普段はごく普通に口紅で済ますのだが、今日ばかりはリキッドルージュをつけることにした。
リキッドルージュとは、リップグロスと口紅の効果を併せ持った、私に言わせれば魔法のようなアイテムだ。口紅は発色はいいがツヤ感に劣り、リップグロスはツヤ感は文句なしだが、どうしても発色が劣る傾向にある。唇のツヤ感と発色の両立をしたい時には、私は手っ取り早くリキッドルージュを使う。
大学生になって、百貨店の化粧品売り場をウロウロするようになった。一番のメリットはやはりBAさんにアドバイスがもらえることだ。
ちなみにBAとはビューティーアドバイザーのことだ。リキッドリュージュもデパートの化粧品売り場で勧められた。
大学生になってメイクをちゃんと覚えようとして、自分の顔を客観的に分析することが難しいことに気づいた。
目や鼻の輪郭をキリッとさせるのがいいのか、反対にぼやかすのがいいのか。
実際、BAさんには少し可愛い感じになる色合いのアイテムを勧められることが多い。目鼻立ちがクッキリハッキリし過ぎていると言われることもある。
これがファッションショーに出るのであれば、特徴を活かして、エッジを効かせるメイクをオススメしますが、普段、そのようなメイクをすると男性に距離を取られますよと言われてしまった。
そんなこんなでここ数年の間に培ったBAさん直伝のメイク術を施し、鏡で左右に顔を傾けて最終チェックをし、両耳にピアスをつける。
S字の飾りが2つずつついているピアス。今年の誕生日に私が彼にねだったものだ。
実は彼には耳に穴を開けることを反対された。親から貰った体を傷つけるみたいでいい感じがしないのだとか。
だからピアスではなくイヤリングでいいんじゃないかと再三言われていたものの、私は彼に買ってもらったものを体の上から飾るのではなくて、実際、体の一部にしてしまいたいとさえ思うようになっていた。
そう――私は彼のものなんだと主張したかったのだ。
ピアスを着けたら、今度は彼からもらったネックレスを手にとる。
8月の誕生石であるペリドットがあしらわれたムーンネックレス。このネックレスを手に私は彼から告白された。いわば私と彼の歴史の原点。だから本当に大切な時にしか身に着けないことにしている。
ちなみにペリドットの宝石言葉は、運命の絆、夫婦の愛、平和、幸福、などなど……。
髪の毛を横に寄せ、うなじを露にして、首の後ろでチェーンを結ぶ。
大学4年になっていた。彼の仕事の都合でクリスマスイブは過ごせないことか分かり、その直前の土曜日の今日、デートをしようということになった。
彼は文具メーカーで商品開発の部署に所属しており、地方で文具の展示会が入ってしまったのだ。
少し残念には思うが、彼の仕事の邪魔だけはしたくない。間違えても私と仕事とどっちが大事なの? なんていう女にだけはなりたくない。
イヴを一緒に過ごせないと分かった日、彼は申し訳なさそうな顔で、レストランは予約したからと言った。
私はピンと来た。きっと特別な夜になる。
だから目一杯のメイクと彼からのプレゼントを体につけた。もう私はあなたのものですという意思表示。いや、決意表明というべきか。
服装だって気合を入れた。黒白のボーダーのセーターに、黒のジーンズ。その上にベージュのチェスターコートを羽織る。頭には黒のニット帽。これらは全て、今日のために新調したもの。足元だけは紺と白のスニーカーは適度に履きなれたもので。
一度、張り切り過ぎて高いヒールのパンプスを履いて、足を捻ってしまったことがあった。足を引きずり、彼にも心配をかけて、おまけにパンプスまで台無しにして、散々な1日だった。
調子に乗りすぎると同じことを繰り返してしまいかねない。大切な日になると確信しているからこそ、粗相はしたくない。
待ち合わせは午前11時。駅へと向かう道すがら、ウィンドウに映る自分を見て、出来栄えを確認する。
右へ左へ体の向きを変え、軽くポージング。よし、大丈夫。自然とそう言葉が漏れた。
待ち合わせ場所に着いたのは時間の10分前だったが、既に彼の姿があった。
ベージュのステンカラーコートの中には紺色のパーカー。下はジーンズにスニーカーという出で立ちだ。相変わらず爽やかだ。実は彼のスーツ姿に萌えたりしているが、やはり普段着もいい。
目が合い、彼の顔に笑みが浮かぶ。手を振って走り寄り、私はそのまま彼の胸に飛び込んだ。仄かに香水の香り。
「お待たせ」
そのまま見上げる形で彼の顔を見る。
「どうした? 今日はテンション高いなぁ」
「当たり前でしょ」
駅前はクリスマスの鈴の音が響き渡っている。
「行こっか」
「うん」
彼について電車に乗った。
電車に揺られること1時間ちょっと。電車を下りたのはこの辺りで一番大きな地方都市の駅だ。
駅前には大きなロータリー。その向こう側にはアーケード街が繋がっているのが見える。
「とりあえず昼ごはんにしよっか?」
彼の言葉にうなずく。
「昼、何食べたい?」
首を傾げ、考える振り。
「いっくんに任せる」
そう言っていたずらげに微笑む。そのやりとりの一つ一つが幸せでたまらない。
「また僕任せ? そうやって僕を困らせて楽しんでない?」
「へっへ。バレた?」
「いおは採点厳しいからなぁ」
「そんなことないよ」
「そんなことあるって」
あれはやめよう。これにしよっか? そんなことを言いながら、ウロウロと宛もなく2人で歩くのが案外と好きだ。
宛てもなくウロウロするという行為は、無駄な時間を過ごしていると言ってしまえばそれまでだが、2人だけの贅沢な時間の使い方だと私は感じている。
飲食店が軒を連ねる雑居ビルに入ったエスカレーターで2階に上がったところで、セパレートで仕切られた空間があった。
占いの館とある。普段なら見向きもしないけれども、何故か彼が立ち止まった。
「占ってもらう?」
「占ってもらうって何を?」
「何でもいいんじゃない? 金銭運でも仕事運でも――これからの僕たちのことでも」
「でも……最低な占いが出てもしらないよ」
「細かいことは気にしない。当たるも八卦ら当たらぬも八卦ってね」
「はいはい。そうだね」
彼は普段からあまり占いの類を信じるタイプではないが、今日はとにかく普段とは違うことがしてみたいらしい。
半ばノリでセパレートの中に入った。
そこは2、3人がようやく入れる空間だった。奥に1人通れる程度の暖簾がかけられた入り口がある。
はやっていないのか、たまたまか、私たち以下に人はいない。
「どうぞ」
暖簾の奥から作られたようなしゃがれた声が私たちを出迎えた。
気後れするも、促されるままに暖簾をくぐる。
入ると狭い空間にテーブルと椅子が置かれている。テーブルの向こう側には、染めているのか地毛なのか、目までも覆うくらいに伸びた白髪の女性が座っていた。鼻から下は紫のフェイスベールで覆われていて、ほとんど顔は見て取れない。
白髪の女性は、言葉を発することなく、素振りで椅子に座るよう促す。
うなずいて私はおずおずと座った。椅子が1つしかないものだから、彼は私の後ろに立った。
占い師は何も言わずカードをめくり始めた。タロット占いだ。タロットカードを実際に見るのは初めてだから、心の中で感嘆の声を上げていた。
「ほぉ……珍しい2人だね」
「珍しいとは?」
占い師の目が私を捉えた。どこかでこの目を見た気がしたが、はっきりとはしない。いわゆる既視感《デジャブ》という奴か。
「共通点が多いね」
「そうなんです」
ズバリ言い当てられ、何だか嬉しくなってしまった。
さらに1枚、また1枚とカードはめくられる。
「名前……誕生日……血液型」
「そうです。名前と誕生日が同じなんです」
「仕事場て知り合ったね? うむ……仕事というかアルバイト先じゃな」
拍手喝采していた。凄い凄い、全部当たってる。
「私たちの今後を占ってください」
占い師が1つうなずくと、さらにカードを3枚めくった。
「もうすぐ転機が訪れるよ。でも恐れることはない。自分を信じることが大切だ」
「ずっと幸せでいられますか?」
「そうだね……相手が信じられるかどうか……だろうね」
しばらく問答を続け、3000円を払って外に出た。
興奮しっぱなしの私に対して、彼は少し冷めていた。