*14
どんな顔して八木田橋に会えばいいのか分からない。プレゼントを用意していたかと思えばしょうがないから泊めたと言った。思いがけず行けることになった四度目の旅行に戸惑いを感じながらも、それより私が困惑していたのは母の様子だった。
「14日はバレンタインだものね、シフォンがいいからしら、ブラウニーがいいからしら」
母は本棚からお菓子作りの本を取り出し眺めている。軽く摘めるからブラウニーがいいんじゃないの、と呆れ気味に私は母にアドバイスした。父が亡くなってからはバレンタインにお菓子作りをしなくなった母が、沈んでいた母がこうして明るくなったのは感謝したいとは思う。でも、年甲斐もなく、娘とそう変わらない年齢の八木田橋に、という点は腑に落ちない。アイドルグループや若手演歌歌手に熱を上げる方が何倍も健康的にも見える。
「ユキも作りなさいよ」
「わ、私は別に……」
八木田橋に作ったって喜ぶかどうかは分からない。冷たくあしらわれたら嫌だし、何より料理上手な母に勝てるはずがない。比べられて軽蔑されるのがオチだ。
「ナッツもいれた方が喜ばれるかしら。男の人だから甘さは控えた方がいいかしら」
甘い方が八木田橋は好きみたいよ、と言いかけて口を閉じる。敵に塩を送るみたいで……。
敵?
母親を相手に何を考えたのか自分に呆れる。でもそれはつまり、自分が八木田橋に作りたいと思ってること……。私は自分の気持ちには鈍感なのだと知らしめられた。ケーキの好きな八木田橋に受け取ってもらえるなら私だって焼きたい。でも私ならトリュフにする。八木田橋は生クリームたっぷりの甘いのが好みだ。
手持ち無沙汰スマホでレシピを検索する。その中に『大人の彼に贈るチョコ~洋酒、日本酒を入れて大人の味を出す~』という見出しを見つけた。ページを送り、材料に目を通す。父が好きだった銘柄も記載されていた。水のようにサッパリとした日本酒ではチョコの味に負けてしまうのだと思う。私はその画面をスクショし、翌日の仕事帰りに材料を買った。
土曜日、母に見つからないように私は早朝からチョコ作りを始めた。スマホを見ながら材料を計り、混ぜ合わせていく。日本酒の他に、ついでだからと自宅にあったブランデー、ジン、コアントローのトリュフも作る。ビターチョコとサイトには載ってるけど、なんとなくミルクチョコにした。欲張ってたくさんの種類を作ったから相当な量のトリュフが出来上がってしまった。まあ、すぐに悪くなるものでもないし、と思いながら摘む。甘くて口溶けの良いトリュフ。先週八木田橋と食べたロールケーキみたいにふわりと溶ける。恥ずかしそうに食べる八木田橋の顔が浮かんだ。
「こ、こんなにあるんだし、おすそ分けしようかな……」
形の良いものをより分けて容器に入れておく。近くのショッピングモールが開店するのを待ち、ラッピングを買う。自宅にもどり母に見つからないように部屋で梱包する。ピンクはNGというサイトのアドバイスに従って黒と茶を基調にした渋い包装にした。
翌日、朝早くに荷物を積み込み家を出た。私の耳にはベリー色のフープピアス。雪のピアスと迷ったけどこっちにした。高速を下りて路肩でチェーンを巻く。がたぼこと車が振動するたびに輪に掛けられた石やビーズが揺れ、耳くすぐる。そのこそばゆい感覚は八木田橋の指がまるで私の耳に触れてるみたいで。つけたことを後悔した。
9時過ぎには駐車場に着き、八木田橋に電話する。品物を渡したいから何処に行けばいいか尋ねると、そこにいろ、と一方的に通話を切られた。5分としないうちに駐車場に現れた赤い八木田橋は、酒とブラウニーの入った袋を片手に持ち、更に私の板とブーツを抱える。
「板ぐらい自分で持つわよ」
「……アホ」
「荷物持たせるために電話したみたいじゃないっ」
八木田橋はズカズカとゲレンデへと歩き始める。私は慌ててウェアの入ったバッグを持ち、八木田橋の背中を追い掛けた。
私の板をレストハウス前の置き場に立てかける。
「……昼飯、一緒に食うか?」
「た、食べてやってもいいわよ」
八木田橋は、じゃ上のロッジで、と言うと手を挙げて土産の品を抱えてスクール小屋に入って行った。振り返り、更衣室に向かおうとすると私の板を眺めてる人がいた。シリアル入りのモデルが珍しかったんだと思う。
昼になり、中腹のロッジレストランで席を取って八木田橋を待つ。怒鳴られて泣いた私を宥めてくれた場所。私が誤解して八木田橋のスマホを放り投げた場所。八木田橋は不愛想に私のところに来た。グローブとゴーグルを外し、ふたりで食事を取りに行く。私がいつものパスタを取ると八木田橋は横取りするように奪い、自分の大盛りカツ丼と共にトレーに乗せる。私には顎でケーキを差し、選ぶように指図した。私はケーキはひとつだけを選んだ。
「食わねえのかよ、ケーキ」
「いいじゃない、別に」
八木田橋は二人分の会計をする。私はケーキとコーヒー、箸やフォークを取って席に着く。八木田橋は黙って水を取りに行く。こんなにもスムーズだ。いつの間にか身についてしまった習慣。スムーズ過ぎて違和感さえ覚える。
私はウォーターサーバーから水を注ぐ八木田橋を見ながら、ケーキは私の前に置いた。そしてポケットから箱を出し、八木田橋のカツ丼の脇に置いた。
「何だよ、ケーキはお前が食うの……」
「ポケットに入れてたから溶けてるかもしれないけど」
水の入ったコップを持ちながら八木田橋は箱を不思議そうに見る。八木田橋は、新手のワックスか?、と乱暴に箱を開ける。コロコロとした焦げ茶の物体たちがチョコだと気づくと目を丸くした。
「自分用に作ったら作りすぎて、あ、余り物だからね!」
「へえ、ユキの手作り?」
八木田橋はからかうように言うと一粒摘んで口に放り込んだ。八木田橋の口に合ったかどうか思わず手を握ってしまう、俯いてしまう。
「ユキ、酒入れ過ぎじゃねえの?」
「人をアル中みたいに言わないでよっ。ヤギの酒豪に合わせてやったのよ!」
からかわれて顔を上げた。八木田橋は、へえ?、とニヤニヤ笑っている。
「なんだ、俺のために作ったのか」
「え、やっ、違……」
きっと私は無意識に八木田橋のためにトリュフを作っていたのかもしれない。自分が食べたいなんて、本当は違っていた。顔に火がついたみたいに熱くてごまかすのにフォークを握ってパスタにかぶりついた。八木田橋は何も言わない。八木田橋はもう母のブラウニーを食べたんだろうか、母のブラウニーに勝てるはずもない。失敗した、と思ったときだった。
「うまい」
「か、カツ丼が? ブラウニーが? ねえ、嫌味?」
「アホ」
八木田橋は2個目のトリュフを口に入れた。
「……ブラウニーもうまかったけど、こっちの方が甘くて口に溶けてうまい」
満足そうに口の中でトリュフを転がして、ふと私に視線を移した。目が合って沈黙する。八木田橋は口を動かすのも止めた。
「な……何だよ」
「お、お世辞ならいらないから」
「俺がお世辞なんて言ったことあるかよ」
八木田橋は横を向いて再びチョコを舐め始めた。八木田橋はカツ丼を食べ終えると、私の空いたパスタ皿を取り、丼と重ねた。再びトリュフに手を伸ばす八木田橋。私もケーキに手を付ける。しばらく無言でいる。チョコを食い尽くすことに没頭してると思っていた八木田橋は、いつの間にか私を見つめていた。
真剣な眼差し、私の心を射貫くような視線に動けなくなる。図らずも見つめあう構図。
「ピアス、似合ってるな」
笑いもせず、真面目に言う八木田橋。もう、やめて……と思う。そんな言葉……。
「だからお世辞は」
「お世辞なんか言ったことねえって言ってるだろ」
「なら言い方変える。気を持たすようなこと言わないでよ」
私がそういうと八木田橋はぷい、と私から視線を外し窓を見た。無言のままコーヒーを啜る。答えないことが答えだと言わんばかりに黙る。黙るくらいなら傷つけるくらいの台詞が優しさだと思うのに、八木田橋はチョコを次々に口に放り込んで何も言わない。窓の外を見て、ただただチョコを味わっている。
もう我慢の限界だった。私は反応のない八木田橋に声を荒げた。
「ただのオモチャだと思ってるなら、もう構わないでよ。遊びだって言われた方が楽っ!」
「ア……。ああっ?!」
多分、アホ、と言いかけた八木田橋が窓の外を見たままフリーズした。そちらを見やる。
「へ?」
スキー置き場にあった私の板を触る人がいた。ポケットからペンチを出し、ワイヤー錠に刃を当てている。多分、板泥棒。ワイヤーが落ちるとその男は私の板を履く。私が立つよりも八木田橋の方が先に立っていた。八木田橋はポケットからスマホを取り出し、私に投げる。
「下に酒井がいるから電話しろ!」
そう言うと八木田橋は早足でレストハウスを出た。
どんな顔して八木田橋に会えばいいのか分からない。プレゼントを用意していたかと思えばしょうがないから泊めたと言った。思いがけず行けることになった四度目の旅行に戸惑いを感じながらも、それより私が困惑していたのは母の様子だった。
「14日はバレンタインだものね、シフォンがいいからしら、ブラウニーがいいからしら」
母は本棚からお菓子作りの本を取り出し眺めている。軽く摘めるからブラウニーがいいんじゃないの、と呆れ気味に私は母にアドバイスした。父が亡くなってからはバレンタインにお菓子作りをしなくなった母が、沈んでいた母がこうして明るくなったのは感謝したいとは思う。でも、年甲斐もなく、娘とそう変わらない年齢の八木田橋に、という点は腑に落ちない。アイドルグループや若手演歌歌手に熱を上げる方が何倍も健康的にも見える。
「ユキも作りなさいよ」
「わ、私は別に……」
八木田橋に作ったって喜ぶかどうかは分からない。冷たくあしらわれたら嫌だし、何より料理上手な母に勝てるはずがない。比べられて軽蔑されるのがオチだ。
「ナッツもいれた方が喜ばれるかしら。男の人だから甘さは控えた方がいいかしら」
甘い方が八木田橋は好きみたいよ、と言いかけて口を閉じる。敵に塩を送るみたいで……。
敵?
母親を相手に何を考えたのか自分に呆れる。でもそれはつまり、自分が八木田橋に作りたいと思ってること……。私は自分の気持ちには鈍感なのだと知らしめられた。ケーキの好きな八木田橋に受け取ってもらえるなら私だって焼きたい。でも私ならトリュフにする。八木田橋は生クリームたっぷりの甘いのが好みだ。
手持ち無沙汰スマホでレシピを検索する。その中に『大人の彼に贈るチョコ~洋酒、日本酒を入れて大人の味を出す~』という見出しを見つけた。ページを送り、材料に目を通す。父が好きだった銘柄も記載されていた。水のようにサッパリとした日本酒ではチョコの味に負けてしまうのだと思う。私はその画面をスクショし、翌日の仕事帰りに材料を買った。
土曜日、母に見つからないように私は早朝からチョコ作りを始めた。スマホを見ながら材料を計り、混ぜ合わせていく。日本酒の他に、ついでだからと自宅にあったブランデー、ジン、コアントローのトリュフも作る。ビターチョコとサイトには載ってるけど、なんとなくミルクチョコにした。欲張ってたくさんの種類を作ったから相当な量のトリュフが出来上がってしまった。まあ、すぐに悪くなるものでもないし、と思いながら摘む。甘くて口溶けの良いトリュフ。先週八木田橋と食べたロールケーキみたいにふわりと溶ける。恥ずかしそうに食べる八木田橋の顔が浮かんだ。
「こ、こんなにあるんだし、おすそ分けしようかな……」
形の良いものをより分けて容器に入れておく。近くのショッピングモールが開店するのを待ち、ラッピングを買う。自宅にもどり母に見つからないように部屋で梱包する。ピンクはNGというサイトのアドバイスに従って黒と茶を基調にした渋い包装にした。
翌日、朝早くに荷物を積み込み家を出た。私の耳にはベリー色のフープピアス。雪のピアスと迷ったけどこっちにした。高速を下りて路肩でチェーンを巻く。がたぼこと車が振動するたびに輪に掛けられた石やビーズが揺れ、耳くすぐる。そのこそばゆい感覚は八木田橋の指がまるで私の耳に触れてるみたいで。つけたことを後悔した。
9時過ぎには駐車場に着き、八木田橋に電話する。品物を渡したいから何処に行けばいいか尋ねると、そこにいろ、と一方的に通話を切られた。5分としないうちに駐車場に現れた赤い八木田橋は、酒とブラウニーの入った袋を片手に持ち、更に私の板とブーツを抱える。
「板ぐらい自分で持つわよ」
「……アホ」
「荷物持たせるために電話したみたいじゃないっ」
八木田橋はズカズカとゲレンデへと歩き始める。私は慌ててウェアの入ったバッグを持ち、八木田橋の背中を追い掛けた。
私の板をレストハウス前の置き場に立てかける。
「……昼飯、一緒に食うか?」
「た、食べてやってもいいわよ」
八木田橋は、じゃ上のロッジで、と言うと手を挙げて土産の品を抱えてスクール小屋に入って行った。振り返り、更衣室に向かおうとすると私の板を眺めてる人がいた。シリアル入りのモデルが珍しかったんだと思う。
昼になり、中腹のロッジレストランで席を取って八木田橋を待つ。怒鳴られて泣いた私を宥めてくれた場所。私が誤解して八木田橋のスマホを放り投げた場所。八木田橋は不愛想に私のところに来た。グローブとゴーグルを外し、ふたりで食事を取りに行く。私がいつものパスタを取ると八木田橋は横取りするように奪い、自分の大盛りカツ丼と共にトレーに乗せる。私には顎でケーキを差し、選ぶように指図した。私はケーキはひとつだけを選んだ。
「食わねえのかよ、ケーキ」
「いいじゃない、別に」
八木田橋は二人分の会計をする。私はケーキとコーヒー、箸やフォークを取って席に着く。八木田橋は黙って水を取りに行く。こんなにもスムーズだ。いつの間にか身についてしまった習慣。スムーズ過ぎて違和感さえ覚える。
私はウォーターサーバーから水を注ぐ八木田橋を見ながら、ケーキは私の前に置いた。そしてポケットから箱を出し、八木田橋のカツ丼の脇に置いた。
「何だよ、ケーキはお前が食うの……」
「ポケットに入れてたから溶けてるかもしれないけど」
水の入ったコップを持ちながら八木田橋は箱を不思議そうに見る。八木田橋は、新手のワックスか?、と乱暴に箱を開ける。コロコロとした焦げ茶の物体たちがチョコだと気づくと目を丸くした。
「自分用に作ったら作りすぎて、あ、余り物だからね!」
「へえ、ユキの手作り?」
八木田橋はからかうように言うと一粒摘んで口に放り込んだ。八木田橋の口に合ったかどうか思わず手を握ってしまう、俯いてしまう。
「ユキ、酒入れ過ぎじゃねえの?」
「人をアル中みたいに言わないでよっ。ヤギの酒豪に合わせてやったのよ!」
からかわれて顔を上げた。八木田橋は、へえ?、とニヤニヤ笑っている。
「なんだ、俺のために作ったのか」
「え、やっ、違……」
きっと私は無意識に八木田橋のためにトリュフを作っていたのかもしれない。自分が食べたいなんて、本当は違っていた。顔に火がついたみたいに熱くてごまかすのにフォークを握ってパスタにかぶりついた。八木田橋は何も言わない。八木田橋はもう母のブラウニーを食べたんだろうか、母のブラウニーに勝てるはずもない。失敗した、と思ったときだった。
「うまい」
「か、カツ丼が? ブラウニーが? ねえ、嫌味?」
「アホ」
八木田橋は2個目のトリュフを口に入れた。
「……ブラウニーもうまかったけど、こっちの方が甘くて口に溶けてうまい」
満足そうに口の中でトリュフを転がして、ふと私に視線を移した。目が合って沈黙する。八木田橋は口を動かすのも止めた。
「な……何だよ」
「お、お世辞ならいらないから」
「俺がお世辞なんて言ったことあるかよ」
八木田橋は横を向いて再びチョコを舐め始めた。八木田橋はカツ丼を食べ終えると、私の空いたパスタ皿を取り、丼と重ねた。再びトリュフに手を伸ばす八木田橋。私もケーキに手を付ける。しばらく無言でいる。チョコを食い尽くすことに没頭してると思っていた八木田橋は、いつの間にか私を見つめていた。
真剣な眼差し、私の心を射貫くような視線に動けなくなる。図らずも見つめあう構図。
「ピアス、似合ってるな」
笑いもせず、真面目に言う八木田橋。もう、やめて……と思う。そんな言葉……。
「だからお世辞は」
「お世辞なんか言ったことねえって言ってるだろ」
「なら言い方変える。気を持たすようなこと言わないでよ」
私がそういうと八木田橋はぷい、と私から視線を外し窓を見た。無言のままコーヒーを啜る。答えないことが答えだと言わんばかりに黙る。黙るくらいなら傷つけるくらいの台詞が優しさだと思うのに、八木田橋はチョコを次々に口に放り込んで何も言わない。窓の外を見て、ただただチョコを味わっている。
もう我慢の限界だった。私は反応のない八木田橋に声を荒げた。
「ただのオモチャだと思ってるなら、もう構わないでよ。遊びだって言われた方が楽っ!」
「ア……。ああっ?!」
多分、アホ、と言いかけた八木田橋が窓の外を見たままフリーズした。そちらを見やる。
「へ?」
スキー置き場にあった私の板を触る人がいた。ポケットからペンチを出し、ワイヤー錠に刃を当てている。多分、板泥棒。ワイヤーが落ちるとその男は私の板を履く。私が立つよりも八木田橋の方が先に立っていた。八木田橋はポケットからスマホを取り出し、私に投げる。
「下に酒井がいるから電話しろ!」
そう言うと八木田橋は早足でレストハウスを出た。