「いらっしゃい、先生。あら珍しい、若い女の子連れなんて」

 いきなり、おばちゃん店員の、厭味の洗礼を受けた。

「放っておいてくれ」
「先生なのに、そんな若い子とお付き合いしていいのかしらねー。あやしい」
「頼みます。見ないでください!」

 よく、大盛りサービスしてくれる、太っ腹のおばちゃんだが、今日は仔細を問われたくない。
 しかし、咲久良は丁寧に頭を下げて笑顔で『こんばんは』と、あいさつしてしまっている。自己紹介までしそうな勢いだった。あわてて、俺は咲久良の手を引っ張って適当なテーブル席に座った。

 こんな時間になると、この界隈で安定して美味な食事を提供してくれる店はここぐらいしか思いつかない。それに、下手に色気のある店になんて、生徒を連れていけない。

「とりあえず、なんでもうまい。とくに、中華系がおすすめだ」

 咲久良は、店内を珍しそうに眺めている。

 手書きのメニュー表が、壁一面にぎっしりと並んでいる。やや遅い時間とはいえ、そこそこ繁盛している。はっきり言って、そこらへんでチェーン展開しているファミレスには絶対に負けない。味もサービスも。早さも。
 あえて弱点を述べるならば、庶民的で雑然としているところか。場末な雰囲気、それも独特な持ち味だが、女子どもには分かるまい。分かられてたまるか。

「先生、このお店はよく来るんですか」
「ああ。自炊は、ほとんどしないんでね。俺のマンションに近いし、車も停められるからな」
「先生のおうち、行ってみたい。見たいな、泊まりたい」
「バカ。今、何時だと思っている」

「じゃあ、昼間になら、訪問してもいいですか」
「愚問だっつーの。で、なにを注文するんだ」

 俺は決めている。
 中華焼きそば。セットのスープも、かなりいける逸品だ。ビールを頼みたいが今は車なので、ぐっと我慢する。

「先生のおすすめで」

 こういう主体性のない女は面倒だなと思いつつ、俺はメニュー表を眺めた。
 初めて連れて来られた店だ、緊張しているのかもしれない。しかも、若い女には縁がない系の店だろうし。

「じゃあ、中華丼とか、あんかけ系はどうだ」

 総じて、女はとろみ系が好きだ。なぜか。

「はい。じゃあそれを、お願いします」

 やがて運ばれてきた食事をとりはじめると、身体がアルコールを欲していることに気がついた。長時間運転によるストレスで、疲れているのだろう。しかしこのあと、咲久良を自宅まで送らなければならない、うう。なんという無常。

 その俺の禁断症状を察したのか、咲久良はおとなびた笑みを浮かべた。

「お酒、頼んでもいいんですよ。我慢しないでください」
「まだ、お前を送る仕事が残っている」

「それなら、別に気にしないでください。私、先生のお部屋に泊まります。このお店から、歩いて帰れますよね。車は、ここの駐車場にひと晩だけ停められるよう、交渉します。お泊りに必要なものは、コンビニに寄って揃えますよ」
「あのなあ、お前」

「それとも先生のお部屋、女性ものの小物を完備していますか。私、誰が使ったのか分からないものって、共用できないんですよ」
「こっちの話を聞け」

「もちろん、聞いています。私、先生が好きです。結婚してください」

 お、おいおい。こんな求婚ってあるか。しかも、雑然とした街の定食屋で。うれしくない。

「咲久良、もっと自分を大切にしろ」
「しています。ですから今日、どこにも行くあてのなかった私は、創作部の小旅行に参加しました。土方先生がいるから。実は私、親から婚約者を押しつけられていて。今夜、うちで待っているんです、相手が。家に帰るの、怖いんです。私、咲久良家のひとり娘だから、高校を出たら結婚しろと言われていて……でも、私はいやです、そんなの。もっと知りたい。勉強したいのに。世の中を知りたいのに」

 咲久良は、ぐっと涙をこらえて中華丼を食べ進めている。たまに、唇をきゅっと噛むしぐさが、いじらしい。おいおい、まじか。
 その、健気な姿に、俺は心を打たれてしまう。

「お前は若い。結婚なんて、早い。だが、さっき電話で話をした感じでは、ごく普通の親御さんだったようだが」
「あれは担任向けの、外面です。家の中では、ほんとにひどい鬼畜ですよ。先生、助けてください」
「担任の俺が、家まで送るって言っている。そのとき、判断する。俺も何年か教師やっているんでね。だいたいのことは分かる」
「でも、怖いんです。生徒の訴えを無視するつもりですか」

 涙がこぼれた。咲久良は泣いている。
 器用なことに、中華丼を平らげつつ。