味夜さんは十分ぐらい走ると、子供を思ってか、走るのを止めてゆっくりと歩き始めた。
「ごめん、蓮。巻き込んで悪かったね」
「いえ、それは構いませんけど、……幸味夜さん、今のは一体?」
 さっきの尋常ではない親達の様子を思い出しながら、俺は言った。
「そういう世界なんだよ、ここは」
 吐き捨てるように、幸味夜さんは言った。

「いったでしょう? ここはありとあらゆる犯罪が続いている世界だって。つまりここにいる人は、人を傷つけることに躊躇がないの。君も、それに耐えるのが嫌だったのよね?」
 子供の涙を拭って、幸味夜さんは言った。
「うっ、うあああああーっ!!!」
 すると子供は悲鳴のような声を上げて、まるで赤ん坊のように、ぎゃあぎゃあと泣き喚いた。
 それはまるで、かつて家の中でたった独りぼっちで声を上げて泣いていた自分を見ているかのようで、僕はどうしようもなく心が痛くなった。

 ――こんな酷いことがあっていいのか。なんで、店員さんは幸味夜さんが声を上げるまで、止めようともしなかったんだ?
 もし幸味夜さんがあの場で助けようとしなかったら、この子はきっと、心にとんでもない傷を抱えて生きるハメになっただろう。そう思うと、僕はますます胸が締め付けられた。

「……蓮、これが、この酷い現状こそが、この世界の普通なのよ。みんな助けたら自分の身に何があったか分かったもんじゃないと思って、見て見ぬふりをする。この世界の人々は、そうやって、子供の命を無駄に使い潰して生きているの」

 子供を抱きかかえると、幸味夜さんはそういって、悲しそうに目尻を下げた。