俺は頭をかかえた。冷静になれ、冷静に。
こいつは、話の核心をはぐらかそうとしているだけだ。乗ったら負けだ。それとも、家庭の詳しい事情はあまり話したくないのか。
「まあ、いい。徐々に聞くとしよう。友だちが待ってんだろ、駅前のファーストフード店で。あまり遅いと、俺たちの仲を不審がられる」
「うわあ、生徒の会話を立ち聞きですか、悪趣味な。ま、これだけ時間があれば、もう襲われていますね」
「……そんなに襲われたいか」
「はい! 次の土曜日、先生の自宅へ行ってもいいですか? 自炊、しないって聞きましたし、ごはんを作ってあげます」
襲われ希望の女なんて、はじめてだった。しかも教え子。
「お前なんかに頼まなくても、めしぐらい作ってくれるやつは他にたくさんいる」
「生意気な言い方ですね。『お前なんか』ではありません。恋人の作るごはんは特別ですよ、特別! なんだったら、今夜でも構いませんが、泊めてくれます?」
「いらん。今夜はすでに予約がある。間に合っている」
「ごはんのお礼は、としくんの身体で払ってください」
「……あのなあ、人の話を聞け? しかもそういう冗談、ほかの男に言ったら、一回でアウトだからな? がぶっと、まるっと喰われて捨てられておしまいだ。男にとって都合のいい便利な女なんて、イヤだろ?」
「当然、としくんにしか言いません。ふしだらな女ではありませんので、私」
「分かった分かった。もう帰れ、話にならない」
過去にも、俺に向かって軽く好意をほのめかす生徒はいたけれど、ここまで身体を張って、真正面から迫ってくる生徒は初めてだ。辟易した。
まともにぶつかるよりも、まずはこいつの身辺調査をしたほうがよさそうだ。このままでは、俺の神経が持たない。
「つれないなあ、もう」
咲久良は怒っている。簡単につれたら俺が困る。
「とりあえず、メールだけは寄越せ。番号も。こっちから、連絡することもあるはずだ」
「はーい。でも、メールの文末には、必ずハートマークを入れてくださいね。たくさん、飛ばすんですよ。ハートの数が多ければ多いほど、合格です」
「ふざけんな。絵文字なんて、ガラじゃない。オトナをからかうな」
咲久良を追い出すようにして、俺も十分後に時間差で進路指導室を出た。
その後、職員室でマル秘の資料を探る。
各生徒の、個人情報が書かれた調書が保管されている。担任権限で、俺は咲久良の資料を堂々と抜き取った。
現住所は、昨夜送った場所に間違いなかった。地図と見比べる。なるほど、豪邸のお嬢さまだ。
家族構成は、父母。ひとりっ子で、きょうだいはいないが、祖母と同居している。都内のわりと有名な私立中学を卒業し、うちの高校に進学していた。珍しいケースだった。
我が校の学力レベルは、どうがんばって見積もっても、せいぜいが中の上。咲久良が通っていた学校と比べると、格下感は否めない。
「通学がラクだから、とか」
咲久良の自宅から、うちの高校までなら三十分ほどで通学できるけれど、有名私立大学の付属高校に通うとなると、片道一時間では足りないだろう。
朝夕の通勤通学ラッシュ時にぶつかると、より時間がかかるはずだ。痴漢の被害も受けるかもしれない。
いや、それにしたってもっと上位の高校を狙えただろうに。
とりあえず、咲久良の調書を伏せ、俺は携帯で咲久良家について軽く調べてみた。
すると、咲久良家の入り婿である父親が、地元の市議会議員をだいぶ長く務めているという事実に当たった。家土地持ちなのは、母親のほうだった。選挙運動時の画像がいくつも出てくる。父親に比べ、母親はとても若い。
「なるほど、娘に婿を早く取りたいと願うのは、親世代からの因習か」
となると、咲久良の婿候補は父親の側近だろうか。いずれは、議員の地盤を継ぐために。
それでも、婚約者のことはまではまるで見当もつかない。恋人権限を振りかざし、名前ぐらいは聞き出させねば。
しかし、俺がそれをしてどうなる。腕を組んで考える。
婚約を破棄という事態になれば、咲久良は喜ぶのだろうか。咲久良家は、納得するのだろうか。誰も得をしないことに、俺は手を染めかけているのではないか。
いや、咲久良の担任として、あいつのかかえている不安は除いてやる必要はある。困っている生徒に、手を差し伸べるのは、教師として当たり前の行為だ。
たとえ、恋人ごっこでも。
まずは事実確認。
現状、とにかく俺はそう納得することにした。
こいつは、話の核心をはぐらかそうとしているだけだ。乗ったら負けだ。それとも、家庭の詳しい事情はあまり話したくないのか。
「まあ、いい。徐々に聞くとしよう。友だちが待ってんだろ、駅前のファーストフード店で。あまり遅いと、俺たちの仲を不審がられる」
「うわあ、生徒の会話を立ち聞きですか、悪趣味な。ま、これだけ時間があれば、もう襲われていますね」
「……そんなに襲われたいか」
「はい! 次の土曜日、先生の自宅へ行ってもいいですか? 自炊、しないって聞きましたし、ごはんを作ってあげます」
襲われ希望の女なんて、はじめてだった。しかも教え子。
「お前なんかに頼まなくても、めしぐらい作ってくれるやつは他にたくさんいる」
「生意気な言い方ですね。『お前なんか』ではありません。恋人の作るごはんは特別ですよ、特別! なんだったら、今夜でも構いませんが、泊めてくれます?」
「いらん。今夜はすでに予約がある。間に合っている」
「ごはんのお礼は、としくんの身体で払ってください」
「……あのなあ、人の話を聞け? しかもそういう冗談、ほかの男に言ったら、一回でアウトだからな? がぶっと、まるっと喰われて捨てられておしまいだ。男にとって都合のいい便利な女なんて、イヤだろ?」
「当然、としくんにしか言いません。ふしだらな女ではありませんので、私」
「分かった分かった。もう帰れ、話にならない」
過去にも、俺に向かって軽く好意をほのめかす生徒はいたけれど、ここまで身体を張って、真正面から迫ってくる生徒は初めてだ。辟易した。
まともにぶつかるよりも、まずはこいつの身辺調査をしたほうがよさそうだ。このままでは、俺の神経が持たない。
「つれないなあ、もう」
咲久良は怒っている。簡単につれたら俺が困る。
「とりあえず、メールだけは寄越せ。番号も。こっちから、連絡することもあるはずだ」
「はーい。でも、メールの文末には、必ずハートマークを入れてくださいね。たくさん、飛ばすんですよ。ハートの数が多ければ多いほど、合格です」
「ふざけんな。絵文字なんて、ガラじゃない。オトナをからかうな」
咲久良を追い出すようにして、俺も十分後に時間差で進路指導室を出た。
その後、職員室でマル秘の資料を探る。
各生徒の、個人情報が書かれた調書が保管されている。担任権限で、俺は咲久良の資料を堂々と抜き取った。
現住所は、昨夜送った場所に間違いなかった。地図と見比べる。なるほど、豪邸のお嬢さまだ。
家族構成は、父母。ひとりっ子で、きょうだいはいないが、祖母と同居している。都内のわりと有名な私立中学を卒業し、うちの高校に進学していた。珍しいケースだった。
我が校の学力レベルは、どうがんばって見積もっても、せいぜいが中の上。咲久良が通っていた学校と比べると、格下感は否めない。
「通学がラクだから、とか」
咲久良の自宅から、うちの高校までなら三十分ほどで通学できるけれど、有名私立大学の付属高校に通うとなると、片道一時間では足りないだろう。
朝夕の通勤通学ラッシュ時にぶつかると、より時間がかかるはずだ。痴漢の被害も受けるかもしれない。
いや、それにしたってもっと上位の高校を狙えただろうに。
とりあえず、咲久良の調書を伏せ、俺は携帯で咲久良家について軽く調べてみた。
すると、咲久良家の入り婿である父親が、地元の市議会議員をだいぶ長く務めているという事実に当たった。家土地持ちなのは、母親のほうだった。選挙運動時の画像がいくつも出てくる。父親に比べ、母親はとても若い。
「なるほど、娘に婿を早く取りたいと願うのは、親世代からの因習か」
となると、咲久良の婿候補は父親の側近だろうか。いずれは、議員の地盤を継ぐために。
それでも、婚約者のことはまではまるで見当もつかない。恋人権限を振りかざし、名前ぐらいは聞き出させねば。
しかし、俺がそれをしてどうなる。腕を組んで考える。
婚約を破棄という事態になれば、咲久良は喜ぶのだろうか。咲久良家は、納得するのだろうか。誰も得をしないことに、俺は手を染めかけているのではないか。
いや、咲久良の担任として、あいつのかかえている不安は除いてやる必要はある。困っている生徒に、手を差し伸べるのは、教師として当たり前の行為だ。
たとえ、恋人ごっこでも。
まずは事実確認。
現状、とにかく俺はそう納得することにした。