ラズモアのお父さんを訪ねる道すがら、あたしが知ったのは驚くことばかりだった。
「そりゃ、先代の魔王じゃないか」
 ラズモアのお父さんが前の魔王? それならラズモアは魔族なの? 疑問符だらけの顔だったらしいあたしに向かい、宿屋の食堂で同席した商人のおじさんはいろいろ話してくれた。
 ラズモアのお父さんは若い頃は冷酷非道な魔王として北の大地に君臨していたが、ラズモアのお母さんに恋をして変わったこと。ラズモアが生まれる頃には人間との共存を目指す穏やかな魔王になっていたのだそうだ。
 魔族といってもいろんな奴がいる、と商人のおじさんは教えてくれた。悪魔そのもののように人間をいたぶる者から人間と仲良くしようとする者まで。ラズモアのお父さんは元々は恐ろしい魔王だったから、人間の女性と結婚した時にはとても驚いたそうだ。
「これで北へも安心して向かえると思ったんだがな」
 大臣の中に人間と仲良くしたくないと考える者がいて、西側の魔族の根城で反乱が起きた。争いの最中にラズモアのお母さんは病で亡くなった。人間の血を引くラズモアを快く思わない魔族の誰かの手が伸びるのを恐れたラズモアのお父さんは、ラズモアを北の大地から逃がしたのだそうだ。
 それならやっぱり、ラズモアを迎えに来たのはラズモアのお父さんなのだな。あたしはそう思ったけど、そうじゃなかった。長い旅の後で辿り着いた北の魔族のお城で会えたラズモアのお父さんは、悲しそうな顔で首を横に振った。
「大臣の仕業だよ。私が会いたがっている、成長した息子に贈り物をあげたがってると嘘をついてあの子を連れて来たんだ。穏やかに暮らしていてくれればと願っていた息子の姿を見て、私がどんなに驚いたことか」
「あたしはラズモアに会いたくて来たんです。彼に会わせてください」
 ラズモアのお父さんは黒い瞳をいっそう悲し気に細めて首を横に振った。
「息子はここにはいない」
「では、どこに?」
「ラズモアは西に行ってしまった」
 まさかそれは。西で猛威を振るっている魔王がラズモアだということ? 恐ろしくて声が出なくなってしまったあたしに、ラズモアのお父さんは苦しそうに頷いた。
「そんな……」
 あたしはわけがわからなかった。ラズモアは、ほんの少しの財が欲しくて行ってしまったのだとおばあさんは言っていた。魔王になりたかったわけじゃない。それなのに。あたしは知ってる。ほんとは優しいラズモアが人間をいじめるようなことをするわけがない。それなのに。
 事実を受け入れられないあたしに、ラズモアのお父さんは辛抱強く説明してくれた。
「そもそも、私に言うことを聞かせたかった大臣が人質としてラズモアを連れて来たのだ。それがわかったから、私はこんな子どもは知らないとあの子を突き放してしまったんだ」
「そんな……っ」
 ひどい。
「そのとおりだよ、お嬢さん。私は誤ってしまった。あの子に深い深い傷を負わせてしまった。絶望したあの子は大臣の言いなりになり、西の谷で新魔王即位を宣言したのだ」
 ラズモア。ラズモア。あたしは胸が痛くて目が熱くなるのを感じた。
「私のせいだ。大臣に付け込ませる心の闇をあの子に植え付けてしまった」
「あたし。ラズモアを迎えに行きます。きっと、ラズモアに魔王なんかやめさせます」
 あたしがきっぱり言うのを聞いたラズモアのお父さんに西に向かうのは危険だと説得されたけれど、あたしの決意は変わらなかった。するとラズモアのお父さんはこう提案した。
「ここからさらにもっと北に賢い魔女が住んでいる。私などよりずっとずっと頭の良い魔女だから、きっと旅の手助けをしてくれるだろう」

 あたしは北の城からもっともっと北を目指した。強い風が吹きすさび、凍り付いた大地の雪を舞い上げて視界は真っ白だった。
「このリボンがたなびく方向に向かうんだよ」
 ラズモアのお父さんに持たされた金のリボンに導かれ歩き続けた。寒さに手足がしびれて感覚がない。それなのに頭が熱くぼんやりし始めた頃、おかしなくらい低い位置にある屋根を見つけた。雪の隙間から明かりが漏れている。窓があるらしい。
 雪の上に這いつくばるようにして入り口らしい隙間からなんとか中に入り込む。地下を掘り下げたようなつくりの部屋の中はとても暖かかった。久しぶりの明りの中で、かまどの脇に座ったおばあさんがあたしを見つめている。
「ごきげんよう」
 挨拶したあたしにおばあさんは暖かい食事を与えてくれた。あたしが差し出したラズモアのお父さんからの手紙を読み終わったおばあさんは、皺の中で小さくなった瞳であたしを見た。
「あんたの旅の目的はわかったよ。それであんたは、ラズモアを連れて帰ってなにがしたいんだい?」
「花冠をあげたい」
 シロツメクサの冠を被せてあげて、迷惑そうに顔をしかめるラズモアが見たい。その後笑ってくれたなら、あたしはもうなにもいらない。
 おばあさんは微笑んで、今夜はもうお眠りとあたしに寝床を与えてくれた。

 翌朝あたしに食事をくれた後、おばあさんは衣装箱の中からやわらかな純白のマントを取り出した。
「これを纏ってお行き。これには魔力が籠められているからね。誰もおまえの気配に気が付かないよ」
 そうして保存食が入った袋を腰にさげてくれた。
「ありがとう。あなたに良いことがありますように」
「おまえにも」
 それからの旅はとても楽だった。マントのおかげで寒さも感じないし疲れもしないようだった。あたしは眠らずに昼も夜も歩き続け、西の山脈に辿り着いた。そこから三つの山と谷を越えて、とうとう西の魔王の城へと行き着いたのだった。

 がらんとした真っ白なお城の中を歩き回る。やがてあたしは大きな広間の真ん中にぽつんとたたずむラズモアを見つけた。黒いマントに身を包み、金色の冠を被っている。
「ラズモア」
 あたしが前に立つと、ラズモアは声もなく食い入るようにあたしを見つめた。
「ラズモア。迎えに来たよ」
「君のことなんか知らない」
「お父さんにそう突き放されたから、そんなふうに言うの?」
「君なんか知らない」
「お父さんはラズモアのためにそう言ってしまったんだって。だったらラズモアもあたしのためにそう言ってくれてるんだね。でもあたしは嬉しくないよ。ラズモアもそうだったんでしょう?」
 強がりで練り込まれたようだった彼の瞳が揺れた。噛みしめていた唇が震えて言葉がこぼれる。
「フィリシア……」
 あたしの名前を呼んだと思ったら、ラズモアは次から次へと涙を落とした。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう」
 頭の上の冠を取ってラズモアはそれを床に投げ捨てた。
「こんなものが欲しかったんじゃない。ぼくは、君に花冠をもらえればそれで良かったんだ」
 ラズモアの言葉が嬉しくて、あたしは微笑んで彼の頬を両手で包んだ。
「いくらでも作ってあげる。帰ろう、あたしたちの村に……」
 言い差した時、ラズモアの肩越しに血相を変えて駆け寄って来るおじさんの姿が見えた。
「なりませんぞ、魔王様!」
 きっとあれが悪い大臣だ。と同時に、あたしの背後の扉からも兵士がなだれ込んで来た。あたしは後ろから腕を引っ張られる。
「フィリシア!」
「ラズモア!」
 大臣に掴まれたマントを脱いで、ラズモアがあたしに手を差し伸べる。あたしも暴れながらラズモアに手を伸ばす。あたしの肩にかかっていた純白のマントがはらりとひるがえる。すると。
 マントが白い大きな鳥に姿を変えた。するりとあたしとラズモアをすくいあげて背に乗せ、ガラスの窓に体当たりして突き破り空中へと飛び出した。谷底から駆け上がってくる風に乗って翼を広げた白い鳥は空高く舞い上がる。
 その背中の上で身を寄せ合うあたしたちの目の下で、魔王の城は砂になって谷底へと崩れていってしまった。逃げ出してくる者は誰もいない。無言のままその光景に見入っていたあたしとラズモアは、やがてどちらからともなく目を合わせて微笑み合った。
 抱きしめ合ったまま上空から西の荒れ地と真っ白な北の大地を見送って、あたしたちは進む先へと視線を向けた。東の緑豊かな大地、帰るんだ、あそこに。シロツメクサが咲くあの野原に。そうしてラズモアに花冠を作ってあげる。金よりなにより大切なものを、大切なあなたに――。