だが、義兄に了承を得る前も大変だった。

『目標大学近くの予備校にこの夏から通うつもりですが、隣のシェアハウスを紹介してもらえませんか?』

如月家に電話を入れると、それを小耳に挟んだ美月が、『家で暮らしたらいいじゃない』と先の通りごねてしまったのだ。

しかし、ナオの意思が固いと悟ると、『私が仲立ちしてあげる』と言ってオーナーに交渉してくれたのも……美月だった。

すぐに入居が許されたのは、おそらくオーナーが美月の幼馴染だったからだろう。

正直な話、ナオは心苦しかった。こんなに良くしてくれる美月を、何となく欺しているような気がして……。

なのに美月は、「独立かぁ、ナオちゃんって偉いね。カッコイイね!」と褒めてくれる。彼女のこういう素直なところが、ナオのコンプレックスを刺激するとも知らず。

「カッコイイってどこがですか? 自立といっても、遺産が自由に使えるのは二十歳過ぎ、金銭的には未だにおんぶに抱っこ状態です。ただ……義兄も近い将来結婚するそうです。なので……お荷物になりたくなかっただけです」

それは表向きの理由だった。本当は義兄から逃げ出したかっただけだ。

――結局、義兄からも逃げ、従姉妹からも逃げ……逃げてばかり……。

「うーん、いっぱいあるけど、そういうハッキリ物申すところとか、ボーイッシュな見た目もいいなぁって思うよ」

そんな風に言う美月の声を遠くに聞きながら、ナオは自分の性格を思う。

意地悪で捻くれ者――美月とは月とスッポン。だから彼女を目前にすると、その瞳にいる自分が虚無の深淵に突き落とされるようで、それが猛烈に嫌だった。これが二つ目の理由だ。

そんなナオに頭の中で誰かが囁く。『弱虫で卑怯者』と。そのとおりだ。ズンと心が重くなる。

なのに次の瞬間、ナオはフワッと身体が軽くなったような気がした。

「おい!」

背中の方から声が聞こえ、手に持つボストンバッグとキャリーバックが奪われたからだと気付いたのは、二秒ほど経ってからだった。

「えっ!」と驚き振り向くと、青いシャツがナオの目前にあった。それを辿り見上げると、とてつもなく目つきの鋭い男性がいた。

――“や”の付く危ない人?

悲鳴も出せずに固まるナオを、彼は無視して美月に「くっちゃべってないで行くぞ!」と言い顎を明後日方に向けた。

――何なんだこの人?

ナオが目をパチクリしていると、「あっ、忘れてた」と言いながら、美月はグーの手でコツンと自分の頭を叩き、ペロッと舌を出す。

“あざとい”と思われがちなこういう仕草も、美月のような計算のない子がすると“可愛い”になる。

――やはり『美しい』は正義だ。

ナオがしみじみ納得していると、美月が「ごめんね」とその人に謝り、「紹介するね」とニッコリ笑った。

その笑みにつられてなのか、男性の鋭い眼が少し柔らかくなる。

「ナオちゃん、彼が幼馴染でシェアハウス朔のオーナー葛城朔よ。で、彼女が従妹の朝田ナオちゃん。苛めたら許さないからね」

――この人が……シェアハウスのオーナー?

彼の眼がチラリとナオを見る。だが、その目は元に戻っていた。

「やだ、ナオちゃん、そんなに怯えないで。朔はウルフみたいだけど……あっ、ウルフっていうのは朔のニックネームね。でも、怖い奴じゃないから大丈夫」

ウルフ=狼。十分怖いじゃないか!

「なぁ、お前、高三になってもまともに挨拶ができないのか?」
「ちょっと朔、今、言ったばかりじゃない!」

語気を強めた朔のバリトンの声がナオを震え上がらせ、その朔を美月が叱る。

否が応でも分かる。三人のヒエラルキーの頂点は美月で、ナオは最下位だということが。

――もう、やだ……。

またもやコンプレックスが刺激され、ナオは激しく落ち込んだ。そして、八つ当たりのように朔を恨んだ。