平均点普通っ子の仮面を脱いだ咲久良は、めきめきと成績を上げた。三年生では、文系特進クラスに入るだろう。
 さすがは作家・冴木鏡子の娘。俺が担任できなくなることが惜しい。手離したくないのに、さらに追い打ちをかける話が届いた。


「来年、創作文芸部は、部から同好会に格下げになる見込みだ。部員数が減っていたこともあるし、部長の彼女が部を巻き込んで騒動を起こしたのが響いた。部長たちが卒業するから、責任は問われないと思った俺が甘かった」
「それは残念ですね」

「となると、部の顧問も解任される。俺は、運動部……具体的には、陸上とかバスケットとかサッカーとか、そっち方面のハードな顧問を担当させられるらしい。そうなれば、土日は練習、長い休みは合宿や大会で休みが奪われる。お前とゆっくり、いちゃいちゃもできない」
「じゃあこの生活、今年度いっぱいで終わりですね」

 週末の昼は定食屋でアルバイトをして、それが終わったら俺の部屋に来るのが、最近のいつもの流れと化していた。
 定食屋のおばちゃんには、俺と咲久良が、実はらぶらぶだとバレているかもしれないので、ここのところ俺は怖くて行っていない。

「おい、納得するのか?」
「波風立てて、目立ちたくありません。それに、私には受験勉強がありますし、創作したいものを少しずつまとめたいので、こんなふうにとしくんの部屋に入りびたるわけにもいきませんよ。ちょうどいいかもしれません。受験が終わったら、卒業です。まったく逢えないわけではありませんし、私は耐えます」
「受験勉強、俺が教えてやるって。点の取れる小論文の書き方、採点者の受けのいい解答方法。教科書には載っていない受験マニュアルを丁寧に教えてやる。ただし、ふたりっきりのときに」

「……教師のくせに、いやらしい言い方ですね、まったく。早く涸れればいいのに」
「涸れるには早いって! 勝手に涸らすな」


 幸い、誰にもまだバレていない。

 咲久良家の両親が不在のときには、俺の部屋に泊まって当然のように並んで一緒に寝るけれど、俺たちは最後の一線を守っていた。

 いつまで我慢できるかどうか、正直俺には自信がない。

 長い夜、咲久良の気配を感じ、眠れないまま朝を迎えてなかば逃げるようにしながら、マンションのを飛び出してランニングをはじめることもある。

 こんなに苦しい禁欲生活が続くならば、ひとりでのんびりと寝たほうがましかもしれない。風紀指導の鬼教師が、行き場のない性欲をかかえて悶えて苦しむなんて、面目まるつぶれだ。

「本気の恋は忍ぶもの、ですね。としくん」
「それ、前に俺が言ったことば。みずほ?」

「としくん、もう一度創作してください。女子高生に溺れる教師をネタにして、そっちにとしくんの情欲をぶつけてください、がっちり全部」
「モデルになるか? 実地で教えてやる」

「妄想の世界のみで、お願いします。禁断の、教師×生徒もの。永遠のテーマです。受けますよ。『全女子が泣いた』っていう帯がついて、ベストセラー間違いなし、ドラマ化映画化です。冴木鏡子なんて三流作家、軽く超えちゃいましょう。でもその場合、覆面作家決定です。現役の教師が、教え子との恋愛を小説にしたら、まずいですね。リアル過ぎて! あーあ、せっかくきれいなお顔しているのに、としくんはマスコミに登場できないのかあ、残念」

「なあ、冗談はさておき。現状、どこまでなら許されるんだ? 俺はお前に触れたい」
「見つめ合う。頭を撫でる。手をつなぐ。以上」

「は……はあ? 俺、二十七の健康な男なんだけど」
「私は十七歳の教え子です、しかも箱入りです」
「それは分かっているが、たまにはちょっとぐらい、いいだろ……」

 柄になく、俺は猫なで声を使った。しかし、返答は。

「だ・め・で・す!」
「後退してないか? 何度もキスしたし、こうして同じベッドで寝てんのに。友人に聞いてみろ? 今どきの高校生の、男女のお付き合いの、赤裸々な実情を! みずほがほしい!」

 最後は、ほとんど駄々っ子だった。自尊心のカケラもない。

「あれ。誰か、言いませんでしたっけ。ほら、また出ました、『本気の恋は忍ぶもの』! なんとなく、『秘すれば花なり』に通じますね、世阿弥ですね、さっすが国語科の先生! それにほら、女子生徒がほしいなんて叫んだら、淫行教師の道へまっしぐらですよ、風紀の鬼・土方先生?」


 俺は、みずほに惚れている。全部が欲しい。初めての男になりたい。将来は結婚して、守ってやりたい。家族をつくりたい。
 しかし、俺も長男。『歳三』なのに。
 どうやって、みずほの両親を説得しようか、それだけが目下の悩みだ。



                            (了)