*34
その休日出勤から帰宅して母に報告する。
「柏木さん、来た」
母は驚いた。電話が来て、ユキさんに一度でいいから会いたい、本人に直接断られたなら納得します、と言ってきたらしい。母はもちろん断った、今日は休日出勤で留守ですし、と。逆に仇になったわね、と母は笑った。
「柏木さんがなぜ私のことを知ってるの?」
「父さんの知人がユキの写真を持っててね」
父の会社で行われた家族レクリエーション。知人と私たち家族が映ってた写真を見たらしい、と母は言った。趣味がスキーであることも私を気に入る一因だった。
「まさかちゃんと断ったんでしょうね?」
「ファミレスで食事した。真面目そうだし優しいし、いい人だった」
「気を持たせるようなことしちゃ駄目よ、ユキ」
気を持たせるも何も私は柏木さんとのことを真剣に考えている。大体、今日のことだって柏木さんが勝手に押しかけた体になってるけど、本当のところは母が仕組んだと私は読んでいた。母から柏木さんに連絡したんじゃないか、娘は恋人と別れました、今がチャンスですよ、みたいな。
夕飯を終え、ダイニングで情報誌を見る。柏木さんも埼玉在住だから式場もこっちになる。柏木さんのイメージなら教会というよりは袴で神前式、勝手に想像しているとスマホが鳴った。
画面に表示された氏名に出るか出まいか怯んだ。八木田橋岳史……。心臓が口から飛び出しそうに高鳴る。嘘をついて別れを切り出した罪悪感。でも出ないのもコドモ過ぎると思い、タップした。
「もしもし、オバ……あ、おねえさん?」
幼い女の子の声だった。オバ……おねえさん? おねえさん、というフレーズからワントーン声色が上がる。聞き覚えのある声。
「な、菜々子!」
ご無沙汰してます、おねえさんお元気ですかあ?、と超ぶりっ子の鼻に付く話し方をする。
「何なのよ、気色悪いわね。オバサンって言ったらいいじゃない」
「菜々子、オバサンのことオバサンって呼んだことないもん!」
菜々子の間抜けな答えに吹き出したのか、電話口の向こうで八木田橋が笑う声がした。まだ別れてわずか数日なのに、ものすごく久しぶりに感じる。きっと家族でゴールデンウイークを利用して八木田橋のいるホテルに出掛けたのだろう。
「菜々子ね、今日はお泊りするの」
「ホテルでしょ、そんなの当たり前でしょ?」
「違うもん、ヤギせんせのお部屋に泊まるの」
菜々子は、いいでしょ、羨ましい?、とわざとらしく聞く。
……ムカつく。
「それとね、明日お写真撮るの。ドレス着てお庭で撮るの。いいでしょお?」
多分ホテル併設のあのハーブ園。目に入れても痛くはない愛娘のために両親はフリフリのドレスでもレンタルしたんだろうか。
「ヤギせんせがピンクが好きって言うからピンクのお洋服にしたの」
八木田橋はピンクが好きだなんて知らなかった。私には似合わない色。
「あっそ。ピンクなんて幼稚ね」
「菜々子4月から小学生だもん、幼稚園児じゃないもん! お写真だってヤギせんせと一緒に撮るの、いいでしょ、羨ましいでしょ!」
「へえ、それは良かったわねっ」
「ヤギせんせもタクシーに着替えるのっ」
「タ……っ……!」
菜々子がタキシードとタクシーを勘違いしてしゃべってるのも笑えたけど、タキシード姿の八木田橋を想像して吹き出した。
「オバっ……おねえさん、どうして笑うのっ! 菜々子にシットして笑うしかないんでしょっ!」
「なぜ嫉妬しなきゃいけないのよ」
「じゃあコドモだってバカにしてるの?」
急に電話の向こうが静かになる。わずかに鼻を啜る音が聞こえた。そしてガサガサと受話器に何かが当たる音がした。
「コドモ相手に何をムキになってんだよ、アホ!」
電話の相手が八木田橋に変わる。電話口の向こうで、せんせ、せんせ、うわあっ、と菜々子の泣き声がした。
「ムカつくからよ! 大体それ嘘泣きに決まってるでしょ?」
「仮に嘘泣きだって、そこまで追い詰めることないだろ」
わあわあと喚く菜々子の声。ヨシヨシと宥める八木田橋の声。
「なんで嘘泣きって分かるんだよ」
「なんでって」
「お前だって散々やって来たんだろ? だから分かるんだろ?」
図星だった。父の前では何度も嘘泣きをした。母に怒られて父の懐に逃げ込む。泣くフリをする。ユキも反省してるんだし母さんもういいだろう?、と父が母を宥める。母は諦めてキッチンにもどる。そんなことが幾度となくあった。幼稚園から小学校から男の子を泣かせたと報告を受けていた母は当然、嘘泣きだと見抜いていた。
「だから何よ」
「アホ」
「アホアホ言わないでよ」
「お前がアホなんだからしょうがねえだろ」
「お前? ヤギにお前なんて言われる筋合いないし、婚約解消したんだから!」
「ああそうですかそうですか、悪うございました。ユ、キ、さ、ん!」
これでいいかアホ!、と八木田橋は更に言い捨てた。
「ムカつく! もう関係ないんだから電話なんか掛けて来ないでよねっ!」
「だったら着信拒否しとけよ」
「言われなくてもそうさせていただきますっ、可愛い菜々子とお幸せに! ふんっ!」
私は画面を睨みつけて通話を切った。せっかく声が聞けたかと思えば菜々子を庇って。
「ユキ、八木田橋さんからだったの?」
「奈々子。八木田橋さんと写真撮るんだって」
「写真?」
「ピンクのドレスを来てハーブ園で撮るみたい。八木田橋さんもタキシード着るって」
「菜々子ちゃんに先を越されたわね」
先を越されるも何もない。テーブルに広げたままの情報誌をめくり、リゾートウェディング特集のページを広げる。明日菜々子と八木田橋はこうやって写真を撮る。ムカつく。青い山々をバックに白いドレスを着た新婦、微笑む新郎。本当は私がここに立つはずだった。元カノを知らなければ、あのとき流産しなければ、何もなかったように披露宴の話を進めていたのに。
その休日出勤から帰宅して母に報告する。
「柏木さん、来た」
母は驚いた。電話が来て、ユキさんに一度でいいから会いたい、本人に直接断られたなら納得します、と言ってきたらしい。母はもちろん断った、今日は休日出勤で留守ですし、と。逆に仇になったわね、と母は笑った。
「柏木さんがなぜ私のことを知ってるの?」
「父さんの知人がユキの写真を持っててね」
父の会社で行われた家族レクリエーション。知人と私たち家族が映ってた写真を見たらしい、と母は言った。趣味がスキーであることも私を気に入る一因だった。
「まさかちゃんと断ったんでしょうね?」
「ファミレスで食事した。真面目そうだし優しいし、いい人だった」
「気を持たせるようなことしちゃ駄目よ、ユキ」
気を持たせるも何も私は柏木さんとのことを真剣に考えている。大体、今日のことだって柏木さんが勝手に押しかけた体になってるけど、本当のところは母が仕組んだと私は読んでいた。母から柏木さんに連絡したんじゃないか、娘は恋人と別れました、今がチャンスですよ、みたいな。
夕飯を終え、ダイニングで情報誌を見る。柏木さんも埼玉在住だから式場もこっちになる。柏木さんのイメージなら教会というよりは袴で神前式、勝手に想像しているとスマホが鳴った。
画面に表示された氏名に出るか出まいか怯んだ。八木田橋岳史……。心臓が口から飛び出しそうに高鳴る。嘘をついて別れを切り出した罪悪感。でも出ないのもコドモ過ぎると思い、タップした。
「もしもし、オバ……あ、おねえさん?」
幼い女の子の声だった。オバ……おねえさん? おねえさん、というフレーズからワントーン声色が上がる。聞き覚えのある声。
「な、菜々子!」
ご無沙汰してます、おねえさんお元気ですかあ?、と超ぶりっ子の鼻に付く話し方をする。
「何なのよ、気色悪いわね。オバサンって言ったらいいじゃない」
「菜々子、オバサンのことオバサンって呼んだことないもん!」
菜々子の間抜けな答えに吹き出したのか、電話口の向こうで八木田橋が笑う声がした。まだ別れてわずか数日なのに、ものすごく久しぶりに感じる。きっと家族でゴールデンウイークを利用して八木田橋のいるホテルに出掛けたのだろう。
「菜々子ね、今日はお泊りするの」
「ホテルでしょ、そんなの当たり前でしょ?」
「違うもん、ヤギせんせのお部屋に泊まるの」
菜々子は、いいでしょ、羨ましい?、とわざとらしく聞く。
……ムカつく。
「それとね、明日お写真撮るの。ドレス着てお庭で撮るの。いいでしょお?」
多分ホテル併設のあのハーブ園。目に入れても痛くはない愛娘のために両親はフリフリのドレスでもレンタルしたんだろうか。
「ヤギせんせがピンクが好きって言うからピンクのお洋服にしたの」
八木田橋はピンクが好きだなんて知らなかった。私には似合わない色。
「あっそ。ピンクなんて幼稚ね」
「菜々子4月から小学生だもん、幼稚園児じゃないもん! お写真だってヤギせんせと一緒に撮るの、いいでしょ、羨ましいでしょ!」
「へえ、それは良かったわねっ」
「ヤギせんせもタクシーに着替えるのっ」
「タ……っ……!」
菜々子がタキシードとタクシーを勘違いしてしゃべってるのも笑えたけど、タキシード姿の八木田橋を想像して吹き出した。
「オバっ……おねえさん、どうして笑うのっ! 菜々子にシットして笑うしかないんでしょっ!」
「なぜ嫉妬しなきゃいけないのよ」
「じゃあコドモだってバカにしてるの?」
急に電話の向こうが静かになる。わずかに鼻を啜る音が聞こえた。そしてガサガサと受話器に何かが当たる音がした。
「コドモ相手に何をムキになってんだよ、アホ!」
電話の相手が八木田橋に変わる。電話口の向こうで、せんせ、せんせ、うわあっ、と菜々子の泣き声がした。
「ムカつくからよ! 大体それ嘘泣きに決まってるでしょ?」
「仮に嘘泣きだって、そこまで追い詰めることないだろ」
わあわあと喚く菜々子の声。ヨシヨシと宥める八木田橋の声。
「なんで嘘泣きって分かるんだよ」
「なんでって」
「お前だって散々やって来たんだろ? だから分かるんだろ?」
図星だった。父の前では何度も嘘泣きをした。母に怒られて父の懐に逃げ込む。泣くフリをする。ユキも反省してるんだし母さんもういいだろう?、と父が母を宥める。母は諦めてキッチンにもどる。そんなことが幾度となくあった。幼稚園から小学校から男の子を泣かせたと報告を受けていた母は当然、嘘泣きだと見抜いていた。
「だから何よ」
「アホ」
「アホアホ言わないでよ」
「お前がアホなんだからしょうがねえだろ」
「お前? ヤギにお前なんて言われる筋合いないし、婚約解消したんだから!」
「ああそうですかそうですか、悪うございました。ユ、キ、さ、ん!」
これでいいかアホ!、と八木田橋は更に言い捨てた。
「ムカつく! もう関係ないんだから電話なんか掛けて来ないでよねっ!」
「だったら着信拒否しとけよ」
「言われなくてもそうさせていただきますっ、可愛い菜々子とお幸せに! ふんっ!」
私は画面を睨みつけて通話を切った。せっかく声が聞けたかと思えば菜々子を庇って。
「ユキ、八木田橋さんからだったの?」
「奈々子。八木田橋さんと写真撮るんだって」
「写真?」
「ピンクのドレスを来てハーブ園で撮るみたい。八木田橋さんもタキシード着るって」
「菜々子ちゃんに先を越されたわね」
先を越されるも何もない。テーブルに広げたままの情報誌をめくり、リゾートウェディング特集のページを広げる。明日菜々子と八木田橋はこうやって写真を撮る。ムカつく。青い山々をバックに白いドレスを着た新婦、微笑む新郎。本当は私がここに立つはずだった。元カノを知らなければ、あのとき流産しなければ、何もなかったように披露宴の話を進めていたのに。