*31
 八木田橋の胸板と自分の胸が密着する。身動きの取れない体勢で八木田橋はゆっくりと揺れる。初めて抱かれたときも2回目もそうだった。背中に当たる八木田橋の手首がゴツゴツして違和感があったけど、八木田橋に守られてる感じがして心は満たされた。俺のもんだ、って言われてる気がして胸がいっぱいになった。でも今夜は違う。こうして元カノも抱かれたんだろうか、彼女も八木田橋に抱かれて満たされてたんだろうかと天井を見ながら八木田橋の過去を想像していた。
「ユキ、上」
 羽交い締めされた上半身が放され、八木田橋は一度私から離れた。
「どした?」
「恥ずかしい」
「そんな歳でもねえだろ」
 八木田橋はそう言って寝転がると私の腰を掴み誘導する。彼女は八木田橋の前で真っ赤になって抵抗したんだろうか。いつもの私ならそれに突っかかる。あんな幼い菜々子にだって負けたくなくて跳ね除けるのに。ならば20歳の彼女にだって突っ掛かればいい。28なら28歳の良さがあるって、若さだけが女の武器じゃないって。しおらしく恥ずかしがるばかりが可愛さじゃないって。
 八木田橋の胸に手をついて動く。ゆっくりと揺れる度に八木田橋の顔が少し歪む。時折焦らすように動きを止めると、八木田橋は私の唇を伸ばす。
「なにが恥ずかしいだよ」
 八木田橋は指先で私の唇をなぞる。そしてつながりながら後ろ手をついてゆっくりと起き上がり、対面座位にすると私にキスをし、そのまま止まった。
「どした?」
「ううん……やっ……」
 八木田橋は私を抱き抱えて軽々と私を押し倒した。八木田橋と私の位置が逆転し、八木田橋が再び上になる。
 初めてのときもそうだった。几帳面というか真面目というか、八木田橋はキチンとしている。用意周到に避妊具を持ち合わせてるあたりは、まるでしくじった経験があるみたいに。まさか、彼女を……? なら、辻褄が合う。あのとき妊娠したことに本人の私よりも先に気付いた、検査薬が市販されてることも知ってて躊躇することなく購入してきた、赤ちゃんが出来たと知って病院に行くタイミングを理解していたのも、スーツで現れたことも。みんな納得がいく。
 八木田橋は私に覆いかぶさり動く。時折私の足を抱えたり、それを離しては耳元に唇を寄せ囁く。首筋を噛む。結婚も考えてた元カノとも……。
「ユキ、可愛い。今日は、すげえ可愛い」
 そう言っては動きを止める。そして指で私の唇を軽くなぞる。数回揺れて止める。また揺れて止める。
「ユキ……愛してる」
 八木田橋は、駄目だユキ、いいか?、と言って激しく揺れ始めた。ただでさえ絶頂に近いところにいた私は息も絶え絶えになる。意識が朦朧とする中で八木田橋が彼女を抱いた姿が脳内に浮かび上がる。こんな風に彼女を抱いた?、彼女にもそう言って唇をなぞった?、彼女の名を呼んで可愛い、って囁いて、そうやって焦らすと喜んだ?、愛してるってそれもヤギの常套句? 彼女にも言ったの……?
 ベッドの軋む音、八木田橋の息。彼女に施した同じ愛撫でそれで昇り詰めたくはないのに体は素直に反応する。八木田橋は再び私を腕ごと抱きしめて腰を打ち付ける。耳元で、ユキ愛してる、ユキ、と呟きながら……。
「ヤギ……駄目……やっ……」
 私は抱きしめられた窮屈な腕の中で背を反らした。それを許さないかのように八木田橋の腕がきつくなる。少しして八木田橋は中に放つとぐったりと私に覆いかぶさった。
 コトを終えると八木田橋はベッドのふちに腰掛けて始末をする。
「情けねえ。すぐイっちまって」
 ゴールデンウイーク、いつ来るか?、コンドミニアム棟ならまだ空きがあるらしいから予約しとくぞ、と言う。ベッドに寝ていた私は壁側に寝返りを打った。八木田橋に背を向ける。
「……ヤギ」
「何だ」
「元カノって可愛かった?」
「ああ。どした、いきなり」
「元カノとなぜ別れたの?」
「雪山には来れそうになかったからな」
「もし彼女が猪苗代に来るって言ったら付き合ってた?」
「そだな」
「まだ好き?」
「まあ、嫌いで別れた訳じゃねえしな」
「上になると恥ずかしがった?」
「はあ?」
「それとも可愛くおねだりしちゃうわけ?」
「アホ」
 八木田橋は屑かごに始末したものを投げ入れ、頭を掻いた。
「……そんな子じゃねえよ」
『お前に言われなくても大切にしてたぜ?』
『彼女のこと悪く言うなよ』『嫌いで付き合うかよ』
 自分から聞いておいて馬鹿だと思った、八木田橋の彼女への気持ち。八木田橋は絶対彼女の悪口は言わない。普通、別れたら文句のひとつやふたつ出るものなのに。なぜ気付かなかったんだろう。
『雪山には来れそうになかったからな』
八木田橋は彼女を思って別れた、酒井さんの言ったことは間違いなかった。彼女との将来を考えて苦渋の決断をした。雪山に来れないから別れた。私と付き合ってるのは猪苗代に行ける女だから。八木田橋だって29になる。そろそろ手近なところで手を打つ気になったのかもしれない。なら、彼女が雪山に来るって現れたら、八木田橋は彼女を選ぶ……?
 私を脅かす彼女の存在、私はそれに耐えられるか不安になった。恋人なら別れることも出来る。でも籍を入れてしまったらおいそれと離れることは出来ない。この先何年も何十年も。
「……行かない」
「休みだって言ってただろ?」
「月初は急に仕事入るかもしれないし」
 それに妊娠出来なかったらどうしようって。前回の流産は体質とは関係ない。でも私も母のように流産しやすい体質だったら? 子ども好きな八木田橋に子どもが出来ないなんて、八木田橋に申し訳ない。彼女ならちゃんと八木田橋の子を妊娠して出産も出来るかもしれないのに。
「私、なんかね、疲れちゃった」
「何に」
「遠距離恋愛」
「はああ? このドアホ。なら早く来いよ。宿舎だって空いてるし」
「そうじゃなくて。母もこの家も心配だし、やっぱり無理なんだと思って」
 マリッジ何とかってヤツじゃねえのか、月初が無理なら月末ならなんとか来れるだろ、部屋は取っておくから来いよ、と言って八木田橋は再びベッドに潜った。