自慢じゃないけど、わたしの小さな頃の夢は玉の輿に乗ることだった。幼稚園の七夕飾りの短冊に「金持ちの男の人とケッコンしてお金持ちになりたい」って書いて先生たちの度肝を抜いた。
お嫁さんになりたいではなく、金持ちになりたい。で、それをまた実践しようとしていたのだから我ながら恐ろしい幼少時代だった。
幼稚園の年中組にはアツシくんという、お父さんがどこぞの会社の社長さんという男の子がいて、五歳のわたしはさっそく彼に目を付けた。ところがアツシくんは見事にわたしを嫌ってくれて、
「マコちゃんがいじめるー」
とことあるごとに先生の後ろに隠れるようになってしまった。まあ、
「あたしとケッコンするって言わなきゃ石ぶつけてやるから」
などとやってれば嫌われて当然なのだが。
アツシくんはきっと先生が好きなんだわ、とはよく思ったものだけど、その考えは今も変わってなかったりする。男ってのはいつでも年上の女性に憧れるものらしいから。
アツシくんとの恋に夢破れたわたしは、次のターゲットを小学一年生で隣の席になったイナバくんに定めた。イナバくんのお父さんは地元では子どもでも知ってるチェーンのお弁当屋さんの社長さんで、この人とケッコンすれば一生メシには困らないわとあたしは信じて疑わなかった。
クラスでいちばん背の高かった彼は子どもにしては落ち着きがあって優しくて、狙ってる子はたくさんいるみたいだったけど、わたしは隣の席という権限をフルに活用して他の女を絶対に彼に寄せ付けなかった。二学期で席替えになる前にイナバくんとの間に固い絆を結んでおかなくてはと、それはもう必死だった。
その甲斐あって、夏休みには彼の家へと遊びに行くくらい仲良しになっていた。
「絶対に絶対に絶対に! 今度もイナバくんと同じクラスになれますように」
乙女のささやかな願いを天の神が聞き届けてくれたのか、それともその裏にある欲と野望とに悪魔が微笑みかけてくれたのかは知らないが、それから三年間ずっとイナバくんとは一緒のクラスになれた。
わたしとイナバくんとは本当に仲良しで彼はとってもおもしろい人でいくら一緒に遊んでも飽きなかった。向こうもわたしのことを「おもしれえやつ」と思っていたに違いない。
ある日わたしは思い切って尋ねてみた。
「イナバくんは何歳くらいで結婚したい?」
「わかんないよ、そんなの」
「じゃあ結婚式は? どんなふうにしたい?」
「どんなふうって?」
「ドレスがいいとか、着物がいいとか」
「うーん。うちの父さんと母さんの結婚式の写真は着物だぞ。母さん白い帽子みたいのかぶってさ。おまえんちは?」
「うちは結婚式やらなかったって」
「うそだろお。そんなことあるのか? どうしてやらなかったんだ?」
「ビンボーだからじゃない」
イナバくんはびっくり顔で何度もまばたきしながらわたしの顔を見ていた。
「ねえねえ。イナバくんは着物と洋服とどっちがいいの?」
「うーん、ハカマだよな、あれ。そっちのが良いかな、男って感じするじゃんか」
それならわたしは白い帽子をかぶるのね、と言おうとすると彼が続けてこう言った。
「結婚式って親戚とか友達とかいっぱい呼ぶだろ。おれ、おまえのこと呼んでやるからな。そしたら絶対来てくれよ」
「…………」
違うだろ! ボケ!! 多分わたしはそんなようなことを叫んだのだと思う。というのも頭に血の上ってしまったわたしは我を忘れてしまってその直後のことはよく覚えていないからだ。
ただイナバくんに世にも恐ろしい仕打ちをしてしまったことだけは確からしい。すっかり怯えた彼はわたしを恐れて近寄りもしなくなってしまったので。あんなデリカシーのない男こっちから願い下げだったから良かったけどね。
その頃うちの両親が離婚して、小さな溶接工場の社長さんがわたしの新しいお父さんになった。母親はしたり顔で言ったものである。
「顔のいい男より不細工な男の方が金を持ってるんだからね」
今でなら鼻で笑うとこだけど、この頃のわたしは素直なだけが取り柄で、ふうんそうなのか、でもやっぱりカッコイイお父さんが良かったなあなんてことを思っていた。子どもにしてみればお母さんにはいつまでも若くてきれいでいてほしいし、やっぱり若くてカッコイイお父さんはとっても自慢だ。
よし、わたしはカッコよくてお金持ちの男を見つけてやる! と決意を新たにし、わたしは中学生になった。
中学生ともなると、なになに君が好きだの告白しただの振られただの誰それが付き合ってるだの別れただの、女の子たちはそんなことでピーチクパーチクうるさいったらありゃしない。なんてことを思いつつ、わたしも男の子を物色するのに余念がなかった。
ところで、中学一年生でわたしは初めて親友を得た。自称親友だったけど。趣味が合ったし話も合ったし、一緒にいてもいいかなあくらいの仲だった。現に二年でクラスが変わったらそれっきりだったし。中学生のときってみんな親友っていうのを作りたがるものらしい。
で、仲良しこよしな時期にその子が真面目な顔をして尋ねてきたものだから、わたしは今まで誰にも話したことのない家庭の事情ってやつを話した。その子はいたく同情して優しい言葉をかけてくれた。
よくドラマなんかで不幸な主人公が同情なんてまっぴらだってセリフを吐いているけれど、あれって嘘だと思う。そういう人もいるだろうけど、そういう人ばかりじゃない。少なくともわたしは同情されるのを気持ちいいと感じたし、その子に開口一番「かわいそう」と言われて、初めて自分がかわいそうなのだと自覚した。それまで他人の意見を聞いたことがなかったから傍から見たら自分の家がどういうふうかなんてわからなかったんである。
「あたしたち親友だよね。だから何でも話してね」
友達は浅く広くいるけれど、トイレにまで連れ立っていくような付き合いはしたことなかったから、こういうノリはわたしにとってとても新鮮だった。
幸い話のネタには事欠かなかったし、その子はわたしが毎日毎日吐き出す愚痴を辛抱強く聞いてくれた。わたしの言うことすべてに同意し、耳優しいことだけを言ってくれる。だからわたしはその子に腹を立てることもなかったし良好な関係のまま一年間の付き合いを終えることができた。
その頃のわたしには、こういう毒にも薬にもならないストレスのはけ口になってくれる相手こそが必要だったのだろうと思う。情けない話だけど、そんなことでわたしは救われていた。それだけのことで救われてしまうくらいどうしようもない子どもだったのだ。
恋多きわたしとは違って、その子には小学生の頃から片思いをしている相手がいた。けっこう人気のある目立つ男の子で、わたしは最初ふうん、なんて思っていたけど、でもそのうち、確かに好かれるだけのことはある人だと思い始めた。
元気でおかしなことばかり言っているかと思えばちゃんと気の付く優しい人で、そのやさしさがわざとらしくない。自然にさりげなく人のフォローをしてあげられる人。この人は大人だねえ、とわたしは感心したものだった。
聞いたところによると彼のお母さんは外国の人で、彼のお父さんが駆け落ち同然で日本に連れ帰り結婚したのだという。そのことで彼自身いろいろ思うことがあったらしい。
「そういう嫌なことを表に出さないのはマコちゃんと一緒だね」
そう言われたけどわたしは彼の方が何倍も偉いと思った。自分の性格に難があるのは自分がいちばんよくわかってる。人に決して優しくないことも。比べて彼は、本当に出来た人だった。
その彼にも好きな人がいるのだとその子は言っていた。
「だからいいんだ。片思いで」
わたしには逆立ちしたって到底言えないセリフだった。そのうえその子がわたし以上に親しくしている友人こそが彼の片思いの相手だと知ったときには、わたしはひっくり返りそうになってしまった。いやはや、感心もしたけれど、心の隅で怖いなあと思ってしまった。怖いよ、女の子って。
実は彼のお父さんは小さな貿易会社を営んでいる人で、結構なお金持ちらしかった。長男の彼は当然後継ぎで、それだけでわたしの食指を動かす要素は十分だったのだけど、何故かわたしは彼とだけは仲良くなろうとは思わなかった。
友達の好きな人っていうのも勿論だし、競争率が高そうだったし、そんな人をわざわざ選ぶなんてわたしらしくないと訳の分からない理由を付けて、彼のことだけは意識しないようにしていた。
そう、意識しないふりをしながら、その実めちゃくちゃ意識していたんである。大人になって思ってみれば、あれが私の初恋だった。自分では認めなかったけれど、あれが確かに初恋だった。
本人よりもその財産を愛している男にならいくらでも積極的になれるのに、本当に好きな相手には何もできなくなる。嫌われたら怖いから。昔から私はこういう馬鹿で臆病な奴だったのだ。
中学時代にわたしが全力を注いで尽くしたのは同級生のウエハラくんという男の子だった。そこそこ勉強ができて、そこそこ運動もできてサッカー部のレギュラーで、だけどイケメンというわけではなかったから彼を好きだと言う女の子はわたしくらいだった。
所詮子どものときにモテるかモテないかなんてのは、カッコイイか悪いか、人を楽しませる才能があるかないか、この二種類だけだと私は思ってる。ウエハラくんにはこのふたつはなかったけど財産はあった。わたしにとっては願ったりかなったりの人だったんである。
ウエハラくんの家は昔からの地主で大きなマンションをいくつも所有していた。わたしの見る限り学校でいちばんのお金持ちだった。本人の性格はいたって男らしくさっぱりしていて無頓着なくらいで、こういう男の方が御しやすいと思ったわたしはひとりほくそ笑んだものだった。
ところが、ところがである。彼は重度のマザコンだった。
一度だけ彼の御屋敷に遊びに行ったとき、彼のお母さんはよくは思ってないなというのをヒシヒシ感じた。中学生なんだから学校のことだけを一生懸命やってればいいというふうな困り顔。ウエハラくん自身はと言えば、ババアはいちいちうるさいとかババアが家にいないとせいせいするとか、そんなことばかり言っていた。
あるとき、彼の愚痴を黙って聞いているのにも飽きて、わたしはポロっと彼のお母さんを非難するような意見を言ってしまった。そしたらまあ、
「余計なこと言うんじゃねえよ!」
とウエハラくんは激怒した。自分が母親をけなす分にはいいけれど、他人にそれをされると腹が立つらしい。身内だからこそ悪口を言えるのであって他人に言われると気に障るって気持ちはわからなくはなかったけれど、それにしてもウエハラくんのはちょっと異常だった。目の色が変わってたもの。
思うに、彼の悪口は愛情表現だったんだね。ほーら、お母さんはこんなに僕にかまってくれる、嬉しいなって。ママがいないと何もできないっていうのだけがマザコンじゃないんだと私は中学生にして学んだ。
ひとつ利口にさせてもらったことには感謝して、わたしは速やかにウエハラくんから手を引かせてもらった。男がみんなマザコンだとしても程度の差ってものがある。
お嫁さんになりたいではなく、金持ちになりたい。で、それをまた実践しようとしていたのだから我ながら恐ろしい幼少時代だった。
幼稚園の年中組にはアツシくんという、お父さんがどこぞの会社の社長さんという男の子がいて、五歳のわたしはさっそく彼に目を付けた。ところがアツシくんは見事にわたしを嫌ってくれて、
「マコちゃんがいじめるー」
とことあるごとに先生の後ろに隠れるようになってしまった。まあ、
「あたしとケッコンするって言わなきゃ石ぶつけてやるから」
などとやってれば嫌われて当然なのだが。
アツシくんはきっと先生が好きなんだわ、とはよく思ったものだけど、その考えは今も変わってなかったりする。男ってのはいつでも年上の女性に憧れるものらしいから。
アツシくんとの恋に夢破れたわたしは、次のターゲットを小学一年生で隣の席になったイナバくんに定めた。イナバくんのお父さんは地元では子どもでも知ってるチェーンのお弁当屋さんの社長さんで、この人とケッコンすれば一生メシには困らないわとあたしは信じて疑わなかった。
クラスでいちばん背の高かった彼は子どもにしては落ち着きがあって優しくて、狙ってる子はたくさんいるみたいだったけど、わたしは隣の席という権限をフルに活用して他の女を絶対に彼に寄せ付けなかった。二学期で席替えになる前にイナバくんとの間に固い絆を結んでおかなくてはと、それはもう必死だった。
その甲斐あって、夏休みには彼の家へと遊びに行くくらい仲良しになっていた。
「絶対に絶対に絶対に! 今度もイナバくんと同じクラスになれますように」
乙女のささやかな願いを天の神が聞き届けてくれたのか、それともその裏にある欲と野望とに悪魔が微笑みかけてくれたのかは知らないが、それから三年間ずっとイナバくんとは一緒のクラスになれた。
わたしとイナバくんとは本当に仲良しで彼はとってもおもしろい人でいくら一緒に遊んでも飽きなかった。向こうもわたしのことを「おもしれえやつ」と思っていたに違いない。
ある日わたしは思い切って尋ねてみた。
「イナバくんは何歳くらいで結婚したい?」
「わかんないよ、そんなの」
「じゃあ結婚式は? どんなふうにしたい?」
「どんなふうって?」
「ドレスがいいとか、着物がいいとか」
「うーん。うちの父さんと母さんの結婚式の写真は着物だぞ。母さん白い帽子みたいのかぶってさ。おまえんちは?」
「うちは結婚式やらなかったって」
「うそだろお。そんなことあるのか? どうしてやらなかったんだ?」
「ビンボーだからじゃない」
イナバくんはびっくり顔で何度もまばたきしながらわたしの顔を見ていた。
「ねえねえ。イナバくんは着物と洋服とどっちがいいの?」
「うーん、ハカマだよな、あれ。そっちのが良いかな、男って感じするじゃんか」
それならわたしは白い帽子をかぶるのね、と言おうとすると彼が続けてこう言った。
「結婚式って親戚とか友達とかいっぱい呼ぶだろ。おれ、おまえのこと呼んでやるからな。そしたら絶対来てくれよ」
「…………」
違うだろ! ボケ!! 多分わたしはそんなようなことを叫んだのだと思う。というのも頭に血の上ってしまったわたしは我を忘れてしまってその直後のことはよく覚えていないからだ。
ただイナバくんに世にも恐ろしい仕打ちをしてしまったことだけは確からしい。すっかり怯えた彼はわたしを恐れて近寄りもしなくなってしまったので。あんなデリカシーのない男こっちから願い下げだったから良かったけどね。
その頃うちの両親が離婚して、小さな溶接工場の社長さんがわたしの新しいお父さんになった。母親はしたり顔で言ったものである。
「顔のいい男より不細工な男の方が金を持ってるんだからね」
今でなら鼻で笑うとこだけど、この頃のわたしは素直なだけが取り柄で、ふうんそうなのか、でもやっぱりカッコイイお父さんが良かったなあなんてことを思っていた。子どもにしてみればお母さんにはいつまでも若くてきれいでいてほしいし、やっぱり若くてカッコイイお父さんはとっても自慢だ。
よし、わたしはカッコよくてお金持ちの男を見つけてやる! と決意を新たにし、わたしは中学生になった。
中学生ともなると、なになに君が好きだの告白しただの振られただの誰それが付き合ってるだの別れただの、女の子たちはそんなことでピーチクパーチクうるさいったらありゃしない。なんてことを思いつつ、わたしも男の子を物色するのに余念がなかった。
ところで、中学一年生でわたしは初めて親友を得た。自称親友だったけど。趣味が合ったし話も合ったし、一緒にいてもいいかなあくらいの仲だった。現に二年でクラスが変わったらそれっきりだったし。中学生のときってみんな親友っていうのを作りたがるものらしい。
で、仲良しこよしな時期にその子が真面目な顔をして尋ねてきたものだから、わたしは今まで誰にも話したことのない家庭の事情ってやつを話した。その子はいたく同情して優しい言葉をかけてくれた。
よくドラマなんかで不幸な主人公が同情なんてまっぴらだってセリフを吐いているけれど、あれって嘘だと思う。そういう人もいるだろうけど、そういう人ばかりじゃない。少なくともわたしは同情されるのを気持ちいいと感じたし、その子に開口一番「かわいそう」と言われて、初めて自分がかわいそうなのだと自覚した。それまで他人の意見を聞いたことがなかったから傍から見たら自分の家がどういうふうかなんてわからなかったんである。
「あたしたち親友だよね。だから何でも話してね」
友達は浅く広くいるけれど、トイレにまで連れ立っていくような付き合いはしたことなかったから、こういうノリはわたしにとってとても新鮮だった。
幸い話のネタには事欠かなかったし、その子はわたしが毎日毎日吐き出す愚痴を辛抱強く聞いてくれた。わたしの言うことすべてに同意し、耳優しいことだけを言ってくれる。だからわたしはその子に腹を立てることもなかったし良好な関係のまま一年間の付き合いを終えることができた。
その頃のわたしには、こういう毒にも薬にもならないストレスのはけ口になってくれる相手こそが必要だったのだろうと思う。情けない話だけど、そんなことでわたしは救われていた。それだけのことで救われてしまうくらいどうしようもない子どもだったのだ。
恋多きわたしとは違って、その子には小学生の頃から片思いをしている相手がいた。けっこう人気のある目立つ男の子で、わたしは最初ふうん、なんて思っていたけど、でもそのうち、確かに好かれるだけのことはある人だと思い始めた。
元気でおかしなことばかり言っているかと思えばちゃんと気の付く優しい人で、そのやさしさがわざとらしくない。自然にさりげなく人のフォローをしてあげられる人。この人は大人だねえ、とわたしは感心したものだった。
聞いたところによると彼のお母さんは外国の人で、彼のお父さんが駆け落ち同然で日本に連れ帰り結婚したのだという。そのことで彼自身いろいろ思うことがあったらしい。
「そういう嫌なことを表に出さないのはマコちゃんと一緒だね」
そう言われたけどわたしは彼の方が何倍も偉いと思った。自分の性格に難があるのは自分がいちばんよくわかってる。人に決して優しくないことも。比べて彼は、本当に出来た人だった。
その彼にも好きな人がいるのだとその子は言っていた。
「だからいいんだ。片思いで」
わたしには逆立ちしたって到底言えないセリフだった。そのうえその子がわたし以上に親しくしている友人こそが彼の片思いの相手だと知ったときには、わたしはひっくり返りそうになってしまった。いやはや、感心もしたけれど、心の隅で怖いなあと思ってしまった。怖いよ、女の子って。
実は彼のお父さんは小さな貿易会社を営んでいる人で、結構なお金持ちらしかった。長男の彼は当然後継ぎで、それだけでわたしの食指を動かす要素は十分だったのだけど、何故かわたしは彼とだけは仲良くなろうとは思わなかった。
友達の好きな人っていうのも勿論だし、競争率が高そうだったし、そんな人をわざわざ選ぶなんてわたしらしくないと訳の分からない理由を付けて、彼のことだけは意識しないようにしていた。
そう、意識しないふりをしながら、その実めちゃくちゃ意識していたんである。大人になって思ってみれば、あれが私の初恋だった。自分では認めなかったけれど、あれが確かに初恋だった。
本人よりもその財産を愛している男にならいくらでも積極的になれるのに、本当に好きな相手には何もできなくなる。嫌われたら怖いから。昔から私はこういう馬鹿で臆病な奴だったのだ。
中学時代にわたしが全力を注いで尽くしたのは同級生のウエハラくんという男の子だった。そこそこ勉強ができて、そこそこ運動もできてサッカー部のレギュラーで、だけどイケメンというわけではなかったから彼を好きだと言う女の子はわたしくらいだった。
所詮子どものときにモテるかモテないかなんてのは、カッコイイか悪いか、人を楽しませる才能があるかないか、この二種類だけだと私は思ってる。ウエハラくんにはこのふたつはなかったけど財産はあった。わたしにとっては願ったりかなったりの人だったんである。
ウエハラくんの家は昔からの地主で大きなマンションをいくつも所有していた。わたしの見る限り学校でいちばんのお金持ちだった。本人の性格はいたって男らしくさっぱりしていて無頓着なくらいで、こういう男の方が御しやすいと思ったわたしはひとりほくそ笑んだものだった。
ところが、ところがである。彼は重度のマザコンだった。
一度だけ彼の御屋敷に遊びに行ったとき、彼のお母さんはよくは思ってないなというのをヒシヒシ感じた。中学生なんだから学校のことだけを一生懸命やってればいいというふうな困り顔。ウエハラくん自身はと言えば、ババアはいちいちうるさいとかババアが家にいないとせいせいするとか、そんなことばかり言っていた。
あるとき、彼の愚痴を黙って聞いているのにも飽きて、わたしはポロっと彼のお母さんを非難するような意見を言ってしまった。そしたらまあ、
「余計なこと言うんじゃねえよ!」
とウエハラくんは激怒した。自分が母親をけなす分にはいいけれど、他人にそれをされると腹が立つらしい。身内だからこそ悪口を言えるのであって他人に言われると気に障るって気持ちはわからなくはなかったけれど、それにしてもウエハラくんのはちょっと異常だった。目の色が変わってたもの。
思うに、彼の悪口は愛情表現だったんだね。ほーら、お母さんはこんなに僕にかまってくれる、嬉しいなって。ママがいないと何もできないっていうのだけがマザコンじゃないんだと私は中学生にして学んだ。
ひとつ利口にさせてもらったことには感謝して、わたしは速やかにウエハラくんから手を引かせてもらった。男がみんなマザコンだとしても程度の差ってものがある。