写真を撮り直してから活動は活発になり始めたが、賢介が会いたいと思う女性には断られる。一方申し込んでくれるのは、賢介が興味を持てない女性ばかりだ。
パソコンのプロフィール画面では、女性の人柄まではわからない。だから、写真を見て選ぶことになる。ほかの男性会員も条件は同じなので、容姿のいい女性には人気が集中し、倍率は高い。見合いを申し込んでも断られてばかりだ。
それに、賢介の婚活市場価値は低い。五十歳で離婚歴もある。しかも、会社員ではないので収入が不安定だ。そんな婚活三重苦を受け入れてくれる女性には離婚歴があったり、子どもがいたりする。相手の離婚歴は気にしていないが、子どものいる女性との再婚には腰が引けた。もし、その子が男の子で、中学生くらいだったら――と考えると消極的になる。今の中学生は体が大きい。反抗され、殴られるのが怖い。
 こうして相談所で活動しているうちに、賢介はある傾向に気がついた。自分に興味をもってくれる女性は、専門職がほとんどだ。堅実にデスクワークをしている女性はフリーライターを避ける。自営業の男の将来に不安を感じるのだろう。
ふり返ると、過去に賢介が交際した女性はすべて、親が自営か経営者だった。彼女たちは不安定な仕事に免疫があったのだろう。

 次に見合いが成立したのも専門職の女性だった。アニメの音楽を中心に作詞作曲している三十七歳のシンガーソングライターで、名前は風祭さやかといった。ネットで検索すると、中堅の芸能プロダクションと契約を交わしている。その会社のホームページにプロフィールもアップされていた。彼女が作り、歌っていたアニメのいくつかは、賢介もタイトルを知っていた。しかし、どれも少女向けだったので、番組を見たことはない。
 見合いは月曜日の午後七時、表参道交差点近くにある結婚式場が経営するカフェだった。賢介もさやかも自由業なので、店が混む週末の見合いを避けたのだ。
場所と時間は本人たちの希望を確認した上で担当カウンセラー同士が電話で話し合い、落ち着いたカフェが選ばれる。多くの場合は、ホテルのラウンジや結婚式場内のカフェになる。周囲に話を聞かれないように、テーブルの間隔が開いているからだ。
 賢介は約束の時間の二十分ほど前にカフェに着いた。双方の名前で席が予約されていると、児島から連絡を受けていた。入口で名前を言うと、奥の静かなテーブルに案内された。店のスタッフが見合いと心得て静かな環境を用意してくれたのだろう。
月曜日の街は静かだった。ほかに客はいない。賢介は店の入口側に背を向ける椅子に腰を下ろした。
「ご注文はお連れ様がいらしてからでよろしいですか?」
 黒いパンツスーツ姿のウェイトレスが柔らかい表情で確認する。
「はい。そうします」
 賢介も努めて笑顔を作った。
 見合い相手に会うまでの時間が賢介は苦手だ。落ち着かない。手持無沙汰でもある。携帯型のデジタル音楽プレーヤーで音楽を聴くのはもちろん、本を読んで待つのも失礼になる気がする。
しかたがなく、広い窓から、表参道の人の流れをただ眺めていた。六月に入り陽が長くなっていた。この街を歩く女性たちは気が早く、半そでやノースリーブも珍しくない。
「石神さんですか?」
 高音域の声にふり向くと、ネイビーのジャケット姿の、小柄で細身の女性が首をやや右に傾げて立っていた。風祭さやかだった。
髪はかろうじて肩にかかるくらい。相談所のホームページのプロフィール写真と同じ顔でほっとした。ネットで発見した彼女が所属するプロダクションのホームページ上のプロフィール写真とも同じだ。三十七歳のはずだが、もっと若く見える。実年齢を知らなければ、三十歳くらいだと思っただろう。
「風祭さんですね?」
「はい。はじめまして」
 さやかは、首をかしげたまま笑顔を見せた。アニメの歌を歌っていると声もアニメのようになるのか。あるいは、高い声だからアニメの仕事を選んだのか。少女のようにしゃべる。そういったところも、三十七歳には思えなかった。顔が小さく、口も小さく、大きな瞳がやはりアニメのキャラクターのように目立っていた。
 賢介はホットコーヒーを、さやかはアイスカフェオレを注文した。
「風祭さんは、ずっとシンガーソングライターを?」
「はい。石神さんはずっと書くお仕事を?」
「そうです」
見合いはさしさわりない会話から始まった。
「相談所のプロフィールを拝見しましたけれど、音楽大学を出られたんですよね?」
「父も母も作曲や演奏を仕事にしていたので、中学からずっと音楽の学校へ通っていました。だから、会社員はまったく考えませんでした。石神さんも子どものころから本のお仕事に就きたいと?」
「いえ。僕は成り行きです。学生時代にアルバイトでスポーツ新聞の記事を書いていて、そのまま。二十代のときに一度出版社に勤めましたが、三十代でまたフリーライターに戻りました。相談所のホームページにある僕のプロフィールの離婚歴については?」
「離婚歴一回で、お子さんはいらっしゃらないと書かれてありました」
「社内恋愛で結婚して、離婚をきっかけに会社を辞めました」
「元の奥様はまだその会社に?」
「さあ……」
 離婚後は元妻との交流はない。
「そういうとき、女性側が会社を辞めるほうが多いですよね?」
「僕のほうはフリーライターでなんとか食べていけそうだったので」
「石神さん、優しいんですね」
 さやかが微笑んだ。
優しいのではない。賢介は現実から逃げたのだ。
「風祭さんの結婚する相手への希望は?」
「私はただ仲よく手を取り合って暮らしていきたいです。あとは、今までのように歌うことは許していただきたいかな」
「それだけですか?」
「はい。ほかには希望はありません」
「条件がそれだけならば、いい男性、いくらでもいたんじゃないですか?」
「私もそう思っていたんですけれど……」
「いなかった?」
「ええ。これまでに五人の男性とお見合いしたんですけれど、皆さん、とても封建的でした」
「封建的?」
「仕事は辞めてほしいって。外出はせずに食事を作ってお掃除をして待っていてほしいって、皆さんおっしゃって」
「仕事が忙しい、年収の高い男性とばかりお見合いしたんじゃないんですか?」
 結婚相談所に入会するには収入証明書の提出を求められている。そして、男性会員の場合、その金額はホームページ上のプロフィールにアップされていた。
会社員ならば、勤め先からもらう源泉徴収票の写しを一枚提出する。フリーランスで複数の出版社から収入を得ている賢介は、前年の源泉徴収票のコピーを束ねて渡した。電卓で計算したら、トータルの年収は八百五十万円ほどだった。
女性会員も、入会の際には収入証明が必要だと聞いている。しかし、プロフィールに金額はアップされていない。男性会員は、女性の年収はあまり気にしないからだろう。
「私、自分も働くつもりだから、男性の年収は三百万円以上あればいいんです。実際にはもっと収入の多いかたともお見合いしましたけれど、年収が多い人も、多くない人も、私には仕事は辞めてほしいと」
「でも、年収三百万円で二人が生活するのは苦しくないですか?」
「やりくりできなくもないけど、きりつめた暮らしにはなりますよね。男の人ってあまり現実的なことは考えないのかな。実は、私、石神さんにお見合いを申し込むまでは、会社員の男性ばかり選んでいました。自分の仕事が不安定だから、安定して収入がある人と一緒のほうが安心だと思って」
「僕が女性だったら、風祭さんと同じように考えます」
「でも、会社員のかたには、私の仕事、なかなか理解していただけないみたいで」
「それで、フリーランスの僕に申し込んだわけですね?」
「ええ。自分自身も好きな何かを職業にしている人のほうが、わかり合えるかなと」
 企業に属してシステムの中できちんと仕事をする組織人タイプと、自分で仕事を作り出す職人タイプは、そもそも思考が違う。人種が違うといっていいかもしれない。同じ肌の色をしていても、中身が違うので、理解し合うには努力がいる。結婚を考えるならば、組織人同士、経営者や自営同士のほうがうまくいきやすい。
 もちろん、企業に属して、新しい何かを作ろうとし、自分のいる環境を巧みに利用し、大きな成果を上げる人間はいる。このタイプが組織の幹部になるのだろう。
しかし、彼らは結婚相談所に登録などしない。自力で相手を見つけて、すでに結婚している。積極的だからだ。しかも企業にいれば、周囲にいくらでも女性がいるので、相手には困らない。女性たちもほうってはおかない。
「石神さんは、どんな女性をお探しですか?」
 さやかが首を傾け、視線を向けてきた。右に首をかしげるのは癖らしい。
「僕は自分が素でいられる女性と巡り合いたいかな。趣味とか好きな食べ物が同じ相手と会うのは難しいと思っています。だから、それぞれ自分で楽しむ何かがあり、一緒にできることは一つあれば十分です。年齢を重ねて自我ができあがっちゃっているから、なにもかも相手に合わせられないので」
「それこそ、いくらでも見つかりそう」
「自分が素でいられるような女性って、そんなには出会えないですよ。一度のお見合いではわからないのかもしれませんけど」
賢介は三度目にして初めて見合いらしいものを体験した気がした。初回の緑川沙紀のケースは見合いとは言いがたい狂乱の夜だったし、前回の花園恵とは会った瞬間から騙された気持ちになってまともに会話ができなかったからだ。