呼んでくれた人の中の一人のところでお世話になることになった。

 誰も知らない場所で穏やかに新生活を始めるはずだった。目立たずひっそりと誰とも関わらず。そう心に決めて。

 しかしそうはいかなかった。

 胡桃山――。この珍しい名字のせいですぐに事件のことがバレてしまう。被害者のはずなのに、ここでも、あの余計な記事のせいで世間はそうは見てくれない。

 疑わしきは罰せずは机上の空論であり、火種のないところに煙は立たないという思想の方が、人々は優先するということを身をもって知った。

 可哀想だとは思うけれど、あんな記事を書かれるくらいだから、刺されるくらいのことをしてたんでしょ。

 父のことを何一つ知らないはずなのに、そうキッパリと決めつけられて、堪りかねて泣いてしまったことも一度や二度ではない。

 さらに嫌がらせの矛先は私たちの周囲にも広がっていく。お世話になっている人のお宅に無言電話が続いたり、壁に落書きされたり。

 ひたすらに平謝りして、母と逃げるようにして、その家を出ることを何度か繰り返し、気づけば私は15歳になっていた。