老猫は、短い尻尾をゆらした。

「修行をすればな」

「魔法使いになったら、未来が分かる? 瞬間移動とか、空を飛べるようになれる?」

猫は大きなあくびをした。俺の心臓が騒ぎ出す。

「も、もてるようになるとか?」

これが一番大事な質問だ。

老猫は、自分の前足の付け根辺りをなめて、毛づくろいをしている。

「もてるようになるとか?」

猫は、ゆっくりと俺を見上げた。

「もてるように、なるとか!」

ピンポーン、玄関のチャイムの音。

三十歳の誕生日、俺の運命を変えるかもしれない大事な時に、一体誰が何の用だ!

「はい! どちらさまでしょうか!」

廊下を駆け抜け、コンクリートの床に飛び降り、サンダルを引っかけついでに、玄関の引き戸を開ける。

「あら、こんにちは」

その勢いで飛び込んだ俺の目の前には、齢八十は越えるかと思われるような、バアさんが立っていた。

色とりどりの華やかなレースを、みの虫のようにひらひらと全身にまとって、にこにこと立っている。

肩から斜めに、大きな黒いぼろぼろの鞄をぶらさげていて、さらになんのお香か分からないけど、鼻をつく独特の臭いが体からたちこめている。

「あの、どちらさまですか?」

バアさんは、数年はクシでといてないような、ぼさぼさの長い白髪をかき上げる。

「最近、おたくに不幸があったでしょ」

「えっ?」

「通りかかったら、どうしてもこの家から不幸の臭いがしてさぁ、あたしはそういうの、どうにも我慢できないたちでねぇ」

臭いと言えば、このバアさんの臭いも大概ひどいし独特なものだけど、それよりも無遠慮に部屋の中をのぞき込む、不幸が分かるというバアさんに、俺は驚いた。

なんでこの人は、そんなことが分かるんだろう。超能力者か天才か? 

不幸なら、この家に山ほどある。

「お金はいらないから、お祓いだけでもさせてくれない?」

それは願ってもない申し出だ。

俺は快く、降ってわいた幸運を受け入れる。

「よ、よろしくお願いします」

三十歳の誕生日、今日の俺は珍しくツイている。

この機会に、しっかりとお祓いをして、人生再出発だ。

しかも無料!

居間に上がり込んだ俺の救世主は、ぐるりと部屋を見回した。

そして、部屋の一角をキッとにらみつけると、『キエーッ!』という奇声を発してから、なにやらぶつぶつと呪文らしきものを唱え始める。

凄い迫力、本格的な本物の祈祷師のお祓い、初体験だ。

二、三分は続いた、その高貴かつ無料なお祓いを邪魔したくなかったので、俺は神妙な面持ちで、正座をしたままじっと聞きほれていた。

実にありがたい、これで俺の不運ともおさらばだ。

祈祷が終わったとき、バアさんは厳かな雰囲気で座り直し、振り返って俺を見つめた。

「あなた、毎日辛いことばかりおきてるんじゃない?」

「何でわかるんですか!」

「そりゃ分かるよ」

「本当に?」

「あたしを何だと思ってるのさ」

そのお婆さんは、急に小声になってささやく。

「あたしはね、顧客に有名人とか、政治家なんかが沢山いる、れっきとした祈祷師なんだよ。一回の祈祷で五十万円出す人もいるんだよ。そんなあたしに、ただでみてもらったって他の人にばれたら、あんたあたしの熱狂的な信者に、殺されるよ」

下から見上げるその鋭い目つき、このバアさん、やっぱタダ者じゃない。

熱狂的な信者って、どれくらいいるんだろう、一万人? それとも、百万人?

「なんでも聞いてあげるから、言ってごらんなさい」

そう言ってこの聖女は座り直し、姿勢を正して静かに目を閉じた。

俺は、改めて背筋を伸ばした。

聞いてもらいたいこと、誰にも言えなかったこと、払いのけてほしい不幸なら、有り余るほど持ってる。

「えっとですねぇ」

迷い込んできた老猫が、ぴょんと膝の上に飛び乗った。

「そこでしゃべったらイカンだろ。つーか、どうして家にあげた」

「なんで?」

「こいつは本物の祈祷師なんかじゃない、ただの詐欺師だ」

「どうして分かるの?」

「魔法の臭いがしない。コイツは、本物じゃない」

老猫は、俺を見つめて言う。

「お前が話した話しを元ネタにして、延々と話しが続くぞ。それはコイツが予見したんじゃない、お前が自分でしゃべったことを、言い換えてるだけだ」

膝の上の猫は、物知り顔で俺を見上げる。

「どうしてそんなことを?」

「それが、こいつらのやり方だ」

俺と老猫との会話に、凄腕女祈祷師が割って入る。

「どうしてそんなこと? なにか、ありましたかな?」

ゆったりと構える祈祷師に、膝の上でしゃべる猫。

「うちの不幸の臭いが分かったからここに来たんだし、それがどんな不幸で、俺が毎日どんな辛い思いをしてるかって、もう分かってるんでしょ」

「もちろん」

女祈祷師は、自信満々で答えた。

「だったら、適当なウソを言ってみろ」

「ウソ?」

膝の猫がわめく。

「絶対にあの女、答えられないぞ!」

「そんなの、失礼じゃないか」

俺は、なだめるように猫の頭をなでた。

「ウソなんかじゃ、ありませんよ、失礼なのはどちらです?」

俺と猫は、バアさんを振り返る。

このオバアさんには、この老猫の声は聞こえていないらしい。

「怪しすぎるだろ、こいつ」

自分を魔法使いだと名乗る、しゃべる猫はなかなか納得しない。

「人の不幸で商売なんて、普通しないよ」

「今に金の話しがでるぞ」