「みずほさんは、いい子でしょう」

 唐突に言われ、俺はにんじんのピクルスを喉に詰まらせそうになった。咲久良を、まるで自分のもののように売り込むその言いかたに、俺は怒りを感じた。

「それは、知っています。控え目なようでいて、自分を訴えるべきところでは前に出られる。基本です」
「それで先生は、ここ数日連れ回したと」

「は?」
「調べはついています。安心してください、まだ誰にも報告していません。けれど、みずほさんがあなたにべったりで、先生のマンションに外泊したことも情報は入っています。彼女の抱き心地は、いかがでしたか。若くて、とても魅力的だったでしょう」
「だ、抱……っ?」

 咲久良の迂闊な行動は、すっかりバレている!
 俺の動揺をよそに、坂崎は余裕の笑みを浮かべて、証拠写真を突きつけてきた。
 いくつもの買い物袋を下げて俺のマンションへ来た咲久良。車で出かける姿。翌日、墓参りをする場面や動物園デートの光景、などなど。探偵を雇っているのか、ストーカーでもいるのか。

「みずほお嬢さまは若い女です。先生のような、やや身近で、年上の男に憧れる時期もきっとあるでしょう。ですが、本気ではありません。ただの気まぐれです」
「抱いてはいません、断じて。行くあてがないというので、仕方なく泊めただけで」

「それでは、健全なお嬢さまを見ても、なにも感じなかったと。失礼ですが、先生は男色かなにかでしょうか。このようなお店ではなく、二丁目にご案内したほうが、よろしかったでしょうか」
「いい、いい! そんな気回しは要らない!」
「先生は、かわいらしい人ですねえ」

 ふふふ、とやさしく笑われたけれど、全身に鳥肌が立った。『直感で拒否』、これかもしれない、咲久良のいやがる理由は。

 メインの肉料理が来た。
 木製プレートの上に、ミディアムレアの赤い肉が、がっちりと盛りつけられている。玉ねぎで作られたオリジナルソースも添えられているが、これは塩で食べるべきだろう。

「そもそも、なぜ高校二年生の彼女に、婚約者がいるのですか」
「それは、家の定めです。咲久良家は、旧家。早く結婚して子を生み、一族を安定させる使命があります」
「しかし、あいつが家の犠牲になるなんて、俺は納得がいかない!」

 俺は、肉にぐさっとフォークを突き立てた。やわらかい。口に運ぶ。とろけるように美味だった。続いて赤ワインのグラスを手にする。口の中にまとわりつくような濃厚な味わいだ。

「おやおや。恋人、いえお嬢さまの愛人気取りですか。いけませんねえ、仮にも教師と生徒が、みだらな関係とは。しかも、みずほさんにはわたしという婚約者がいますのに」

 くっそ。この奸物、め。ここに刀があったら、一閃してやりたい。

 俺の脳裏にひらめいた単語は、そのひとつ。

「解消してくれ、婚約を。さもないと、俺が咲久良を奪ってやる」
「ほう。とうとう本音が出ましたね」           

「あいつを自由にできるのは坂崎さん、あなたです。婚約が解消になれば、咲久良もきっと目が覚めます。俺につきまとうのはやめて、普通の女子高校生に戻れるはず。咲久良には将来がある。周囲のおとなが潰してはならない。たとえ、親だろうと。あなたも、身辺をきれいに片づけてから、改めて咲久良に交際を申し込んでみてはいかがですか」
「へえ」

 坂崎は脚を組み替えた。その、長い脚の動きはやたらと大げさで、鼻につく。

「いいえ。ゲームはもう、はじまってしまいました。みずほさんって、いやに男慣れしている思いませんでしたか。あれは、わたしが調教したからですよ。どう接すれば、男が喜ぶのか。身体を張って、わたしがすべて仕込みました」

 調教? つまらない冗談はやめろ。そう、反論しようとしたが、俺は声が出なかった。グラスを持つ手が震えている。ワインが揺れている。

「みずほさんは、処女ではありませんよ。わたしが、以前に彼女を征服しましたのでね。おや、悔しそうですね。彼女、かなりいい声で喘ぐでしょう? わたしの教育の賜物です」

 思い当たるふしが多過ぎる。初めから、咲久良は俺を積極的に誘っていた。信じたくないけれど、坂崎の言うことは真実かもしれない。