さいわい、進路指導室は無人だった。
 俺は『在室中』のプレートをドアにかかげ、咲久良と入室する。ただし、鍵はかけられない。学年全体で調査票の提出時期だ、万が一ほかの生徒が来てもいいように、俺は咲久良と距離を置いて座った。

「なんですか、このよそよそしさ感は。膝の上に乗せてくれるぐらいは期待して来たのに」

 ぶつぶつと、不満を漏らしている。

「そんなことするか。それより、お前の調査票はなんだ。ふざけているつもりか」
「本気ですってば」
「本気なら、隠せと言ったはず。こんなこと書きやがって、ほかの教員に見られたらどうするつもりだ!」

 俺は、咲久良の書いてきた調査票を、机の上にたたきつけて返した。
 しかし、目の前の女子生徒は、驚きもしない。

「いいじゃないですか。としくん以外の人なら、ひどい冗談だな、教師をからかうなんてって、大笑いしますよ。それか、先生が結婚宣言したから、この女子生徒は焦ったのかもって。ねえ今度、温泉旅行しませんか。婚前旅行! 人目が気になると言うなら、遠くへお出かけです。旅先なら、堅物なとしくんも仕事を忘れて盛り上がれますよ?」

「書・き・直・せ! なぜ、いつもそっちの方向に持っていく? 話をはぐらかすな。どこの大学が第一志望だ? 第二、第三志望は。そのほかにも、興味のある大学・学部を羅列しろ。分からないなら、一緒に考えてやる。お前はもっとできるはずだ。自分の将来を、適当にごまかすな。俺のクラスなんだから文系だな、文系の進学先」

 そう説教しながら、俺は咲久良の前に、大学のガイドブックを何冊も積んでやった。どーんと。

「進学はしません。できません。基本、咲久良家の女子は、高校卒業後にすぐ結婚させられます。私、前にも言いましたよね。母だって、今でこそ大卒者ですが、あれは私が大きくなってから大学へ通った結果ですよ。というわけで、よろしくお願いしますね、先生。私をあの家から、さらってください」
「よろしくされては困る」
「でも、婚約宣言しましたし」
「相手が、誰かは言っていない。そろそろ結婚したいと思っているのは、事実だが」

「うわあ、卑怯ですね! あんな思わせぶりなことを堂々と言われたら、誰だって信じますよ。私、高校だって今すぐに辞めてもいいと思っています。先生の立場上、元生徒でも即結婚が難しいようなら、入籍は待ちます。だから、この調査票は受理してください。そして、一日でも早く実現してください」
「俺が認めたのは、恋人のふりだけだ。お前と今すぐ結婚なんて」

「前向きに検討するようなこと、言っていましたよ。あれ、嘘だったんですか。家に泊めて、濃厚キスのあとに押し倒して、一緒のベッドで寝ておいて」
「不可抗力もあった。俺ばかりを責めるな。ワイン持参で酔い潰したのは、お前だ。襲って襲ってとかおねだりしつつ、ほんとうは男が怖かったんだろ。考えたな」
「そ、そんなことありません。証拠写真と音声、現物、いろいろ持っていますよ。先生のほうが圧倒的に不利な立場ですから、無駄に追いつめないほうがいいですよ絶対に。私、何をするか分かりませんので」

 咲久良は追加証拠の存在をほのめかし、それを見せてくれた。

「おい、これって」

 なんと、咲久良の携帯電話の中には、俺が咲久良の身体にかぶさっている場面や、咲久良のちょっと色っぽい声がはっきりと記録されていた。

 思わず感心してしまいそうになるほど、しろうとにしてはうまく編集してある。証拠品の中では、常に俺が咲久良をどうにかしようとしているふうに残っていた。でっちあげではないけれど、捏造創作の域だ。

「こいつは、脅迫だ。脅してどうする、消せ」
「脅してでも、私は先生をものにします。恋人から、婚約者に格上げしてあげますね。よろこんでください」
「お前は、要求ばかりだ。親や婚約者に面会させる約束はどうした」
「そ、それは、今、調整中で」

「もういい、帰れ。頭を冷やしてこい。明日、もう一度聞く。進路と面会の答えを用意しろ!」
「何度聞かれても、返事は同じです。私は、としくんのおよめさんになりたいの! それが、今の私の夢です!」

 咲久良が叫んだ直後、ドアがノックされた。