「ちょっと先生、新しいアルバイトの女の子をいじめないでくださいよー。辞めちゃったらどうしてくれんの。ふふふ、かわいいでしょ。あたしに代わって、新しい看板娘だよ。セクハラ禁止」

 咲久良に向かって吠えた俺を、おばちゃんがいなした。

「いや、だってこれ、うちの高校の生徒どころか、俺の担任クラスの女子なんだ」

 しかも、偽装で恋人だった。

「ああ、先生が一度連れて来たってね。あたしはよく覚えてないんだけど、面接のときに、みずほちゃんもそんなこと話してた。写真、撮ったんだっけ?」
「うちの高校、基本的にバイト禁止だぞ? しかもお前の家、娘がバイトなんて許すのか? おばちゃんには家のこと、話したのか。こいつ、地元議員のひとり娘で」

 なんか……俺が、咲久良の保護者みたいな気持ちになっていた。

「ああ、聞いてるよ。咲久良家の、跡継ぎのお嬢さんだって。でもこの時代、家がしっかりしていても、いつどうなるか分からないし、アルバイトぐらい経験しておかないと。進学の学費稼ぎ兼社会勉強、だってさ。今どき、えらいね。笑顔がいいけど、手際もいいよ」

 太っ腹、いや肝っ玉な豪傑。さすがだ、おばちゃん。世間の荒波にのまれることなく、万事慣れていて、頼れる。

「学校には内密にしておいてください。もっとも、両親には、アルバイトの許可は得ています。当面、休日昼だけのシフトで働かせていただいております」
「ほら。みずほちゃん、固いよことばづかい。もっと大きい声で、しっかりはっきり」
「はい、かしこまりました!」

 かしこまりました、を聞いた定食屋の客たちが、がははと大きな声でいっせいに笑い出した。店内では、はっきり言って浮いている存在だが、それがかえって新しくて、おもしろいようだった。
 咲久良を目当てに来ている客も、すでにいるらしい。そりゃ、いるだろう、分かる。殺伐とした戦場に咲く、一輪の花だ。しかも、豪華な。

 咲久良はよく動いていた。

 初めて外で働くわりには、なかなかいい。うちで作ってくれた手料理もなかなか上手だったし、掃除も手早かった。祖母の介護をしていたことが生きている。単なる箱入りのお嬢さまではない。

「お客さま、お待たせいたしました。ビール、お注ぎいたしましょうか」
「いい。自分でやる。お前は、さっさと次の仕事へ行け。昼時なんだ、忙しいだろ。ほら、寄越せ。ビールとつまみ!」

 ビールとグラスを奪うように受け取る。とりあえずのおつまみで出されるメンマが、また美味だ。

「ごゆっくりどうぞ、お客さま」

 先生ではなく、恋人でもなく、一般のお客さま扱いされて、しかも営業用の笑顔を向けられて腹が立った俺は、咲久良を観察することにした。
 客なら、ちょっとぐらい店員を値踏みしても許されるだろう。開き直って、俺はあいつを監視する。

 学校にいるときとは違って、化粧もほとんどしていない。日焼け止めぐらいしか塗っていないのだろう。なのに、とてもきれいだと思ってしまう。頬がゆるみそうになった。
 いや、だめだ。アルバイトは。俺、風紀担当の教師だぜ? 校則違反を放っておけるか?

 続いて、焼きそばは、おばちゃんが持って来てくれた。

「みずほちゃんじゃなくて悪いね、はいどうぞ」

 咲久良はほかのお客さんに呼び止められ、談笑している。くっそ、あの客、俺の脳内でぶん殴る案件発生。

「別に、そういうつもりで来たんじゃないし。そもそも、知らなかったし。おばちゃんのほうが安心だ。細くて白っこい腕のあいつに、なにかを運ばせるなんて、危なっかしい」
「評判、いいよみずほちゃん。最初は緊張していたのか、表情も動きも固かったけど、適応力あるね」
「俺の自慢の生徒だ」

 即答の俺。おばちゃんは笑いを吹き出した。

「ビール、空だよ。もう一本いこうか」
「ああ。お願いします」
「みずほちゃんのこと、もう少し見ていたいってわけか」
「家にいても、やることなくて。ヒマなんだ」

「二十七にもなって、休日は昼間っから定食屋で管巻いて、ビール飲むだけか。世も末だね。せっかくの男前が泣くよ」
「放っておいてくれ。それより、咲久良に変な男が寄りつかないよう、目を光らせてください。あいつ、愛想を振りまいているくせに、ほんっとに無自覚だから」
「それはもちろん注意しているよ。でも、最後に選ぶのは、みずぽちゃん本人だからさ」

 そう。最後に選ぶのは、あいつ。

 市井のおばちゃんですら理解している真理を、咲久良の両親はないがしろにしていた。思い出しただけで腹が立つ。

「それはそうと、みずほちゃんのこと、このお店では名前で呼んであげてよ。『咲久良』の名前はここらじゃ有名だし、選挙があるときは父親の活動を手伝っているから、顔も知られちゃっているかもしれないし。身許がバレたら面倒でしょ。アルバイト禁止の高校なら、なおのこと」

「名前?」
「みずほちゃんって、さ」

 今まで、咲久良のことは、名字呼びだった。せいぜいが、あいつとか、こいつ、お前だった。

 ……みずほ。

 いや、だめだ。想像しただけで恥ずかしい。

「ぜ、善処する。前向きに検討いたす所存であります」
「先生、年甲斐もなく照れちゃって。ま、いいけど。そこで迷っている間に、誰かに奪われちゃっても、あたしは知らないよ。先生だって、好きな人には名前で呼ばれたほうがうれしいんじゃない?」

 おそるべし、食堂のおばちゃん。もしや、ラスボスか?
 確かに、『としくん』はうれしかった。特別感があって、親密な感じだった。