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 仕事を終えて次の3連休の予定を考えながら自宅にもどると、見覚えのある車が2台止まっていた。叔父と叔母の車だ。お正月で年始の挨拶に来たんだろう。自分の車を路肩に停めて中に入ると和室で宴会が始まっていた。
「おう、ユキちゃんお帰り」
「ユキちゃんお邪魔してます」
 父方の叔父夫婦、母の妹。皆に年始の挨拶をし、叔父達にお酌をした。叔父達も私にも酒を進める。
「ユキちゃんも酒が飲めるようになったか。亡くなった兄さんも日本酒党だったもんなあ」
「40になってようやく出来た娘は可愛かったでしょうねえ」
 親戚が集まれば毎回出るのは同じ会話。平均余命が80という世の中で64という若さで亡くなった父。親戚が集えば笑いはなかった。火葬場で泣きわめいた私を気遣っていたのかもしれない。でも2年が経った頃からようやく父の思い出を笑顔で語れるようになった。父を忘れた訳じゃない。でも、笑っている遺影の父に楽しい思い出ばかりを浮かべるようになっていた。そして今シーズンはスキーに行こうと思えるようにまでなった。
 ユキちゃんスキー行ったんだって?、と父方の叔父に聞かれた。久々に道具も新調して東北のスキー場に行ったと話した。あそこは景色が良いでしょう?、と行ったことのあるらしい母方の叔母が言う。晴れると眼下に広がる湖が綺麗ですね、露天風呂からの眺めもいいですよ、と返した。露天風呂!、いいねぇ、と 温泉フリークの父方の叔父はそこに反応した。ユキちゃんパンフレットあるかい?、と言われ部屋から持って来て叔父に差し出した。皆がのぞき込む。
「へえ……」
「いつだか夏に行ったけど、露天風呂なんてなかったわねえ」
「5年前に作ったそうですよ。新しくて綺麗でした」
「食事はどう?」
「あ、私はミニキッチンのある部屋にして自炊してたから食事は……」
 皆が再びパンフレットをのぞき込む。バイキングか、カニもあるぞ、ステーキもあるわね、姉さんの好きなエビチリも、いいわねえ、行きたいわね、いいねえ、と叔父叔母は母も巻き込んで話し始めた。そして皆で目を互いに合わせた。
「行くか」
「行きましょうか」
「そうね」
「じゃあ決まりだ! 善は急げ、だ。今週末はどうだ? ユキちゃん案内してよ」
「えっ?」
「私も若い頃は雪道も平気だったけどしばらく行ってないしユキちゃんが運転なら助かるわ」
「や、でも私の車は……」
「ならうちの息子のなら7人乗れるぞ」
 勢いのある団塊の世代。言い出したら止まらないのはよく知っている。他の叔母まで誘い、あれよあれよと言う間に予約まで取らされ、年配者を連れてツアコンをする羽目になってしまった。しかも久々にスキーをやりたいからスキーをレンタルして私に教わりたいと言い出した。
「でも教えたことはなくて」
「運転も案内もしてレッスンじゃ、ユキちゃん可哀想よ」
「スキースクール申し込むか」
「ス……」
 八木田橋。
「ユキちゃん、スクールも予約してもらえるかい?」
「えっ」
「あ、スクール無いの?」
「いえ、あったと思います……」
 叔父たちが昔話に花を咲かせている横で、私はスマホからスクールのホームページを開いた。そのトップ画像にも八木田橋の姿が映されていた。青い空をバックに赤いウェアを着た八木田橋がエッジを切る画像。予約ページには日付、人数、代表者氏名、幼児か小学生か中学生以上か、スキー・ウェアレンタルの有無などの設問が出た。それらを記入して、送信ボタンを押した。“受け付けました。折り返し確認メールを送付します”の表示が出て、スマホを閉じた。
 すぐにはスクールからの返信はなかった。叔父たちには返事をもらい次第、連絡すると伝えた。しばらくして叔父たちはそれぞれに帰っていった。
 母と後片付けをする。母は、明日も仕事があるんだから先にお風呂入って休むよう言ってくれたけど、少しだけ、と言ってお皿や湯呑みをキッチンに下げた。母は和室の座布団を重ねている。
「母さん。嫌じゃないの、スキー」
「そうね、寒いのは好きじゃないけどエビチリ美味しそうだしみんなが行くって楽しそうだったし。それにね。こうして父さんの前で出た話だから、父さんが行けよって言ってる気がしてね。何年振りかしらねえ……」
 母は手を止め、仏壇の父の写真を嬉しそうに見ていた。
 スクールからの返信メールは翌日に来た。グループにインストラクターをひとり付けます、レベルに差がある場合は他のレベル別グループに振り分けることも出来るので早めに連絡くださいという内容だった。叔母たちは全くの初心者、叔父と母は経験者だけど数十年前にやったきり。でも何より一緒に楽しみたいだろうし、レベルに差はあったけどそのままインストラクターを派遣してもらおうと思った。
 旅行当日。叔父の息子、つまりは従兄弟のワンボックスカーを借りて旅行に出た。叔父夫婦、父方の叔母、母方の叔母、母の5人を乗せて私が運転する。助手席には乗り物酔いする叔母が乗り、残りの4人は高速に乗るとすぐ酒を飲み始めた。助手席の叔母は酔い止めが効いて爆睡、後ろの4人は子どもが小さかった頃の話をしていた。当然私のこともつまみにされた。ユキちゃんはお父さんのお嫁さんになるって言ってきかなかったよねえ、で、うちの和彦が親とはケッコンできないってホーリツで決まってんだ、とか言って泣かせて、和彦はユキちゃんのこと好きだったのよ、とからかわれた。
「ユキはからかわれやすいのよ」
「和彦はいつもユキちゃんにいたずらしたり意地悪言ったり。本当にごめんなさいねえ」
「さすがにあのときは和彦ちゃんも慌ててたわね」
「なんとかユキちゃんを笑わせようと百面相したら余計に怒らせちゃって、ユキちゃん地面の砂つかんで和彦に投げて和彦が大泣き」
 そうだったわね、と後部座席で叔母と母が話している。その和彦も数年前に結婚し、気の強い嫁の尻に敷かれてるらしい。
「ユキはどんな人と結婚するのかしらね」
「プレッシャー掛けないでよ、母さん」
「よく父親に似た人を選ぶって言うけど、ユキちゃんいい人いないの?」
 父方の叔父が、披露宴で祝い酒歌ってやるぞ?、と言い、叔母がブーケは私に造らせてね、と言い、私をからかう。
「ユキちゃんの花嫁姿、義兄さんにも見せてあげたかったわね」
 車内がシンとする。母が、きっと空から見てるわよ、号泣して当日は雨になるわね、と冗談を言って和ませた。
 ホテルの駐車場に着くと先にはリフトが動いてるのが見えた。リフトに乗っている人に目を凝らす。雪掻きをしてるスタッフを目で追う。無意識に自分がしている行為に気が付いてハッとした。
 ホテルのロビーに入り、叔母達に荷物をクロークに預けさせた。昼食をホテル内にあるレストランで取る。私はスクールの手続きをするからと言って食後の飲み物を待たずに席を立った。スクール受付に行き、既に打ち出されていた申込書内容の説明を受けた。担当インストラクター名の欄には酒井と掛かれていた。
 人当たりのソフトな酒井さんならきっと上手に教えてくれる、年下キャラの酒井さんならオバサマ受けする、酒井さんで良かったんだと自分に言い聞かせた。言い聞かせてる自分に虚しくもなった。もし八木田橋だったとして……。
 何を期待しているのだろう。会って何を話すと言うのだろう……。
 午後のレッスン開始時間になり、5人を集合場所に連れて行く。初心者3人はポールを突きながら雪上をおっかなびっくりで歩いている。叔父と母は板を担いで平気で歩いていた。
「あ、青山さんっ!」
 酒井さんだった。その“青山さん”の声掛けに私と母と叔父が反応した。酒井さんが視線を泳がす。私が、今日レッスンを受ける母と叔父と叔母3人です、と紹介すると、少し驚いた。
「あの、何か」
「てっきりさ、ネット申込書には代表者しか記入されてなかったからさ、男連中集めちゃったよ」
 と酒井さんは苦笑いした。
「ご、合コンしようって思ってたんですか?」
 冗談、冗談、俺は年上好きだからちゃんと指導するよ、と言うと、母や叔母たちに挨拶を始めた。母は、ユキは自由に滑ってきなさい、と私を解放してくれた。
 とりあえずリフトに乗る。リフトからコースを眺める。インストラクターの姿があちこちにいるけど八木田橋ではなさそうだった。用事なんてないし、顔を合わせたところで何を話していいか分からない。でもどうしたって目が探してしまう。ただ、ひと目、姿を見たい……。
全コースを滑ってみたけど八木田橋には会えなかった。運がないのだと思う、縁がないのだと思う、もう諦めてしまえと言われてる気もしてきた。会いたいなら電話すればいい、メールを送ればいい。番号だってアドレスだって知ってる。それでもスマホに手が伸びない自分がいた。和彦に砂を掛けた私は何処に行ったのだろう。
 叔母たちの様子が気になり再び麓の初心者コースにもどる。レストハウス前の緩やかな斜面でちょこちょこ足を動かしていた。いるのは叔母たち3人だけだ。
 近寄った私に気付いた酒井さんは私に話し掛けてきた。
「お母さんと叔父さん、別のグループに編入してもらったんだ」
 板も履けてちゃんと滑れるしリフトも行けそうだから中級グループを勧めた、と説明し、辺りを見回した。
「さっきまでこのコースにいたけど、移動したかな。多分、ロマンスリフトの迂回コースだと思うよ」
 私はその迂回コースに向かった。
 吸い寄せられるように迂回コースに行くと、ビブを付けた母と叔父がいた。そして小学高学年の男の子と赤いウェアを着た八木田橋。
「ユキ」
「ユキ」
 母と八木田橋の声が重なる。
「……さん」
 八木田橋が慌てて“さん”をつけた。親を目の前に呼び捨てが気まずかったみたいで。可笑しくて吹き出しそうになるのを喉元で堪えた。母に、知り合いなのかと尋ねられ、ちょっとね、と口ごもり気味に答えると八木田橋が母に言った。
「お嬢さんが履いてる板、僕も開発に携わりまして」
 そこにいた皆が驚く。私が一番驚いたと思う。本当は合コン目的でスマホを壊されたフリをした癖によくもまあ、しゃあしゃあと嘘をつけたと感心した。しかもそんな大層な嘘を。
「それで声を掛けさせていただきました」
 ぬけぬけと八木田橋はもっともらしく嘘を続けた。でも母に正直にナンパされたなんて言ったら心配すると考えて、話を合わせることにした。母は、素敵なお仕事なさってるのね、と八木田橋を褒め、八木田橋は、いえ趣味の延長でお恥しいかしい限りです、と答えた。そのあとはレッスンを再開し、八木田橋が手本を見せてそのあとに男の子、母、叔父と続く。八木田橋は同じ青山姓である母と叔父をそれぞれ、お母さん、叔父さんと呼び、なんとなく違和感を覚えた。よく、彼を父親に紹介して、“アンタに父さんと呼ばれる筋合いはない!”とでも言いたくなるような違和感。でも違和感にそのくすぐったくなった。もし、八木田橋が恋人なら、自然にそう呼んでいただろうに、と想像もした。
 3人を教えている八木田橋の背中。ウェアを着ているけど、あの背中に抱かれた記憶が蘇る。ひとりで勝手に顔を熱くした。苦しくて、その4人の脇を逃げるように滑り降りた。
 レッスン終了時刻に合わせてレストハウス前までもどると、インストラクターや生徒でごった返していた。私は酒井さんにお世話になったお礼を言うと酒井さんは、後でね、と意味ありげにウインクしてスクール小屋に向かって行った。
 直に母と叔父の一行も降りてきた。八木田橋は男の子の頭をグリグリと撫で、頑張ったな、と笑顔で褒めた。同じしぐさに思い出してしまう。リフトを降りたあと、板を挟むように正面から近付いて私にも同じことをした。すごく近くて私は焦って、あの瞬間に八木田橋を異性として意識した。いや、既に意識していたと気付いた。でも、あんな風にゴーグル越しに見つめるのも八木田橋にとっては日常茶飯事なのだ。
「ユキ……さん」
 八木田橋に声を掛けられた。付け足すようなさん付け。
「ちゃんと複数で来たのか」
「そうよ。でもお目当ての合コン出来なくて悪かったわね」
「ア……」
 八木田橋は母や叔父を近くにして、アホ、と言い損ねると咳ばらいをした。
「誰がお前なんかと……」
 母や叔父に聞こえないよう、八木田橋はボソリと言った。
「そうよね? ヤギは元カノみたいな若い子が好みでしょ。それとも菜々子ちゃんみたいなロリコン系?」
 初心者の叔母たちに、板がうまく外せない、と呼ばれ、私は八木田橋から離れた。そのあとは叔母達の着替えを手伝い、借りた品をレンタルコーナーに返却にし、皆と別れてひとりでゲレンデにもどった。
もちろんそこには八木田橋の姿はなかった。太陽も山の向こうに沈んだのかナイター用のライトがついていた。ひとり、リフトに乗る。ひとり、滑り下りる。ライトで伸びる私の影は知らないスキーヤーのウェアに掛かる。八木田橋ではない違う人間に寄り添うべきだと言うように。