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 翌日、僕と七緒はあの廃ビルの近くにあったファミレスで会うことになった。
 さすがに、昨日会ったばかりの異性の家に行くのは、お互い気が引けた。しかも、クリスマスなんかに連れて帰れば、親に勘違いされるに決まっている。それに、僕の親は椎名のことを知っているから、七緒の姿を見たら倒れかねない。そういう理由で、僕達はファミレスを選んだ。
 七緒は、何故か制服を着ていた。思えば、昨日も制服だった。そんな、服に気を使っていないというところが、生きることに無頓着だということを表しているようだった。
 クリスマスだというのに、意外とファミレスは空いていた。昼間というのもあるけど、たぶん、皆、家で豪華な食事をするか、もっと高い店にでも行く予定なのだろう。
 僕と七緒は向かい合って座った。
 何も頼まないという訳にもいかないので、とりあえず、ドリンクバーとパスタをそれぞれ頼んだ。僕はミートソース、七緒はカルボナーラを選んだ。
「その、袖に付いてるのって絵具?」
 七緒の袖に、何色か色の混ざったものがこびり付いているのが見えた。
「私、美術部だったの」
 グラスに入ったメロンソーダを飲みながら、七緒はつまらなさそうに答えた。
「へえ、てっきり漫研とかイラスト部かと思ってたよ」
「絵はデジタルだけじゃない」
 七緒の言う通りだ。そこは、僕の配慮が足りなかった。勝手に、パソコンのソフトとかで描くものだと思い込んでしまっていた。たぶん、七緒は僕がこう言うことを予想していたのだろう。だから、こんなにもつまらなさそうなのだ。
「そういえば、大学は? そろそろ受験の時期じゃない?」
「自殺志願者が、大学受験なんてすると思う?」
「まあ、そうだよな。でも、その制服それなりに賢いところだよね」
 七緒の制服は、県内でも有数の進学校だった。中三のとき、椎名がそこに行くか悩んでいた時期があった。学力的には、たぶん、余裕だったと思う。でも結局、勉強に時間がとられそうだからと言って、別の椎名のレベルより少し低い高校を受験していた。
「学力なんて、どうでもいいよ」
「そう、だな」
「飲み物足してくる」
 グラスを持って席を立つ七緒の姿を見て、僕は少しだけ安堵した。
 会話が、続かない。
 いくら七緒が椎名の姿をしていても、性格があまりにも違い過ぎる。そのせいで、上手く話が出来ない。見た目だけなら完全に椎名だから、もっと話せると思ったけど、やっぱり、そういうものではないらしい。何で、椎名とは普通に話せていたのだろう。
「ごめん。少し時間かかった」
 席に戻ってきた七緒のグラスには、さっきと同じメロンソーダが入っていた。
「そろそろ本題に入ってもいいかな」
 色々限界だった。これ以上雑談をしていると、僕の精神が削り取られていきそうな気がした。いっそ、全部粉々になった方が楽かもしれないとも思ったが、そんなことをしている余裕は何処にもなかった。
「絵、見せてよ」
 絵なんて、全然詳しくないが、それでも見ないと何もわからない。一番良かった時期の絵と最近の絵。その二つの絵の画像とか資料があれば持って来て欲しいと頼んでいた。
「画像なんだけど」
 七緒がスマホを渡してくる。見ると、そこには女の子が雪の中で一人佇んでいる絵が映っていた。
 普通に、上手かった。技術だけでなく、その絵には不思議な温かさがあった。雪なのに、寒さは何処にもなく、見ているだけで熱を帯びていくような、 そんな絵だった。
 画面をスライドする。今度は、海辺を歩く女の子の絵だった。
「何て言うかさ」
「うん」
「かなり深刻だね」
 絵のタッチとか、そういうのは一枚目とほとんど変わらなかった。上手いし、水の感じとかはとても綺麗で、よく描けていると思う。
 ただ、それ以外何も感じ取ることが出来なかった。
 七緒の描けなくなったというのは、こういうことだったのだ。
「何かあった? 例えば、否定的なことを言われたとか、失恋したとか、誰か身近な人が死んだとか」
「わからない。何もなかったと思う」
「どん詰まりだね」
 一瞬、七緒の目が鋭くなる。何となく雰囲気が最悪になってきたところで、店員がパスタを運んできた。ミートソースとカルボナーラが、それぞれの前に置かれる。このまま会話を続けても、たぶん、いい解決策はみつかりそうになかったので、休憩という意味も込め、食事にすることにした。
 十分くらいして、お互い食べ終わったとき、ふと思いついたことがあった。
「カルボナーラどうだった?」
「普通に、美味しかったけど」
「じゃあ、その感じたことをそのまま描いてみるのは?」
「やってみる」
 そう言って、七緒は鞄の中からスケッチブックと筆記用具を取り出し、絵を描き始めた。
 待っている間、することもなく、少し暇だった。窓の外を見ると、ちらちらと雪が降っていた。ホワイトクリスマスだった。
 道を数人の男の子が走り抜けていく。手には、最近発売されたばかりの携帯ゲーム機が握られている。サンタクロースにでも貰ったのだろう。
 何処も彼処も、そんな幸せそうな人達でいっぱいだった。そんな中で、僕達は一体何をやっているのだろう。こんなの、まるで不幸の証明だ。でも、実際に幸福ではないし、自殺まで秒読みの人間なのだから、それも当然なのかもしれない。
「出口」
 まだ耳に馴染まない声が、僕の名前を呼ぶ。椎名の声質なのに、音程も、話し方も、僕の呼び方も全然違う。でも、やっぱり、彼女に重ねてしまう。
「描けたんだけど」
「見せて」
「落書きレベルだけど」
「スランプなんだし、それくらいの手抜きは気にしないさ」
 七緒からスケッチブックをもらう。そこには、先程食べたカルボナーラが描かれていた。本人は落書きレベルと言っているが、完璧なデッサンだった。本物のようだった。でも、やっぱり、それだけだった。
 僕は無言で首を振りながら、スケッチブックを返した。
「思ったんだけど、逆に絵から離れるっていうのは?」
「離れてどうするのよ」
 七緒の表情が一気に不機嫌そうになる。
「上手く感情が表現出来なくなったのなら、表現するための方法を探そうと言っているんだよ。充電期間ってこと。無理に続けても、かえって悪化するような気がするんだ。だから、そうだな、例えば、普段行かない場所とかに行くとかはどう?」
 宥めるように、僕は言った。これ以上不機嫌になられても困るというのもあるし、本当に提案しているというのもあった。とにかく、僕はこんなことだけで、諦めて、死なれることを恐れていた。だって、まだ、何もしていない。
「ねえ、何でもするって言ったよね」
「ああ」
「じゃあ、着いてきてくれるのよね?」
 何だ、そんなことかと思った。もっと高度で、僕が躊躇うようなことを要求してくるのかと思ったが、拍子抜けだ。
「もちろん。何処へでも」
「そう。なら、今日中に行きたいところを連絡する。行くのは明日。それでいい?」
「君の好きにしたらいい」
「わかった」
 そんな訳で、とりあえず、今日のところは解散ということになった。
 代金は、きっちり、自分が食べた分を自分で払った。
 店の外に出たところで、そのまま別れようかと思っていた。僕はこの後、どうしても行きたいところがあった。けど、七緒の予想外の行動に、僕は足を止めることになった。
「何だよ」
「本当に、描けるようになると思う?」
 僕の手を掴みながら、壊れそうな声で七緒はそう言った。
「描けるよ。絶対。だから、君は死ねない」
 死ねないなんて言い方をしたのは、あまりにも七緒がこれまでの彼女とかけ離れていたからだ。僕は、椎名の姿で落ち込んで欲しくないのだろう。何て、優しさの欠片もないのだろう。意地が悪いのだろう。呆れるくらいに、不器用だ。
「じゃあ、僕、行くから」
 半ば強引に手を振りほどいて、僕は駅へと向かった。別人だとわかっていても、不安を抱いた椎名の姿という状況を見続けていたら、気がおかしくなりそうだった。いや、もうきっと、とっくにおかしくなってしまっている。

 電車で約三十分と自転車で十五分。僕は椎名の家の前に立っていた。
 何の躊躇いもなくインターホンを押す。数秒して、マイク越しに女性の声が聞こえる。
『どちら様ですか?』
 椎名の家のインターホンはカメラ付きだ。向こうは、僕の姿が見えているし、僕のことも知っている。だから、これは形式的なものだ。
「出口です」
『ちょっと待ってください』
 プツリと、マイクの切れる音がした。それから三十秒くらいだろうか、椎名の母親、理英(りえ)さんが出てきた。
「すみません。昨日、どうしても外せない用事があって。恵さんに会いに来ました」
「ええ、入って。恵も待ってる」
 椎名の家に来るのは、これで何度目だろう。中二のときから考えても、結構な回数になると思う。だから、部屋の位置とかは、だいたい頭に入っている。
けど、椎名の遺影の前に座るのは、何度来ても慣れない。
「恵、出口くんが来てくれたわよ」
 理英さんは、いつもそう言って、僕を部屋に通す。そして、その後の言葉もいつもほとんど同じ。
「じゃあ、話し終わったら言ってね」
 そう言って、僕と椎名を二人きりにしてくれる。
 鞄の中から、椎名が好きだったチョコレート菓子を出して、それを遺影の前に置く。線香をあげたりはしない。本当は、あげるべきなのだろうけど、僕はあえてしなかった。椎名は、そういう湿っぽい感じが似合わない女の子だった。死に対して強烈な興味を抱いていたが、それは湿っぽいというのとは違う類のものだった。
 遺影の中の椎名は、高校の制服を着ていた。とても綺麗に笑っていた。でも、彼女の危うさを知っている僕の目には、無理して笑顔を作っているようにも見えた。
「ごめん。遅れて」
 でも、本当だったら昨日会いに行くつもりだったんだ。少し、予定が狂ったんだ。しばらく、そっちには行けそうにない。けど、絶対に会いに行くから。
 その原因なんだけど。
「七緒っていう、君の姿をしたやつと出会ったんだ」
 七緒は、死にたいらしい。君がずっと知りたがっていて、自然に知ってしまったものを、あいつは手に入れたいらしい。僕は、その邪魔をする。あいつが、死なないようにするのが、僕のこの世界での、最後のやるべきこと。
「なあ、椎名。死んだら、どうなるんだよ」
 僕は、椎名は死なないと思っていた。知りたくても、知りたくても、なかなか寿命が来なくて、そうしているうちに百歳を超えてしまう。そんな人生を送るのだと思っていた。僕は先に死んでいて、後からやって来た君が、僕にこう言うんだ。
「死後の世界ってどんなところ?」
 それを聞いた僕は、死後の世界を案内する。先に死んだ先輩として、椎名が興味のありそうな場所を探しておいて、そこへ連れて行く。そうやって、二人で死後の世界を謳歌するんだ。
 もちろん、死後の世界なんて、本当は存在しないということくらいわかっている。僕は無宗教だし、輪廻転生とかも、たぶん、信じていない。けど、椎名がそれを夢見ているのなら、僕は信じたいと思う。彼女が信じている限り、僕もその存在を信じる。ないと思うよりは、あると思う方が、きっと幸せだ。
 だから、僕が信仰しているとすれば、それは紛れもなく椎名なのだろう。
 人は死んだら、自分の人生の中で、一番好ましい年齢の姿でいられるらしい。何で知ったのかは、もう憶えていない。何処かの宗教かもしれないし、小説だったかもしれない。あるいは、単なる理想。それこそ、いつだったか、椎名が語ったのかもしれない。
 もし、本当にその通りだとしたら、僕の求める容姿は決まっている。そして、たぶん、きっと、椎名も同じ答えだと思っている。いや、同じであって欲しいと願っているだけかもしれない。それほどまでに、僕には、どうしても忘れられない思い出がある。
 それは、中学三年生の夏休みの話。
 椎名と、ひたすら死に触れようとした日の話。