月曜、火曜とぽつぽつ調査票が戻ってきた。読み通り、併設大学希望が大多数だった。
これは予想通りの結果とはいえ、担任の俺のところまで相談に来る生徒が皆無だったことには嘆いた。文字通り、身を賭し、恥を忍んで自分の結婚を引き合いに出したのに。
……そうですか、そうですか、担任なんてうるさいだけで頼りになりませんか!
面倒なのは、何気なく単なる思いつきで口走ったことばが、『土方先生婚約宣言』として学校中に拡散してしまった。
生徒だけではなく、教職員からも『土方先生ご結婚ですか』『あんまり若い女性は教師という職業上、よろしくないと思いますが』などなど祝福されたり厭味を言われたり、さんざんだった。
俺としては、将来への明るい希望を分かりやすく明示したつもりだったが、噂と言うのはおそろしい。
「ん?」
メルヘンチックな、かわいいピンク色の封筒が入っていた。咲久良からだった。テープと糊で、きっちり二重に封がしてある。
余計な仕事を増やさないでほしい。俺はちょっと苦労して、でも丁寧に封を開けた。中身は、もちろん調査票一枚だった。
あいつは、あれほど念を押したのに、全然連絡を寄越してこない。もう一度、呼び出さなければと思っていた矢先、俺は調査票を見てお茶を噴き出した。
「ぶぶっ!」
同僚の教員が、なにごとかと俺のほうを見てきた。俺はおおげさに、心配そうな視線をごまかして躱す。
そう、調査票にはきれいな字で大きく、こうしるしてあった。
『土方先生のおよめさんになりたいです』
俺は絶句した。
とりあえず、誰の目にも触れないよう、調査票を折ってスーツのポケットに入れて隠した。そしてクラスに走って戻った。放課後だが、まだ残っているかもしれないと期待を持ちつつ。
「咲久良は、まだ残っているか」
教室にいた女子に声をかける。
「みずほなら、図書室に寄って帰るとか言ってたよ。まだそっちにいるかも」
「おう! ありがとな」
踵を返し、図書室へと向かう。すれ違う生徒が『あれが婚約宣言した噂の教師』『風紀を守る鬼教師が廊下を走っていいのか』などと、小声が耳に入ってくるものの、俺は無視した。
咲久良は、いた。
人が少ない、静かな図書室の書棚の間に挟まって、本を読んでいる。時おり、窓から風が吹いてきて咲久良の髪をふわっとたなびかせる。スカートもひるがえる。
図書室の美少女。絵になっていた。一瞬、見とれてしまい、屈辱を覚える。
「咲久良ッ」
呼びかけに、咲久良は本から顔を上げた。学校で見せる、生徒の顔つきだ。
「こんにちは、先生。そんなに息を切らして、どうしたんですか」
「調査票のことで、話がしたい。そのほかにも、細々と。時間はあるか」
「ええ、ありますよ」
「ここだと……話しづらい。個人情報だからな。進路指導室は、どうだ」
「いいですね、行きましょう。私も、先生に聞きたいことがありました」
なんだ、この落ち着いた余裕ぶっこきスマイルは。目を疑う。ついこの前の日曜日に、上目遣いで『としくん……』なんて喘いでいた女とは、まるで別人だった。
騙されているのかもしれないな、と思う。俺が本気になったところで親と学校にバラして、俺を再起不能になるよう、陥れるつもりかもしれない。
「聞いてもいいか。なにを、読んでいたんだ」
「部の、課題の参考になりそうな、恋愛小説です」
「だったら、家で母親の小説を借りて読めばいい。ああいう作風、俺は趣味じゃないが、世間では流行っているだろ」
冴木鏡子は現代恋愛小説の旗手だ。ドラマや映画化が何度もされている。
「奇遇ですね。私も、母の小説は好きじゃありません。ご都合主義っていうか、登場人物と場所は違えど、展開はいつも同じだし」
「ああ、三角関係な」
「そう、それです。ああいう型にはまった関係、うんざりします」
「しかし、日本人は奇数が好きだ。型にはまったというが、王道だ。需要はあると思う」
ですかねえ、そうだといいんですけどねえ、咲久良は否定的に頷いた。
話をしながら廊下を歩いているうちに、進路指導室にたどりついた。この部屋は、空き教室を利用した情報部屋で、廊下の突き当たりにある。
「あれ、監視カメラなんてありましたっけ、ここの上。この前来たときは気がつかなかった」
突き当りの先は非常口になっていて、校庭に繋がる観音開きの扉がある。
「大きな声では言えないが、先日ここから侵入者があったんだ。実際には被害がなくて、なにも取られなかったようなんだが、以降校内の警備が強化した。おそらく、ほかの場所にもカメラが増えているはずだ」
「えー。怖いですね。なにが目的だったんでしょう」
「女子生徒の体育着かもな。いや、制服マニアか」
「いやだぁ、変態」
「ロッカーには鍵をかけて、きちんと管理しておけよ。学校生活に無用なものは持ち込むな」
「はい」
これは予想通りの結果とはいえ、担任の俺のところまで相談に来る生徒が皆無だったことには嘆いた。文字通り、身を賭し、恥を忍んで自分の結婚を引き合いに出したのに。
……そうですか、そうですか、担任なんてうるさいだけで頼りになりませんか!
面倒なのは、何気なく単なる思いつきで口走ったことばが、『土方先生婚約宣言』として学校中に拡散してしまった。
生徒だけではなく、教職員からも『土方先生ご結婚ですか』『あんまり若い女性は教師という職業上、よろしくないと思いますが』などなど祝福されたり厭味を言われたり、さんざんだった。
俺としては、将来への明るい希望を分かりやすく明示したつもりだったが、噂と言うのはおそろしい。
「ん?」
メルヘンチックな、かわいいピンク色の封筒が入っていた。咲久良からだった。テープと糊で、きっちり二重に封がしてある。
余計な仕事を増やさないでほしい。俺はちょっと苦労して、でも丁寧に封を開けた。中身は、もちろん調査票一枚だった。
あいつは、あれほど念を押したのに、全然連絡を寄越してこない。もう一度、呼び出さなければと思っていた矢先、俺は調査票を見てお茶を噴き出した。
「ぶぶっ!」
同僚の教員が、なにごとかと俺のほうを見てきた。俺はおおげさに、心配そうな視線をごまかして躱す。
そう、調査票にはきれいな字で大きく、こうしるしてあった。
『土方先生のおよめさんになりたいです』
俺は絶句した。
とりあえず、誰の目にも触れないよう、調査票を折ってスーツのポケットに入れて隠した。そしてクラスに走って戻った。放課後だが、まだ残っているかもしれないと期待を持ちつつ。
「咲久良は、まだ残っているか」
教室にいた女子に声をかける。
「みずほなら、図書室に寄って帰るとか言ってたよ。まだそっちにいるかも」
「おう! ありがとな」
踵を返し、図書室へと向かう。すれ違う生徒が『あれが婚約宣言した噂の教師』『風紀を守る鬼教師が廊下を走っていいのか』などと、小声が耳に入ってくるものの、俺は無視した。
咲久良は、いた。
人が少ない、静かな図書室の書棚の間に挟まって、本を読んでいる。時おり、窓から風が吹いてきて咲久良の髪をふわっとたなびかせる。スカートもひるがえる。
図書室の美少女。絵になっていた。一瞬、見とれてしまい、屈辱を覚える。
「咲久良ッ」
呼びかけに、咲久良は本から顔を上げた。学校で見せる、生徒の顔つきだ。
「こんにちは、先生。そんなに息を切らして、どうしたんですか」
「調査票のことで、話がしたい。そのほかにも、細々と。時間はあるか」
「ええ、ありますよ」
「ここだと……話しづらい。個人情報だからな。進路指導室は、どうだ」
「いいですね、行きましょう。私も、先生に聞きたいことがありました」
なんだ、この落ち着いた余裕ぶっこきスマイルは。目を疑う。ついこの前の日曜日に、上目遣いで『としくん……』なんて喘いでいた女とは、まるで別人だった。
騙されているのかもしれないな、と思う。俺が本気になったところで親と学校にバラして、俺を再起不能になるよう、陥れるつもりかもしれない。
「聞いてもいいか。なにを、読んでいたんだ」
「部の、課題の参考になりそうな、恋愛小説です」
「だったら、家で母親の小説を借りて読めばいい。ああいう作風、俺は趣味じゃないが、世間では流行っているだろ」
冴木鏡子は現代恋愛小説の旗手だ。ドラマや映画化が何度もされている。
「奇遇ですね。私も、母の小説は好きじゃありません。ご都合主義っていうか、登場人物と場所は違えど、展開はいつも同じだし」
「ああ、三角関係な」
「そう、それです。ああいう型にはまった関係、うんざりします」
「しかし、日本人は奇数が好きだ。型にはまったというが、王道だ。需要はあると思う」
ですかねえ、そうだといいんですけどねえ、咲久良は否定的に頷いた。
話をしながら廊下を歩いているうちに、進路指導室にたどりついた。この部屋は、空き教室を利用した情報部屋で、廊下の突き当たりにある。
「あれ、監視カメラなんてありましたっけ、ここの上。この前来たときは気がつかなかった」
突き当りの先は非常口になっていて、校庭に繋がる観音開きの扉がある。
「大きな声では言えないが、先日ここから侵入者があったんだ。実際には被害がなくて、なにも取られなかったようなんだが、以降校内の警備が強化した。おそらく、ほかの場所にもカメラが増えているはずだ」
「えー。怖いですね。なにが目的だったんでしょう」
「女子生徒の体育着かもな。いや、制服マニアか」
「いやだぁ、変態」
「ロッカーには鍵をかけて、きちんと管理しておけよ。学校生活に無用なものは持ち込むな」
「はい」