残りの高校生活は死んでいた。希衣のいない世界に、華なんてなかった。
悲しみは底知れず、そんなあたしに触れてはならないというように、いつしか友達も周りから去っていった。
完全に塞ぎ込んでしまったあたしに受験勉強などできるわけがなく、ことごとく大学受験に落ちたあたしは、事実上無職になってしまったのだ。
両親は最初、ただあたしの心配をしていたが、このころになると嫌でも口うるさく言ってきた。
お前は何も悪くないのだから、いい加減前を向け。勉強して進学をするか、就職しろ。希衣のことはもう忘れなさいと。
あたしは何もかも嫌になっていた。希衣のことを忘れることなんて、できない。できるわけがない。何をしても意味なんてない、きっとあたしもすぐに死ぬんだ。
そう思って、あたしは小説を書くこともしなくなった。
寝て起きるとだいたい午後三時で、両親が仕事に行っているのを確認し、冷蔵庫を漁る。
適当なものを口に運び、かろうじて命は繋ぎとめていた。
部屋に戻り、SNSの世界に入る。特にやることもなくて、どうでもいい呟きばかりを繰り返していた。
そんな生活を卒業から三か月も続けると、筋肉は衰え、骨と皮のミイラのような状態になってしまった。
本当に死ぬ直前だったと思う。そんなある日、こんな呟きが流れてきた。
『やばい、ほんとこれ泣いたから読んで。感動して涙が止まらない。こんな作品に出会えてよかった。作者さん、ありがとう』
その文章の下に、リンクとスクリーンショットが張りつけられていた。
たまたま目に入ったそれは、どこかで見たことのある題名。よく見てみると、あたしのサイト上のペンネームが記されていた。
「あれ、あたしそんなに感動するような話書いたっけ」
ベッドに横になりながら、リンクをタップする。
たしかにそれは、あたしが昔書いたもので、しかもかなり初期のものだった。
こうも無気力に時間を過ごしていると、自分が書いた物語すら忘れてしまうらしい。
あたしは、十万文字近くある物語を読み始めた。
語彙力や構成、ともに酷いものだった。
だけども、そこには過去のあたしが伝えたい事や、今ではとても書けないような内容で溢れていた。
あたしの得意だった、命に関する物語。まだそれほど経験したことの無かった苦しみを、いかにも知っていますよと言わんばかりの作品に、思わず笑いが込み上げてきた。
「本当に、何も知らなかったんだなあ」
自分の作品を笑いつつも、そんな無知で純粋無垢な過去のあたしが羨ましくて仕方がなかった。
だんだん、今までとは違った涙が込みあがってくる。
何も知らないあたしの話は、それでも誰かに何かを伝えたいんだと、必死に叫んでいるように思えて、自分の作品なのに泣いてしまった。
そうだ、結局作者が一番その物語に影響されるんだ。
笑いの対象は、昔のあたしではなく今のあたしの方だ。
何もしようとせず、夢までも忘れて、いつまでも過去に縋(すが)り付いて。
あたしは生きているのに何をしているのだろう。生きている限り、時間は止まってはくれない。
進み続ける時に逆らうのではなく、過去を腕の中に抱えても前に向かって歩いた方が楽なんだ。
あたしはサイトを閉じて、体を起こす。忘れていた、大切なこと。希衣の最期の言葉。
『優ちゃんの作品、大好きだもん!』
希衣が、あたしの心を動かした。約一年半ぶりにパソコンを起動させる。少しでもブランクの分を取り戻したかった。
物語を想像すると脳を使うのか、お腹が空いたのでキッチンへ向かう。
そこで、何か健康的な料理が食べたくて、自ら家族三人分の料理を作った。
夕飯に食べてもらおうと思ったんだ。
両親は帰宅後、いつもと違う光景と更生したあたしに喜んで抱きついた。
あたしは、ようやく前に進み始めることができたんだ。
それからは、物語上の希衣のような生活を送っていた。
バイト三昧のあと、小説を書きなぐりコンテストに応募する。思うように結果が出ないの繰り返しで、ついにお母さんに言われてしまった。
「あと一年以内にデビューできなければ、小説家になることはあきらめて、ちゃんとしたところに就職しなさい」
あたしは焦った。焦って書こうとすると余計に物語が面白くなくなって、最悪の連鎖だった。
そんな時、あたしはまた希衣を思い出した。いつもあたしの話を、自分のことのように嬉しそうに聞いてくれる希衣。
あの子に夢はなかったのだろうか。もしあたしが希衣の代わりに死んでいたら、どうなっていたのだろうか。
そんな思いからこの物語が生まれ、見事受賞へと繋がったんだ。
あたしは、目の前の本をそっと撫でる。
「現実は全然この話みたいにうまくいかないし、希衣は幽霊になって出てきてもくれなかったね」
あたしは、笑いながら嫌味っぽくそう言った。きっと、あたしに見聞きできないだけで、実際は目の前にいるのではないかと思う。
現実は小説(フィクション)とは違って、厳しくて。
当たり前だけど、物語上のあたしが希衣を助けに来るように、希衣はあたしの目の前に現れてはくれなかった。
「でも……希衣が現れてくれなくても、そばにいるってわかるよ。小説とは違えど、何度もあたしのことを助けてくれたもんね」
何度もあたしに夢を与えてくれた。何度も励まし、応援してくれた。それは、希衣が希衣だったから。
あたしはまた、自分の作品に影響された。
あたしは、希衣の代わりになんてなれない。誰だって、他の誰の代わりにもなれない。
一年後だって、十年後だって、百年後だってそう。
あたしはあたしだ。
それが、「もし希衣の代わりに死んでいたら」の答えだって気づいたんだ。
「あたし、書籍化って夢を叶えたけど、これからも新しい夢を追い続けるよ。
二作目も三作目も世に出して、いつか映画化するって夢もできた。調子に乗るなって言わないでよね。難しい夢だって、何年かかってでも絶対に叶えてやるんだから。だから……見ていて」
合わせていた手を下ろし、ゆっくりと立ち上がる。
部屋中の写真が微笑むように暖かく、あたしの背中を押しているようだった。戸に手をかけ、部屋を出る。
『─────おめでとう。頑張って───』
背後から、そんな声が聞こえた気がした。
〔完〕