庭のいかにもか細いムクゲの樹に、薄い黄緑色の小さな芽が吹き出ていた。
 昨年の初夏に植えたばかりの幼苗だ。今年の冬は寒かった。木枯らしに吹かれてしなってしまい、このまま立ち枯れてしまいそうな風情であったのに、生きながらえていたようだ。
 穏やかな陽気に誘われて外に出る。このまま買い物に行くことにする。
 線路を越えてすぐ脇の神社の境内には椿の古木が植わっている。濃いピンク色の小さな花が木の周りにそのままの姿で落ちている。そうかと思うと少し離れた路上で無残に踏みつけられてしまった跡もある。車が入って来ない細い路地であることがせめてもの救いだ。
 濃い緑の葉の間にまだまだ数えきれない数の花弁が顔を覗かせている。それを眺めて視線を上げると、脇から枝を伸ばした桜の樹の枝のつぼみが、薄いピンク色に綻んでいるのに気がついた。
 日当たりの良いその枝にはいくつもの房になってつぼみが重たげに膨らんでいる。春だ。
 足取りが軽くなったのもつかの間、大きなパックの牛乳と食パンと食器用洗剤をぶら下げて戻ってくる頃には、くたびれた気分になっていた。
 細い路地の突き当りにあの桜の樹が見えてくる。手前の角の民家の納屋から、ひょこひょこと薄茶色の猫が歩み出てくる。この道でよく見かける猫だ。そういえば寒い間は見かけなかった。どこかで冬ごもりしていたのだろうか。
 左後ろ足が付け根からないその猫は、てててと三本の足で桜の樹の下の陽だまりへと駆けてゆく。後ろから追いかけるように路地を進んで行くと、日差しのスポットライトの中から猫が振り返る。
 薄茶色のほけほけした短毛にうっすらと縞の模様が見える。降り注ぐ光で輪郭が曖昧な小さな顔の中で、目だけがくっきりとこちらを凝視している。三角にぴんととがった耳の先に薄桃色の小さな花びらが降りて来る。
 さっきより、綻んだつぼみの数が増えている。花開いた花弁がそよ風に揺れて、また一枚舞い降りた。