夜遅く、気分よく原稿を書いていると、マナーモードに設定した携帯電話が三回震えた。メールを受信したらしい。
愛子か? 琴美か? わくわくして画面を開く。
〈緑川沙紀さんからメールを受信しました〉
 画面に表示された。
 なんの要件だろう? またパーティーの誘いだろうか?
メール画面を開くと、意味不明の文章が表示された。
〈あなたは年齢を7歳もサバ読んで私に食事をご馳走させました。詐欺行為です。あなたとの3回の食事代の約半額、15000円を下記の口座に三日以内に振り込んでください。三日以内に振り込みが確認されない場合は、少額訴訟します〉
 文章の末尾には、銀行名や口座番号や名義も記されている。
画面を見つめていると、再び携帯電話が震えた。今度は通話モードである。受信ボタンを押すと、いつもよりも高い沙紀の声が響いた。
「もしもし、私、沙紀ちゃん」
「今、妙なメールが届きましたけど」
「それについて、石神君に相談したいの」
「そもそもこのメール、何でしょう?」
「転送」
「転送?」
「うん。さっき沙紀っちゃんに届いたメールを転送したの」
「沙紀さんがこれをもらったというわけですね」
「そういうこと」
 どうやら、年齢を偽って参加した婚活パーティーで出会った男性の逆鱗にふれたらしい。
「この前のパーティーの広告代理店勤務の男?」
「うん。ちょっと感じがよかったから、あの後、二回ご飯したんだ。それで、今日、実年齢を打ち明けたら、このメールが来たの。こんなに人間がちっちゃいヤツだとは思わなかった。年齢のことくらいで」
 沙紀は逆ギレしているが、七歳も年齢を偽られて気分を悪くするのは当然だろう。それにしても、一度ご馳走した食事代を返せという要求もせこいか。
「で、沙紀さんはどうするの?」
「それを相談したくて、電話したんじゃないの。石神君が同じ立場だったら、どうする?」
「僕は年齢を偽らないですけどね」
 そう言いつつ、二度目のパーティー参加で年収を偽ったことが頭をよぎる。
「そんなこと訊いてるんじゃないの。このメールにどう対応するかってことよ」
「一万五千円払います」
「払うの!?」
「払います。だって、ご飯代を返せと言うなんてふつうのやつじゃないでしょ。だから、縁を切る。あとでなんか言われないようにお金払って、メールは着信拒否設定。異常なやつと無関係になるのに、一万五千円は高くないと思いますよ。そもそも、沙紀さん、自業自得ですよ」
「へえー。石神君、けっこう弱気なんだね」
「人に意見を訊いておきながら、ばかにするのって、失礼だと思うけど」
「沙紀ちゃんは、払いたくない。だって悪いことしたわけじゃないもん」
「じゃあ、払わなければいい。これからもしつこくメールが来ますよ。ほんとうに訴訟するかもしれない。年齢を偽ったことを悪くないと思うのは沙紀さんの理屈で、向こうは腹を立ててるんだから」
「ふうーん」
 沙紀は納得していない様子だ。
「期日までまだ三日あるんですよね? ふた晩、考えればいいじゃないですか」
「そうするよ」
「ところで、沙紀さん、広告代理店君としましたか?」
「したって?」
「だから、ブスッと刺されましたか?」
「刺されてない」
「刺されてないんだ?」
「うん。沙紀ちゃんだって、体の相性だけで相手を選ぶわけじゃないからね。ハートのところで付き合えるかどうか、まだ迷っていたから、していない」
 沙紀の口から「ハートのところ」という言葉がでたのは予想外だった。
「沙紀ちゃん、だれとでもするわけじゃないよ。あっ、石神君、もしかしたら、嫉妬してた?」
「していません」
「素直じゃないなあ」
「していません」
「まあ、嫉妬なし、ということにしておいてあげるよ。とにかく、ありがとう。一万五千円男への対応はもうちょっと考えてみる」
 そう言って沙紀は電話を切った。