外では蝉がけたたましく鳴いていて、窓から差し込む直射日光が黒板に反射して眩しく見えた。
「夏休み中は休みじゃないからな。がんがん過去の模試やってくぞ。」
 担任の飯田義一は教卓に体重をかけて前のめりで話を始めた。その薄くなり始めている額に汗が滲んでいる。
「基本的に夏期講習は全員参加。強制とは言わないが。乗り遅れたくなければ参加を勧める。部活動のあるものは部活終了後午後から開始。部活が丸一日に及ぶ者は自主学習でも構わないが、他の生徒に遅れたくなければ必死に課題をやれ。」
 飯田義一はA4の藁半紙に印刷された参加申込書を配りながら捲し立てるように続けた。
「一年の夏から勝負だぞ。ここで遊んだやつはもう負けだ。」
 夏休みは7月20日から8月31日までで、そのうち土日と盆以外の月から金までで行うという。佐野遥はゆっくりと長い息を吐いた。
 夏休みになればこのクラスに来なくて済むと思ったのに、と佐野遥は思いながら配られたばかりの藁半紙をスクールバックに押し込んだ。

「ハルお帰り。もう晩御飯できるから着替えてすぐ降りてらっしゃい。」
 ハルが帰宅すると既に母佳子は帰宅していて、玄関の扉を開けた瞬間から揚げ物の匂いが漂っていた。
 唐揚げを頬張ると、肉汁が溢れてハルの口元に垂れた。
「ねえハル、夏休みにおばあちゃんの所に行かない?」
 それは唐突な母からの提案だった。それは単発の帰省や遊びに行くようなニュアンス出ないことは佳子の表情と声色で伝わった。
「おばあちゃん来週退院なんだけど、まだ万全じゃないみたいで、手伝ってあげてほしいのよね。」
 ハルは母を見つめながら次の唐揚げを頬張った 。祖母は5月の大型連休中に骨折をして手術をした。そのあとはハルが中間考査の間に同じ病院の回復期病棟でリハビリテーションに励んでいると母から聞いていた。
「何を手伝うっていうの?」
 率直な疑問だった。高校生になったばかりのハルに祖母の何を手伝うことができるというのか、ハルには分からなかった。
「側にいてくれたらいいのよ。多分、怪我をして家に一人でいることに不安があると思うから。無理に手伝う必要はないわ。ハルが夏休みに入る前は陽子が毎日顔を出すって言ってるわ。」
 ハルは箸を置いて麦茶を飲んだ。氷がカランとコップの中で音を立て、冷たい麦茶が喉の奥をすーっと流れていった。
「ちょっと考えてみる。ご馳走さま。」
 自室に戻ってベッドに寝転んだハルは天井を見上げていた。手元には帰り際に配られた藁半紙があった。
 本当はこの夏期講習に行ったほうがいいことは分かっていた。しかし今ハルが求められているのは祖母の側にいること。いいタイミングかもしれない。いい口実かもしれない。課題だけ貰って自分でやればいい話だ。母はきっと夏期講習のことを知れば夏期講習に行けというだろう、とハルは思った。幼少期から公文式に通い、中学受験も本当はして欲しかったのだと後々父から聞かされたのは高校受験の少し前だった。
 ハルはベッドから起き上がってシャーペンを握った。カチカチと芯を出すと藁半紙の欠席の文字に丸をつけ、自分の名前と親の名前を記入した。
 次の朝、ハルがリビングに降りると母はもう出かける所で鞄を手にしていた。
「朝ごはん食べたら食洗機入れてスタート押しといてね。じゃあ行ってーー。」
「お母さん私、夏休みにおばあちゃんの所に行くよ。」
 急いで出かけようとする母の声を遮って告げた。母はそうありがと、と笑顔を見せて出かけていった。
 学校へ向かうのは相変わらず億劫だった。馴れ合いのために高校に進学したわけではないし、勉強さえできれば良いとなんとかモチベーションを保ってきたのだけれど、誰一人として校内で言葉を交わすことがない日常は苦痛そのものだった。