一度目は中学を卒業した後だった。
卒業式の翌日の夜、母親がにやにやしながら私を呼んだ。
「男の子から電話だよ」
家に電話してくるような男の子に心当たりがない。私は警戒しながら電話を取る。
なんてことはない。かけてきたのは元クラス委員長の内藤くんで、春休みにクラスのみんなでお別れ会的に遊園地に行くけど、参加するかどうかという内容だった。
集団行動が苦手な私はもちろん断った。
「ごめんね」
一応謝って電話を切る。すると母親が更ににやにやしながら言ってくる。
「デート断っちゃったの? カワイソー」
相手にするだけ面倒だ。私は黙って自分の部屋に戻った。
高校の入学式が数日後に迫った日の午後、また内藤くんから電話があった。
『中学で同じクラスだった内藤といいます』
母は留守で、直接電話に出た私はとても驚いた。また、何の用だろう。お別れ会に行かなかったことで文句を言われるのだろうか。
「私だよ」
『あ、池田か……』
「うん。なあに?」
『あ……えと……』
いつもはきはきと話す委員長らしくもなく歯切れが悪い。
やがて内藤くんは水族館に一緒に行かないかと誘ってきた。彼と、私で、ふたりで。
思いもしなかった誘いに私は固まる。そうしながらも、私は、自分でもびっくりするようなスムーズさで頷いていた。
「うん、行こう」
翌日のお昼前に駅前で待ち合わせ、私たちはさっそくバスで行くことのできる水族館に向かった。
路線バスには、小学生のグループを連れたお母さんたちや高校生の集団も乗っていた。私と内藤くんは中ほどの二人掛けの座席に座ってずっと黙ったままだった。
内藤くんも体が細い方だから普通に座っていれば体が触ることはない。だけど車体が大きく揺れれば腕が触れ合う。そのたびに私は肩をすぼめて、まだ上着を着ている季節でよかったと思った。
水族館に着いて施設内に入ると、まずは大きなセイウチの水槽が目につく。私と内藤くんはしばらくの間そこに立ってセイウチの動きを眺めた。
「大きいね」
「うん」
それからたくさんある水槽をゆっくり時間をかけて眺めて回った。私の隣で解説文を読んでいる内藤くんの横顔が視界に入る。こうして彼の横顔を毎日見つめていた時期があった。
中学二年の二学期で、私たちは隣の席になった。クラスの中心人物である彼の隣だなんて私にとってはかなりの重荷で、自分のくじ運の悪さを嘆かずにはいられなかった。
ある日内藤くんは、右腕を三角巾でつって登校してきた。部活で怪我をしたらしい。それから数日間、彼は授業中ノートをとれずにじっと黒板を睨みつけているだけだった。
その横顔を見ながら私は気が気じゃなかった。内藤くんはとても成績が良い。次のテストで順位を落としたりしないだろうか。彼の分のノートを、書いてあげたりした方がいいだろうか。
思いついたものの結局私は彼に何の手助けもしないまま、時折その横顔を窺うだけで彼の怪我が完治するまでの期間を過ごした。なにもしないまま。
彼と私の間には特別な出来事も事件も何もない。中学二年生と三年生と、その二年間を同じ教室で過ごしたというだけで、仲が良かったわけでも特に言葉を交わしたわけでもない。
なのにどうして彼は私を誘って、私もこうして彼と一緒に居るのだろう。一緒に水槽を眺めていたって、特に話すこともなくて。
そのまま言葉少なに施設内を一周した私たちは、帰りのバスの中でも何を話すわけでも無く。
春休みが終われば内藤くんは市内で一番の進学校に、そこまで頭の出来がよくなかった私は県立の女子高に入学する。そんなことは確認しなくてもお互い分かっていたことで。
駅前でさよならを言って私たちは別れた。それきり会うことはなかった。
卒業式の翌日の夜、母親がにやにやしながら私を呼んだ。
「男の子から電話だよ」
家に電話してくるような男の子に心当たりがない。私は警戒しながら電話を取る。
なんてことはない。かけてきたのは元クラス委員長の内藤くんで、春休みにクラスのみんなでお別れ会的に遊園地に行くけど、参加するかどうかという内容だった。
集団行動が苦手な私はもちろん断った。
「ごめんね」
一応謝って電話を切る。すると母親が更ににやにやしながら言ってくる。
「デート断っちゃったの? カワイソー」
相手にするだけ面倒だ。私は黙って自分の部屋に戻った。
高校の入学式が数日後に迫った日の午後、また内藤くんから電話があった。
『中学で同じクラスだった内藤といいます』
母は留守で、直接電話に出た私はとても驚いた。また、何の用だろう。お別れ会に行かなかったことで文句を言われるのだろうか。
「私だよ」
『あ、池田か……』
「うん。なあに?」
『あ……えと……』
いつもはきはきと話す委員長らしくもなく歯切れが悪い。
やがて内藤くんは水族館に一緒に行かないかと誘ってきた。彼と、私で、ふたりで。
思いもしなかった誘いに私は固まる。そうしながらも、私は、自分でもびっくりするようなスムーズさで頷いていた。
「うん、行こう」
翌日のお昼前に駅前で待ち合わせ、私たちはさっそくバスで行くことのできる水族館に向かった。
路線バスには、小学生のグループを連れたお母さんたちや高校生の集団も乗っていた。私と内藤くんは中ほどの二人掛けの座席に座ってずっと黙ったままだった。
内藤くんも体が細い方だから普通に座っていれば体が触ることはない。だけど車体が大きく揺れれば腕が触れ合う。そのたびに私は肩をすぼめて、まだ上着を着ている季節でよかったと思った。
水族館に着いて施設内に入ると、まずは大きなセイウチの水槽が目につく。私と内藤くんはしばらくの間そこに立ってセイウチの動きを眺めた。
「大きいね」
「うん」
それからたくさんある水槽をゆっくり時間をかけて眺めて回った。私の隣で解説文を読んでいる内藤くんの横顔が視界に入る。こうして彼の横顔を毎日見つめていた時期があった。
中学二年の二学期で、私たちは隣の席になった。クラスの中心人物である彼の隣だなんて私にとってはかなりの重荷で、自分のくじ運の悪さを嘆かずにはいられなかった。
ある日内藤くんは、右腕を三角巾でつって登校してきた。部活で怪我をしたらしい。それから数日間、彼は授業中ノートをとれずにじっと黒板を睨みつけているだけだった。
その横顔を見ながら私は気が気じゃなかった。内藤くんはとても成績が良い。次のテストで順位を落としたりしないだろうか。彼の分のノートを、書いてあげたりした方がいいだろうか。
思いついたものの結局私は彼に何の手助けもしないまま、時折その横顔を窺うだけで彼の怪我が完治するまでの期間を過ごした。なにもしないまま。
彼と私の間には特別な出来事も事件も何もない。中学二年生と三年生と、その二年間を同じ教室で過ごしたというだけで、仲が良かったわけでも特に言葉を交わしたわけでもない。
なのにどうして彼は私を誘って、私もこうして彼と一緒に居るのだろう。一緒に水槽を眺めていたって、特に話すこともなくて。
そのまま言葉少なに施設内を一周した私たちは、帰りのバスの中でも何を話すわけでも無く。
春休みが終われば内藤くんは市内で一番の進学校に、そこまで頭の出来がよくなかった私は県立の女子高に入学する。そんなことは確認しなくてもお互い分かっていたことで。
駅前でさよならを言って私たちは別れた。それきり会うことはなかった。