……気がついたら、朝だった。

 半裸のまま、ベッドに寝ていた。隣に、咲久良が寝ている。

「いたたたた……頭が割れそう」

 頭が、痛い。

 咲久良は、持参のパジャマをきっちり着ている。前ボタンは全部かかっていた。俺の隣で、すやすやと寝ていた午前七時。
 俺は頭を掻きながら、キッチンへと急いだ。ミネラルウォーターをごくごくと飲む。

 ……酔って、まるで記憶がない。

 でも、やってない。やってないと思う!

 そこまで鬼畜ではない。咲久良は生徒だ。しかも、担任しているクラスの。やっていない、俺はたぶんやっていない! 証拠や記憶はないけれど、やっていない!

「酔い潰れただけだ、そうだ、そうに違いない」

 意味もなく、俺は叫んでいた。けれど、やっぱり証拠はない。
 しかししかし、それらしい痕跡も遺物もないし、なにより咲久良はパジャマをしっかりと着てよく寝ている。半裸の俺とは大違いだ。

 しかし、どうやってベッドまでたどりついたのだろうのか、さっぱり思い出せない。
 俺は頭をかかえたが、とにかく、走ろうと思った。思考を切り替える。真新しいシューズにつま先を通した。


 しかし、いつになく身体が重い。
 準備運動の段階ですら、思うように動かない。飲み過ぎたか。

 ともかく、これで既成事実は完成した。
 たとえなにも起きなくても、咲久良が俺のベッドで枕を並べて寝たことは事実だ。咲久良の親から訴えられたら、俺は破滅。濃厚キス写真どころではない。

 困っている咲久良を、助けたい気持ちはある。

 俺以外に頼れる人間がいないのだ、あいつは。いくら強がっていても、か弱い存在でしかない。


 日課のジョギングが終わって帰宅しても、咲久良はまだよく寝ていた。
 俺はシャワーを浴びて汗を流し終えると、今日約束していた女に電話をかけた。こそこそと。

「……そうだ。悪いな、千華(ちか)。今日の約束はキャンセルする。急な仕事だ」

 千華という女とは、先日寄ったバーで知り合った。
 特別かわいいというわけではないけれど、肉付きがよくて肌が白かった。知り合ったその日のうちに、なんとなく深い関係になった。一晩重なっただけ。名前しか知らない。

 今日が二回目のデートの予定だった。

 まあ、あれだ。いわゆる、身体からはじまる系のオトナな色恋だったが、俺が約束を破ったことで多分自然消滅、さようならになるだろう。後悔はない。あっちだって、そんなに期待はしていなかった(はずだ)。

「うぅーん。おはよーございます……としくん」

 完全に寝ぼけている。目をこすりながら、咲久良が寝室からのそのそと出てきた。子どもみたいだった。
 ちょうど、キッチンでコーヒーを淹れているところ。俺は咲久良の分も準備した。

「まだ寝ていてもいいんだぞ」
「でも昨日、としくんは私のはじめてを奪いませんでしたよね。覚悟、していたのに。どうして、先に寝ちゃったんですか! 私って、そんなに魅力ない女ですか。違う意味で、傷つきました!」
「い、いや、咲久良はじゅうぶんかわいいし、将来はじゅうぶんもてると思うぞ」
「だったら今からでも……、あ。今の電話って、もしかして今夜のお相手ですか。約束って、嘘じゃなかったんですね?」
「言っただろ。予定があると」

 咲久良は怯んだ。
 黙って、ホットコーヒーを差し出してやった。こいつで、頭を起こせ。

「いただきます……すみません、私のせいで。しかも、相手は女性……でしたよね」
「正直言って、女に不自由したことはない。誘われたらまあ乗るし、誘えばほぼ百パーセント、俺について来る」
「モテ男、なんですね」
「お前のお守りも、仕事のうちだ。今日はまず、墓参りに行こう」

「お墓参り?」
「お前の祖母の、な。少しは気分が晴れるだろう。場所は、どこなんだ」
「谷中霊園です」
「上野のほうか。電車で行ったほうがいいな」

 コーヒーをちびちびと飲みながら、咲久良は頷いた。

「そのあと、親か、例の婚約者と会えないか。都合をつけてくれ」
「え。会うんですか?」
「乗りかかった船だ。どうせ、恋人がいると話すどころか、まるで会話ナシの親子だろ。せっかく、俺が写真を撮ったりデートしてやったり、泊めたりしてんのに、お前は逃げ回るだけでなにもしていない。だから担任として、会いたい」

「よく分かりますね、会話がないって」
「身支度したら、出るぞ。新宿でブランチだ。連絡、してくれよ?」