カラカラ、カラカラ、カラカラ、カラカラ。
水面でコースロープが揺れている。
 七コースあるプールの第六コースが、僕が練習するレーンだった。淡い水色に塗られたプールの内壁には白いタイルが埋め込まれ、昨年までは黒く「6」と書かれていた。しかし、冬の間にタイルの上部が欠け、今はいびつな「0」に見える。
プールサイドには、一年生から三年生まで、二十人を超える水泳部員がいた。全員が水着の上にブルーのジャージをはおっている。背中には濃紺の糸で「ASAGAYA HIGH SCHOOL SWIMMING TEAM」と刺繍されていた。
部員は第六コースのスタート台を中心に集まり、僕を応援する体勢を組んでいる。
誰も、ひと言も、声を発しない。姿勢を崩すこともしない。
風がかすかにコースロープを揺らす音と、ジージーという油蝉の声と、ほかの運動部の掛け声が遠く響くなか、僕は集中力を高めていく。
「石神、あと五秒」
 ストップウォッチを手に一人だけ立っている二期上のOB、青木の声が響く。「石神」と言うのは僕の名字だ。フルネームは石神賢介。水泳部ではおたがい名字で呼び合っていた。
プロの水泳コーチを目指す青木は、高校卒業後も毎日練習メニューを作って僕たちを指導していた。
青木の日焼けした裸の上半身は剛毛に覆われている。無秩序にからまる胸毛は、まるでバリケードの有刺鉄線だ。
胸にも肩にも筋肉が太く浮き上がる仁王像のようなこの先輩が、一年ちょっと前には高校生だったとはとても思えない。瞳はビー玉のように大きく、まつ毛がひさしのように長い。旧石器時代のクロマニヨン人のような風貌が部員に威圧感を与えた。
僕は肺一杯に酸素を取り込んで呼吸を整える。プールに溶けている塩素の匂いがツンと鼻腔を刺激した。
「よーい、GO!」
 青木の野太い声を合図に、水の中で僕は壁を思い切り蹴った。
「それっい!」
沈黙していた水泳部員全員が水面に向かって気合の声を上げる。
 一回、二回、僕は水中でドルフィンキックを打つ。
いい感じだ。
 体が水面に浮かぶと左右二回ずつ交互に大きくバタ足を打つ。姿勢が安定する。まず右手から、前腕で体の下に水を思い切り引き寄せた。
 四ストロークに一回、右後方に顔を上げて呼吸をすると、チームメイトたちの声援が耳に響いた。
 僕は自分の腕を励ます。
〈もっと、もっと〉
僕はぐんぐん加速する。
〈もっと遠くの水をつかめ〉
体が水にのってくるのがわかる。
大丈夫だ。しっかりと水をキャッチしている。
二五メートルのターンは十五ストローク目。いつもどおりだ。利き腕の右手からターンに入った。
ぐいと水を寄せて思い切り体を折り曲げて回転し、壁を蹴る。折り返してからは前半よりもピッチを上げる。後半は十六ストロークで五〇メートルの壁にタッチした。水飛沫をあげ、プールから顔を上げる。
「二十九秒八。よし。上がっていいぞ」
 青木が居残り練習の終わりを告げ、僕の体の緊張がほどけていく。
顔を上げ、肩で呼吸をしながら、ほんの二十秒ほど前に折り返した向こう岸をふり返る。陽が沈みはじめ、水面は熟れるような紅色で揺れていた。

その夏、東京の平均気温は平年よりも一度以上も高く、観測史上最高を記録した。陽の光を反射させるアスファルトの路面を歩くと足が沈み、靴底の跡が残る。プールではぬるい水がオイルのように体にまとわりつく。中杉通りの欅並木の油蝉は狂ったように鳴いていた。
この夏、ローリング・ストーンズは「ミス・ユー」、ザ・フーは世界一手数の多いドラマー、キース・ムーンの遺作「フー・アー・ユー」をヒットさせた。
東京都立阿佐谷高等学校で三年目の夏休みが近づき、僕は毎日二五メートルのプールを往ったり来たりしていた。

 杉並区にある阿佐谷高校は、中央線阿佐ヶ谷駅(土地の名は「阿佐谷」で、駅名は「阿佐ヶ谷」だった)から中野区と杉並区を結ぶ中杉通りを南へ歩き、住宅街に入ったところにある地味な中堅進学校だ。一九七〇年代の都立高校の入試は学校群制度で、受験生は自分が住む学区の高校しか選べなかった。阿佐谷高校は、同じ学区の宮前高校、弥生高校という都立の名門進学校に学力が及ばない中学生が受験する学校である。
阿佐高には制服はなく、Tシャツにジーンズで通学する生徒も多い。「自主」「素直」「気魄」「文武両道」を教育方針に掲げているが、学力が中途半端だと“素直”とか“気魄”といった精神性を強調するしかないのだろう。つまり、中学時代をぼおーっと過ごし、受験前だけちょこっと勉強した者が進む学校である。それでも合格した時、僕の両親は大喜びした。学費が一か月わずか二千円だったからだ。
阿佐高は都内にありながら敷地だけは広い。面積が約三万五〇〇〇平方メートルもあり、プロ野球の読売ジャイアンツがホームゲームを行っていた後楽園球場のグラウンドがすっぽりと三つ収まる。学校はこの無駄に広い土地をもてあましていたのだろう。大部分は雑木林で、雑草は生えるがまま、夏になると生徒たちの腰のあたりまで伸びた。
そんな敷地の隅、草に埋もれるように、水泳部が練習するプールはあった。コンクリートブロックが積まれた外壁にはひびが入り、そこがプールだと知らなければ、貯水池としか思えないたたずまいだ。