入室してきたのは、創作文芸部の部長だった。

「あれ。土方先生、それに……咲久良さん? 進路の相談中でしたか」

 今の話、まさか聞かれてしまったか。俺の背中には冷や汗が流れた。思わず、大声になってしまっていたことを悔いた。
 咲久良も気まずそうに、視線を窓のほうに逸らしたが、ほんの一瞬だった。

「進学じゃなくて、ほんとうに好きな人がいるから、今すぐその人と結婚したいって言ったら、叱られました」

 こういう場面には、咲久良が強い。悪びれもせず、堂々と言ってのけた。

「咲久良さん、結婚? 高卒で?」

 部長も驚いている。

「はい。というか、今すぐに、です。そのつもりで進路調査票を出したんですけど、先生に怒られていたところなんです」
「まだ若いし、未成年なんだから、先生が止めるのももっともだな。やめたほうがいい。結婚は、これからいつでもできるよ。でも、若い時間は戻って来ない。ぼくにも彼女はいますが、正直結婚まではまだ考えたことがありませんね。あ、これは彼女に内緒で」

 内緒です、のサインで、部長は口もとに人差し指を添えた。賛成を得られなかった咲久良は落胆している。

「……先生に賛同ですか、部長も?」
「そりゃあ、結婚なんて。近年、この学校にそんな大胆な生徒、いましたっけ?」
「いねえよ!」

 俺は言い捨てた。

「じゃあ、百歩譲って、婚約でもいいです」
「あのなあ、咲久良。話がもとに戻ったぞ」
「あはは、そんな口論だったら、まるで先生と咲久良さんが恋人どうしで結婚、って会話ですよ。担任と生徒のせいか、仲がいいんですね。嫉妬しそう」

 部長は、おなかをかかえて笑った。
 しかし、真実を突かれた俺らは一緒に笑えなかった。

「さ、今日のところは終了。帰れ帰れ」
「私はまだ帰れません。先生、昔に書いた小説を読ませてください。この前、それを言い忘れちゃって。原稿、貸してください。部長、先生って恋愛小説を書くんですよ。公募新人賞の最終候補にも残ったことがあるんですって」
「ほんとうですか。それは、初耳だ!最終候補。土方先生、読ませてください」

「いや、だめだ。それに、あれの原稿は、とうの昔に破棄した。俺の手もとにはもうない。あれは、通俗小説、いやそれ以下だった。今、読み返したら感覚が古いし、きっとおかしな部分がたくさんあると思う」
「えー、嘘だ。原稿ってそんなに気安く捨てられないって、うちの母が昔、よく言っていましたよ」

 咲久良はお得意の、キラキラ上目遣いで俺に訴えを寄越した。こいつ、調子に乗りやがって。

「部誌に載せましょうよ! 結婚宣言の直後の恋愛小説、受けますよ!」

 部長も乗り気だ。

「い、いや。捨てたって」
「そんなことありませんってば。なんなら、私が探します。最終候補になったぐらいなら、出版社の書庫とかにあるかもしれませんし」
「あれ。咲久良さんって、出版社に知り合いがいるの」
「一応は」

「だめだ、あれはどうにもならない。たとえ、咲久良が裏技を使っても」
「えらい自信ですね」
「当然だ。あれは、盗作された」
「盗作?」

 咲久良も部長も、目を瞠った。しかし、咲久良はすぐに悟ったように頷いた。

「もしかして、冴木鏡子の受賞後第一作に、ですか」
「おお。よく分かったな」

 驚くかと思ったけれど、咲久良は意外に平然としていた。