*17
3月に入り、宅配便が届いた。宛名は母と私の連名。母は私の帰宅を待って開けようとダイニングテーブルの上に置いていた。送り主は、八木田橋岳史。
「何かしらね。わざわざ送らなくてもユキに預けてくれればいいのに」
3日前にもスキーには行った。行くには行ったけど上越方面だ。八木田橋のいるスキー場は避けた。母はそれを知らない。私が八木田橋に会いにあのスキー場に通ってると思い込んでいる。母が箱を開封する。中には四合瓶の日本酒と菓子箱がふたつ、その上にホテルの便箋が1枚乗せられていた。菓子箱にはそれぞれに付箋紙が貼り付けてあり、『お母さん』『ユキさん』と名が書かれている。おそらくバレンタインのお返しだろう。
母は四つ折になった便箋を手にする。男の人なのに丁寧ね、とそれを広げた。
「お母さんへ、ユキさんへ、先日は美味しい菓子をありが……」
母はその便箋に書かれた内容を読み上げる。菓子に対する礼と、少しでも口に合えばと麓でも有名な洋菓子店の菓子を、という内容だった。当たり障りのない文章に胸を撫で下ろす。母に勘繰られるのも面倒だ。八木田橋とはもう連絡は取っていない。あの地方決勝の報告メールを最後に来ていない。それは私が着信拒否をしてる訳じゃなく、八木田橋の意思。もちろんこちらからメールも電話もしてない。私には“覚悟”がないと伝わったんだと思う。もしくは“覚悟”の意味が分からない馬鹿な女。どちらにしても八木田橋と会わないのは同じ。
「追伸、ユキヘ」
「へっ?」
追伸の言葉にも驚いたけど、ユキヘ、と呼び捨てなのも驚いた。今更、何を……。母の次の声を待つ。
「スキーは辞めるなよ、親父さんのためにもユキのためにも……って、何? ユキ? 八木田橋さんのところに行ってたんじゃないの?」
「あ、うん……上越。割引券もらったり、一日券が割引になるイベントがあったから」
とっさに嘘をつく。でもそんなものはすぐに見破られた。私の嘘が下手なのか、それとも親の勘なのか。ニヤニヤと私を見て笑う。
「ユキ、無理してない?」
「無理なんてしてない」
「八木田橋さんのこと好きなんでしょう?」
「ち、違う。そんなことない」
「ねえユキ。途中になってしまった父の話」
「父さん?」
「ほら、無理矢理じゃないわよ、の話。母さん幸せだった?、って聞いたでしょ。父さんね、スキー場の近くでペンション経営するのが夢だったの」
若い頃からスキーしか頭になかった父は、学生時代にはスキー場近くの民宿で住み込みバイトをしていた。そんな父は浦和で就職した後は悶々としていたという。昔の週末は土曜日は半日で、スキーに出掛けても満足に滑れなかった。なら、雪山に生活拠点を置けば空いた時間にいつでも滑れる、そう考えていた。そんな折、母と知り合う。母は耳にタコが出来るくらい一升瓶を抱えた父から夢の話を聞かされた。目を輝かせて雪の話をする父、それを頷いて聞く母。そして初デートにスキー場を選んだ。母はスキー未経験だった。寒い路肩で手際良くチェーンを付ける、板やブーツを二人分担ぐ、何度も転び、何度も板が外れても何度も拾い、熱心に教えてくれた父に母は惚れた。
「昔は滑り止めって言っても紐で板と靴を結ぶだけでね、紐が外れたら板は限りなく滑っていっちゃうのよ」
でも父さんは嫌な顔ひとつせず、板を拾っては坂を上った。数ヶ月してふたりは結婚を決める。式を挙げて借家に住む。シーズンインすれば毎週父はスキーに行った。寒いのが苦手だったのもあるが、初心者の母は足手まといになりたくないのもあったが、母はたまに行く程度にとどめた。昔のウェアは今のように防寒に優れてはいない。冷え症の母はすぐに手足の指が冷えて感覚を無くす。足が遠退くのも当然だった。そのうちに母は妊娠する。
「ユキにも前に話したけど、流産しそうになってね」
医師から安静を言い渡される。父はもちろん心配した。でも安定期に入る頃、お腹の赤ちゃんは流れた。ショックで毎日泣いた。
流産のショックから立ち直ったのは1年以上も過ぎた頃だった。再び母は妊娠する。そして再び医師から安静を言い渡された。母は流産しやすい体質だった。残念ながら二人目の赤ちゃんも流産した。
「もう立ち直れないくらいショックでね」
毎日ふさぎ込む。周りはそんなこともあると励ますけど悪いのは自分だと母は自身を責めた。そしてある日、妊娠したことに気付く。もちろん安静にする。無事安定期に入り、そして母は無事、女の子を出産した。
「父さんも凄く喜んだ。あの頃の男親には珍しくオムツも変えてくれた。お風呂も入れてくれたし、日曜日にはベビーカーで散歩もして」
目に入れても痛くない、まさにピッタリの表現だった。そして私が幼稚園に入る頃、家を建てる話が持ち上がる。そのとき父は40も半ばに差し掛かっていた。これから養育費もかさむ、子どもももう一人欲しい、そんなことを考えて浦和に家を建てた。つまり父は雪山でペンションを経営するという夢を諦めたのだ。寒がりの母に父は無理強いはしなかったが、せめてもの詫びに私が滑れるようになるまで、母はスキーに付き合った。
でも母はもう一度チャンスは来ると読んでいた。私が独り立ちして、父の退職金が出たら、父を雪山に送り出そうと考えていた。リゾートマンションを購入して好きなだけスキーをさせてあげたい、そう企んでいた。
でも父は定年目前に亡くなった。
「だからユキ。好きなことを今のうちにしなさい。ユキが選ぶ人にも好きなことをしてもらいなさい」
「母さん、私もう、好きなことは沢山させてもらったから」
「八木田橋さんとはどうなの?」
「どうも何もないから」
「ユキ。ユキは昔からそうなんだから」
私は従兄の和彦に砂を掛けた。それからというもの、気になる男の子には素っ気ない態度をしたりわざとからかってもらえるような意地っ張りなことを言ってきた、と母は言う。
「何年、あなたのことを見てきたと思ってるの?」
恥ずかしいけど母の言う通りだ。和彦に砂を掛けるように八木田橋に突っ掛かる自分。三つ子の魂、百までとはよく言ったものだ。でも、もし、私が八木田橋の元へ行ったら母はひとりになる。私の誕生日に母をひとりきりにした夜を思い出した。罪悪感でいっぱいになってパニックになって、泣いた。あの夜が毎日続くのだ。自分以外誰もいない家。自分のためだけに料理をし、ひとりで食べる母を想像する。八木田橋のところに行くのが怖い……。
「仕事、辞めたくないし」
「ならあと1、2年続けたらいいじゃない。八木田橋さんもそのくらい待ってくれるでしょ? それに。母さんなら心配しないで」
「母さん?」
「母さんならこの家もある。妹達も義理の兄も弟もいる」
「でも」
「さっきも話したけど、母さん、あなたしか産めなかった。あなたを産んだあとも流産して、父さんと決めたの。もう無理して子を作るのはやめよう、って。ユキをユキだけをその分大切に育てよう、って」
父と母と作った沢山の思い出が蘇る。絶対に怒らなかった父、その父に甘すぎると怒っていた母。スキーを教えてくれた父、料理を教えてくれた母。私はいつの間にかボロボロと涙を零していた。
「だから覚悟は出来ていたのよ、いつかユキは私たちの元から旅立つ、って。今はね、兄弟少ないから長男以外を探すのは難しいでしょ。婿入りなんて厳しいもの。それに」
「それ……に?」
「母さん死んだあと、ユキはどうするの?」
「縁起でもない、やめて!」
でも母は話を続ける。
「母さん、ユキに兄弟を作ってあげられなかった。何かあったときに頼れる人もいない。なら、本当にこの人だと思える人と結婚して欲しい。この人なら何でも相談出来る、信頼出来るって人と」
「でも……」
私が反論しようとすると母は更に言葉を続ける。強く、厳しい口調で。
「ユキをあてにして育てて来たんじゃない。それとも母親のために我慢して一生一緒に暮らします、って恩着せがましくここに残るの?」
「……」
「ユキ。自分の子どもに幸せを願わない親なんていない」
父さんのためにも幸せになりなさいよね、母さんが父さんに怒られるから、あっちの世界でね、と茶化す。湿っぽくなっちゃったわね、夕飯食べるでしょ?、と言いながら母は席を立つ。本当に母の言うことを鵜呑みにしていいんだろうか、母を置いていいんだろうか、自問する。もし父がいたらなんて言うだろう……。
「来週、全国大会よね。八方尾根。決勝は土曜日だったかしら」
母は八木田橋からの荷物を横にずらして、夕飯のおかずを並べた。私は洗面所に行き、化粧を落として冷たい水で顔を洗う。素顔の自分は思うよりもさっぱりとした表情をしていて、無意識のうちに決心したのだと思った。
3月に入り、宅配便が届いた。宛名は母と私の連名。母は私の帰宅を待って開けようとダイニングテーブルの上に置いていた。送り主は、八木田橋岳史。
「何かしらね。わざわざ送らなくてもユキに預けてくれればいいのに」
3日前にもスキーには行った。行くには行ったけど上越方面だ。八木田橋のいるスキー場は避けた。母はそれを知らない。私が八木田橋に会いにあのスキー場に通ってると思い込んでいる。母が箱を開封する。中には四合瓶の日本酒と菓子箱がふたつ、その上にホテルの便箋が1枚乗せられていた。菓子箱にはそれぞれに付箋紙が貼り付けてあり、『お母さん』『ユキさん』と名が書かれている。おそらくバレンタインのお返しだろう。
母は四つ折になった便箋を手にする。男の人なのに丁寧ね、とそれを広げた。
「お母さんへ、ユキさんへ、先日は美味しい菓子をありが……」
母はその便箋に書かれた内容を読み上げる。菓子に対する礼と、少しでも口に合えばと麓でも有名な洋菓子店の菓子を、という内容だった。当たり障りのない文章に胸を撫で下ろす。母に勘繰られるのも面倒だ。八木田橋とはもう連絡は取っていない。あの地方決勝の報告メールを最後に来ていない。それは私が着信拒否をしてる訳じゃなく、八木田橋の意思。もちろんこちらからメールも電話もしてない。私には“覚悟”がないと伝わったんだと思う。もしくは“覚悟”の意味が分からない馬鹿な女。どちらにしても八木田橋と会わないのは同じ。
「追伸、ユキヘ」
「へっ?」
追伸の言葉にも驚いたけど、ユキヘ、と呼び捨てなのも驚いた。今更、何を……。母の次の声を待つ。
「スキーは辞めるなよ、親父さんのためにもユキのためにも……って、何? ユキ? 八木田橋さんのところに行ってたんじゃないの?」
「あ、うん……上越。割引券もらったり、一日券が割引になるイベントがあったから」
とっさに嘘をつく。でもそんなものはすぐに見破られた。私の嘘が下手なのか、それとも親の勘なのか。ニヤニヤと私を見て笑う。
「ユキ、無理してない?」
「無理なんてしてない」
「八木田橋さんのこと好きなんでしょう?」
「ち、違う。そんなことない」
「ねえユキ。途中になってしまった父の話」
「父さん?」
「ほら、無理矢理じゃないわよ、の話。母さん幸せだった?、って聞いたでしょ。父さんね、スキー場の近くでペンション経営するのが夢だったの」
若い頃からスキーしか頭になかった父は、学生時代にはスキー場近くの民宿で住み込みバイトをしていた。そんな父は浦和で就職した後は悶々としていたという。昔の週末は土曜日は半日で、スキーに出掛けても満足に滑れなかった。なら、雪山に生活拠点を置けば空いた時間にいつでも滑れる、そう考えていた。そんな折、母と知り合う。母は耳にタコが出来るくらい一升瓶を抱えた父から夢の話を聞かされた。目を輝かせて雪の話をする父、それを頷いて聞く母。そして初デートにスキー場を選んだ。母はスキー未経験だった。寒い路肩で手際良くチェーンを付ける、板やブーツを二人分担ぐ、何度も転び、何度も板が外れても何度も拾い、熱心に教えてくれた父に母は惚れた。
「昔は滑り止めって言っても紐で板と靴を結ぶだけでね、紐が外れたら板は限りなく滑っていっちゃうのよ」
でも父さんは嫌な顔ひとつせず、板を拾っては坂を上った。数ヶ月してふたりは結婚を決める。式を挙げて借家に住む。シーズンインすれば毎週父はスキーに行った。寒いのが苦手だったのもあるが、初心者の母は足手まといになりたくないのもあったが、母はたまに行く程度にとどめた。昔のウェアは今のように防寒に優れてはいない。冷え症の母はすぐに手足の指が冷えて感覚を無くす。足が遠退くのも当然だった。そのうちに母は妊娠する。
「ユキにも前に話したけど、流産しそうになってね」
医師から安静を言い渡される。父はもちろん心配した。でも安定期に入る頃、お腹の赤ちゃんは流れた。ショックで毎日泣いた。
流産のショックから立ち直ったのは1年以上も過ぎた頃だった。再び母は妊娠する。そして再び医師から安静を言い渡された。母は流産しやすい体質だった。残念ながら二人目の赤ちゃんも流産した。
「もう立ち直れないくらいショックでね」
毎日ふさぎ込む。周りはそんなこともあると励ますけど悪いのは自分だと母は自身を責めた。そしてある日、妊娠したことに気付く。もちろん安静にする。無事安定期に入り、そして母は無事、女の子を出産した。
「父さんも凄く喜んだ。あの頃の男親には珍しくオムツも変えてくれた。お風呂も入れてくれたし、日曜日にはベビーカーで散歩もして」
目に入れても痛くない、まさにピッタリの表現だった。そして私が幼稚園に入る頃、家を建てる話が持ち上がる。そのとき父は40も半ばに差し掛かっていた。これから養育費もかさむ、子どもももう一人欲しい、そんなことを考えて浦和に家を建てた。つまり父は雪山でペンションを経営するという夢を諦めたのだ。寒がりの母に父は無理強いはしなかったが、せめてもの詫びに私が滑れるようになるまで、母はスキーに付き合った。
でも母はもう一度チャンスは来ると読んでいた。私が独り立ちして、父の退職金が出たら、父を雪山に送り出そうと考えていた。リゾートマンションを購入して好きなだけスキーをさせてあげたい、そう企んでいた。
でも父は定年目前に亡くなった。
「だからユキ。好きなことを今のうちにしなさい。ユキが選ぶ人にも好きなことをしてもらいなさい」
「母さん、私もう、好きなことは沢山させてもらったから」
「八木田橋さんとはどうなの?」
「どうも何もないから」
「ユキ。ユキは昔からそうなんだから」
私は従兄の和彦に砂を掛けた。それからというもの、気になる男の子には素っ気ない態度をしたりわざとからかってもらえるような意地っ張りなことを言ってきた、と母は言う。
「何年、あなたのことを見てきたと思ってるの?」
恥ずかしいけど母の言う通りだ。和彦に砂を掛けるように八木田橋に突っ掛かる自分。三つ子の魂、百までとはよく言ったものだ。でも、もし、私が八木田橋の元へ行ったら母はひとりになる。私の誕生日に母をひとりきりにした夜を思い出した。罪悪感でいっぱいになってパニックになって、泣いた。あの夜が毎日続くのだ。自分以外誰もいない家。自分のためだけに料理をし、ひとりで食べる母を想像する。八木田橋のところに行くのが怖い……。
「仕事、辞めたくないし」
「ならあと1、2年続けたらいいじゃない。八木田橋さんもそのくらい待ってくれるでしょ? それに。母さんなら心配しないで」
「母さん?」
「母さんならこの家もある。妹達も義理の兄も弟もいる」
「でも」
「さっきも話したけど、母さん、あなたしか産めなかった。あなたを産んだあとも流産して、父さんと決めたの。もう無理して子を作るのはやめよう、って。ユキをユキだけをその分大切に育てよう、って」
父と母と作った沢山の思い出が蘇る。絶対に怒らなかった父、その父に甘すぎると怒っていた母。スキーを教えてくれた父、料理を教えてくれた母。私はいつの間にかボロボロと涙を零していた。
「だから覚悟は出来ていたのよ、いつかユキは私たちの元から旅立つ、って。今はね、兄弟少ないから長男以外を探すのは難しいでしょ。婿入りなんて厳しいもの。それに」
「それ……に?」
「母さん死んだあと、ユキはどうするの?」
「縁起でもない、やめて!」
でも母は話を続ける。
「母さん、ユキに兄弟を作ってあげられなかった。何かあったときに頼れる人もいない。なら、本当にこの人だと思える人と結婚して欲しい。この人なら何でも相談出来る、信頼出来るって人と」
「でも……」
私が反論しようとすると母は更に言葉を続ける。強く、厳しい口調で。
「ユキをあてにして育てて来たんじゃない。それとも母親のために我慢して一生一緒に暮らします、って恩着せがましくここに残るの?」
「……」
「ユキ。自分の子どもに幸せを願わない親なんていない」
父さんのためにも幸せになりなさいよね、母さんが父さんに怒られるから、あっちの世界でね、と茶化す。湿っぽくなっちゃったわね、夕飯食べるでしょ?、と言いながら母は席を立つ。本当に母の言うことを鵜呑みにしていいんだろうか、母を置いていいんだろうか、自問する。もし父がいたらなんて言うだろう……。
「来週、全国大会よね。八方尾根。決勝は土曜日だったかしら」
母は八木田橋からの荷物を横にずらして、夕飯のおかずを並べた。私は洗面所に行き、化粧を落として冷たい水で顔を洗う。素顔の自分は思うよりもさっぱりとした表情をしていて、無意識のうちに決心したのだと思った。