桜木は多分、口が軽い。

 案の定、その日のうちにバイト先に私と彼のことは知れ渡り、先輩方にからかわれた。田中さん、面食いなんだから。で、どっちから告白したの?

 この手の話に飢えているのは、高校ばかりではなくバイト先の面々も同じようで、はぐらかすのに苦労した。

 それでも田中伊織としての生活は本当に楽しかった。学校生活も充実していたが、何より恋愛は生きる糧になっていた。

 高2になり、彼とキスをした。

 彼と遊園地にも行ったし、彼の大学の友達に混じってキャンプもした。

 彼女なんだ。綺麗だね。え? まだ高校生なの? 大人っぽいね。普通に大学生かと思った。

 そんなことを言われて、不覚にも少し得意げにもなった。

 私が高3になる頃に、彼はあぐりのバイトを辞めた。就職活動に専念するためだ。

 就職活動と聞いて、彼のことが一気に大人に見えた。順調に行けば、もうすぐ彼は社会人になる。

 どんな仕事に就きたいの? そう彼に聞くと文具メーカーに入りたいのだと即答が返ってきた。

 文具のどういう部分が優れているとか、ここは他のメーカーにはない機能なんだとか、熱弁を奮い、嬉々とした彼は新鮮だったし、尊敬もした。

 同時に軽い嫉妬がチクリと胸を刺したのも事実だ。私は、ただ平凡な日々が送れればいいというあまりにも漠然とした人生の目標から脱せられないでいる。誰の目にも止まらず、誰にも話しかけらず、朝から晩までただ息を殺しながら過ごしていた頃とは何もかも違うはずなのに。