次回の課題が決まると、部活は終了となる。俺も職員室に引き上げることにしたが、ついでといった感じを装って、なるべくさりげなく咲久良に声をかける。
「咲久良、提出物のことで聞きたいことがあるから、片づけが終わったら帰りに職員室まで寄ってくれないか。すぐに終わる」
なんで、教師の俺が、年上の俺が、十ほども違う小娘に対して、こんなに気をつかわないといけないんだ。
ふたりきりの環境になったら、とにかく連絡してこいと、俺は言おうと思っている。自分から番号を聞き出しておいて音信不通なのだから、これは腹が立つ。俺がメールを送っても、まるで無視なのだ。どういうつもりなんだ。遊ばれているのか? トラップなのか?
咲久良はすぐに来た。部活解散後、五分ぐらいだった。
「なんの話でしょうか」
ほかの教員の目があるので、咲久良はかしこまっている。基本、お嬢さまなのだ。この、外面姫よ。
「お前、文学にかなり詳しいんだな。意外だった」
「別に、あれぐらい普通です。中学のとき、長い通学電車の中で、することがなくて、いつも読書していましたので。うち、本だけは多いんです。そのころからの習慣で、なんとなく今も」
「そのくせ、国語の成績は普通だよな。俺の、担任の教科なのに」
現代文はよくても、古文・漢文は苦手、という生徒もよくいるが、咲久良はどちらもまんべんなく平均点を保っている。偽装成績の嫌疑が、ますます濃厚になった。
「成績と読書は関係ありません。たくさん読んだからって、成績が上がるなんて単なる決めつけです」
「そうか? 多少は役に立つはずだぞ」
「むしろ、読書にのめり込むと、勉強の妨げになるかと。私、進学しないので、これ以上の勉学は必要ありません」
「もったいないな。せっかく、素地があるのに」
「進学しない私なんかが好成績だったら、みんなの迷惑になります。学校の成績は普通、あるいはそれ以下でじゅうぶんです」
水かけ論だった。俺は、ごほんとひとつ、咳払いをして話題を変えた。
「それはそうと、メール。なにか、言って返せ」
秘密の交際をしているような気がして、俺は自然と小声になっていたが、やましくはないはずだ。これは、一女子生徒の救済だ。
「ハートがありません」
「はー……と?」
「そうです、言いましたよね。恋人どうしのメールには、ハートが乱舞すると。先生からのメールは、どうみてもただの事務連絡。平安時代の恋文にたとえるならば、先生のメールはごわごわの陸奥紙で書かれた、そっけないお役所文書です。もっと、きれいな紙に……季節の色に染められた薄様に、お花とかプレゼントを添えるような気持ちで書いてください。返事をする気には、とうていなれません」
「しっ。咲久良、声が大きい」
面倒くさい比喩を使ってきた……俺が、国語科だということを意識しているのか。
「何度でも言います、ハートをください」
「鳩?」
「違います、♡です」
どこで得た知識なのか。ハート、ハート。小学生か。外見はおとなびて映る反面、中身は相当に子どもっぽさを残している。あやうい。
ハート、それに絵文字全般が、俺には気恥ずかしい。恋人ごっことはいえ、メールは証拠が残る。万が一の可能性もあるので、俺はわざとシンプルな文面にしていた。
「……ハートにしたら、返事するんだな」
「はい、もちろんです!」
……繰り返すが、面倒くさい。
一度、ゆっくり話し合わなければならない。場合によっては、家庭訪問が必要だ。生徒の家庭と深くつきあわなくてすみそうだから、小学校や中学校ではなく、高校教師を希望したのに、やっかいなことだ。
まあ、仕方がない。いまいましいけれど、これも業務の一環だ。
「先生も、もう帰るようでしたら、一緒に帰りませんか」
ハート、いやメールの話を終えると、咲久良は急ににこやかな顔になった。愛情に飢えているのかなと邪推してしまう。
教師と生徒が一緒に帰るぐらい、たまにはあるだろう。妙に意識する場面でもないと思う。一緒に帰るといっても、最寄りの駅までだ。……ん、まさか、それ以上、というかうちまで、ついてくるつもりじゃないよな? 俺は警戒した。
「土方先生、国語準備室の鍵を返却します!」
そこへ、文芸創作部の部長が職員室に飛び込んできた。
「あ、ああ。おつかれさま」
「先生は、咲久良さんとずいぶん親しいんですね」
ほら、来た。やっぱり、一緒に帰る案は却下。俺は、投げ出していた脚を組み替える。その類いの問いは、予想済みだ。
「担任のクラスの生徒だからな」
頭の中で何度も反芻しているせいか、余裕たっぷりで答えることができた。しかし、俺の隣で咲久良は失笑していた。芝居じみていたか?
「なるほど。そうでしたね、そういえば」
「部長、そろそろ暗くなる。駅まででいい、咲久良と帰ってくれないか」
ふたりとも、あからさまに顔をしかめた。そんなにおかしな発言をしたつもりはないのに、しらけた空気が流れた。
「か、構いませんよ。ぼくは、構いません。先生の依頼とあれば」
「……じゃあ、帰ります。先生、さようなら。先ほどの件、よろしくお願いしますね。是非」
俺は苦笑いで手を振った。
恨まれたな、これは。
「咲久良、提出物のことで聞きたいことがあるから、片づけが終わったら帰りに職員室まで寄ってくれないか。すぐに終わる」
なんで、教師の俺が、年上の俺が、十ほども違う小娘に対して、こんなに気をつかわないといけないんだ。
ふたりきりの環境になったら、とにかく連絡してこいと、俺は言おうと思っている。自分から番号を聞き出しておいて音信不通なのだから、これは腹が立つ。俺がメールを送っても、まるで無視なのだ。どういうつもりなんだ。遊ばれているのか? トラップなのか?
咲久良はすぐに来た。部活解散後、五分ぐらいだった。
「なんの話でしょうか」
ほかの教員の目があるので、咲久良はかしこまっている。基本、お嬢さまなのだ。この、外面姫よ。
「お前、文学にかなり詳しいんだな。意外だった」
「別に、あれぐらい普通です。中学のとき、長い通学電車の中で、することがなくて、いつも読書していましたので。うち、本だけは多いんです。そのころからの習慣で、なんとなく今も」
「そのくせ、国語の成績は普通だよな。俺の、担任の教科なのに」
現代文はよくても、古文・漢文は苦手、という生徒もよくいるが、咲久良はどちらもまんべんなく平均点を保っている。偽装成績の嫌疑が、ますます濃厚になった。
「成績と読書は関係ありません。たくさん読んだからって、成績が上がるなんて単なる決めつけです」
「そうか? 多少は役に立つはずだぞ」
「むしろ、読書にのめり込むと、勉強の妨げになるかと。私、進学しないので、これ以上の勉学は必要ありません」
「もったいないな。せっかく、素地があるのに」
「進学しない私なんかが好成績だったら、みんなの迷惑になります。学校の成績は普通、あるいはそれ以下でじゅうぶんです」
水かけ論だった。俺は、ごほんとひとつ、咳払いをして話題を変えた。
「それはそうと、メール。なにか、言って返せ」
秘密の交際をしているような気がして、俺は自然と小声になっていたが、やましくはないはずだ。これは、一女子生徒の救済だ。
「ハートがありません」
「はー……と?」
「そうです、言いましたよね。恋人どうしのメールには、ハートが乱舞すると。先生からのメールは、どうみてもただの事務連絡。平安時代の恋文にたとえるならば、先生のメールはごわごわの陸奥紙で書かれた、そっけないお役所文書です。もっと、きれいな紙に……季節の色に染められた薄様に、お花とかプレゼントを添えるような気持ちで書いてください。返事をする気には、とうていなれません」
「しっ。咲久良、声が大きい」
面倒くさい比喩を使ってきた……俺が、国語科だということを意識しているのか。
「何度でも言います、ハートをください」
「鳩?」
「違います、♡です」
どこで得た知識なのか。ハート、ハート。小学生か。外見はおとなびて映る反面、中身は相当に子どもっぽさを残している。あやうい。
ハート、それに絵文字全般が、俺には気恥ずかしい。恋人ごっことはいえ、メールは証拠が残る。万が一の可能性もあるので、俺はわざとシンプルな文面にしていた。
「……ハートにしたら、返事するんだな」
「はい、もちろんです!」
……繰り返すが、面倒くさい。
一度、ゆっくり話し合わなければならない。場合によっては、家庭訪問が必要だ。生徒の家庭と深くつきあわなくてすみそうだから、小学校や中学校ではなく、高校教師を希望したのに、やっかいなことだ。
まあ、仕方がない。いまいましいけれど、これも業務の一環だ。
「先生も、もう帰るようでしたら、一緒に帰りませんか」
ハート、いやメールの話を終えると、咲久良は急ににこやかな顔になった。愛情に飢えているのかなと邪推してしまう。
教師と生徒が一緒に帰るぐらい、たまにはあるだろう。妙に意識する場面でもないと思う。一緒に帰るといっても、最寄りの駅までだ。……ん、まさか、それ以上、というかうちまで、ついてくるつもりじゃないよな? 俺は警戒した。
「土方先生、国語準備室の鍵を返却します!」
そこへ、文芸創作部の部長が職員室に飛び込んできた。
「あ、ああ。おつかれさま」
「先生は、咲久良さんとずいぶん親しいんですね」
ほら、来た。やっぱり、一緒に帰る案は却下。俺は、投げ出していた脚を組み替える。その類いの問いは、予想済みだ。
「担任のクラスの生徒だからな」
頭の中で何度も反芻しているせいか、余裕たっぷりで答えることができた。しかし、俺の隣で咲久良は失笑していた。芝居じみていたか?
「なるほど。そうでしたね、そういえば」
「部長、そろそろ暗くなる。駅まででいい、咲久良と帰ってくれないか」
ふたりとも、あからさまに顔をしかめた。そんなにおかしな発言をしたつもりはないのに、しらけた空気が流れた。
「か、構いませんよ。ぼくは、構いません。先生の依頼とあれば」
「……じゃあ、帰ります。先生、さようなら。先ほどの件、よろしくお願いしますね。是非」
俺は苦笑いで手を振った。
恨まれたな、これは。