結局、俺は咲久良(と咲久良に絡もうとする男性客)から目が離せなくなり、昼営業が終了する午後二時、つまり咲久良の終業時間まで居座ってしまった。
 ビールを、ひとりで三本も空けてしまった。それに、日本酒までつけてしまった。

「咲久良、家まで車で送る」 

 エプロンを外した、仕事終わりの咲久良に、俺はそう声をかけた。『みずほ』なんて、呼べない。呼べそうにない。
 おばちゃんに睨まれたが。遠くにいたのに、地獄耳か? 読唇術のほう?
 それとも、この店のテーブル下には盗聴器でも仕込んでいるのか?
 あるいは、あのおばちゃんが、実は高度な頭脳を組み込まれたAIおばちゃんで、俺の失言を即座にキャッチ……やめよう、酔っぱらいの妄想だ。

 送ろうと言われた、当の本人は、というと。

「は? 冗談やめてください、先生。どれだけ飲んだと思っているんですか。それに私、自転車で来ましたので。では、お先に失礼します。さようなら」
「送るって。遠慮するな」
「送る送るストーカーはいりません」

 ようやく席から立ち上がったけれど、想像以上に足もとがふらついた。目も回る。

「ほら。帰ったほうがいいですよ」
「……酔い覚ましに歩く」

「だから、私は自転車ですってば」
「押せ。それかふたり乗り」
「公道でのふたり乗りは、道路交通法違反です」

「ならば徒歩!」
「一時間近く、かかります」
「それもまたよし。というか咲久良お前、自転車に乗れたのか? 学校、電車バス通学よりも、自転車のほうが早いだろうに」
「乗れますよ、もちろん。ただ、ママに止められていただけです。自転車は危険だからって」

 自転車が禁止とか、どんだけ箱入り育ちなんだ、こいつ。
 なんとか歩きはじめるが、しんどい。飲み過ぎた。なんという体たらく。

「……この時期にバイトなんかはじめて、受験勉強できるのか」
「気分転換です。休日、家にいてもひとりですし。楽しいですよ。まかないごはんも美味です。勉強は、帰ったら集中してやります。だらだら時間をかけても、身につきません」

「働くなら、ひとこと、相談ぐらいしろ。しかもあの店は、もともと、俺が連れて来てやった店だろうに。いいや、そもそも、かわいい女子高生が、だっさいジャージを着て、むさい男相手の定食屋でまかない付きのアルバイトとか、ない。どうせなら、カフェとか雑貨屋とか、もっとそれらしいのを選べよ」
「担任の先生風情に、そこまで干渉される筋合いはないかと」
「とことん他人行儀だな」
「他人ですもの。『かわいい女子高生』の発言だけいただきます。ごちそうさま」

 それにしても、よく親がアルバイトを許したものだ。諸手を挙げて反対しそうなのに。特に、父親。

「まさか、ほんとうは黙って働いていないだろうな」
「許可は下りていますって、さっきも言いました。酔っぱらいは、くどいですね。親にバイトを禁止されたら、家出するつもりでした。先生にひどく叱られた今では、ふたりともすっかり丸くなりました。パパは家に帰ってくるようになりましたし、ママも若い恋人を作るのはやめて、創作に専念しています。私に駆け落ちされるぐらいなら、部分的に譲歩しようって」

 しかし、ゆっくりでも歩いていると、次第に頭が痛くなってきた。

「……悪い、咲久良。そこのコンビニで、休憩。水、買って来てくれ。ああ、小銭がない」

 俺は咲久良に千円札を一枚、渡した。

「飲み過ぎですよ、先生は」

 別れを切り出して以来、咲久良は『としくん』とすっかり呼ばなくなった。頭のスイッチの入れ換えが早いのはよいけれど、俺の気持ちの整理がついていない。もしかして、これは未練なのか。

「よいしょっと」

 どうにも我慢できなくて、俺は駐車場の縁石の上に座り込んだ。
 高校教師がコンビニ前でしゃがみ込むなんて、とんだ失態だ。けれど、酔いのせいで視界が定まらない。昼間っから、なにやってんだ……淫行教師とは別の方向でまずいだろ、これ。