「やっぱり、そうでしたか。あの作品……『境界線』でしたっけ、身分違いの男女純愛もの。あの作品は、母の初期作とはまるで毛色が違うというか、おかしいなとは思っていたんです。先生の作品だったんですか。すみませんでした」
「もちろん、登場人物の名前や職業、住んでいる場所も違う。たとえ、俺が表に出て騒いでも無視されるか、よくて微妙なグレー判断だろう。だが、話の骨はまったく同じだ」

「え。咲久良さんのお母さんって、冴木鏡子? しかも、過去に盗作って、かなりのスキャンダルじゃないか」
「過去どころか、今も母は弟子の作品をモチーフにばかりしていますよ。あの坂崎さんも、もとは母の弟子だったんです。その手法は年々狡猾になっていて。あれ、これをもとに母を脅せば……あの人とは婚約破棄できるかも」
「それ、いい考えだ。それなら、俺も付き合おう。無理難題を突きつけられるより、よほど建設的だ」

「こ、婚約……破棄? どこの令嬢?」

 ひとりだけ、事情の飲み込めていない部長が腕を組んだ。

「はい。簡単に言うと、私は親に決められた婚約者がいて、婚約阻止の応援を先生に頼んでいるんです。好きじゃない人と結婚なんて、絶対にイヤ。好きな人と結婚したいですよね、先生」
「高校二年生、家の都合で婚約、それはひどい話だ。しかも咲久良さんには、ほかに好きな人がいるなんて。ぼくには受験勉強があるが、できるかぎり手伝おうじゃないか」
「ありがとうございます! 心強いです。母は、先生の作品を必ず読んでいます。必ず。そして、家のどこかに保管してあるはず。原稿や取材ノートを大切に取っておく人ですので」

 部長に同情を買ってもらう作戦、成功したらしい。

「よし、咲久良は自宅で俺の原稿を探してくれ。俺も、明日なら行ける」
「先生が、うちに来るんですか!」
「家の人と話したい」

「……ああ、またその話ですか」
「お前、まさかごまかしているとか、ないよな。面談の件、ちゃんと報告しているんだろうな」
「それはもちろんです! でも、忙しいんですよ、父も母も」

 ふたりがいがみ合っていると、部長が申し訳なさそうに別れの挨拶をした。

「すみません、大学の資料を取りに来ただけなので。咲久良さん、続きは部活の日に聞かせてほしい。とても興味深いので、『境界線』をさがして読んでおくよ」
「こちらこそ、お手数をかけます。ご協力、ありがとうございます」
「土方先生、原稿が見つかるといいですね」
「……ああ。読みたいような、触れたくないような過去の話だが」

 部長と別れたあと、俺は咲久良に訊ねた。

「あいつにも、聞かれてよかったのか。冴木鏡子の盗作話。表沙汰になったら、作家生命の危機だ。冴木鏡子は全力を俺たちを潰しにくるだろう。部長は、信用できると思うが」

 咲久良は頷いた。

「部長のことは、悪いけれど利用させてもらいました。もしも、私たちが冴木鏡子の前で倒れたときは、部長が証人になってくれる。さっさと証拠を見つけて、部長に預けなきゃ」

 前向きな咲久良に、俺は笑った。

「よしよし、その意気だ」

 思わず、俺は手を伸ばして咲久良の頭を撫でていた。