「ありがとう、いっちゃん」

「……お前もさっきまでバカにしてただろ」

「だって、おかしかったんだもん! いっちゃんは周りを気にしないのに」


信号待ちで俺の顔を覗き込んできた美乃に、眉を小さく寄せる。
彼女の顔は明らかにまだ笑っていて、俺は悪戯心が芽生えた。


「じゃあ、今ここでキスしてくれたら許す」

「えっ⁉ 今⁉」

「嫌ならいいけど」


戸惑う美乃を見て、拗ねた振りをしながら視線を逸らす。


「待って、いっちゃん!」


すると、彼女がすかさず横から俺の首に手を回して、左頬に唇を寄せた。


「あぁーーーっ‼」


後ろから大声で叫ぶ信二と広瀬と、俺の隣で少しだけ俯く美乃。
そんな三人を余所に、俺は突然の出来事に顔を真っ赤にしてしまった。


からかうつもりが逆に墓穴を掘ってしまい、後部席のふたりにますますからかわれる羽目になった。
車内での出来事ですっかり疲れてしまった俺は、水族館に着いたばかりなのにぐったりとしていた。


「大丈夫かよ?」


心配しているような口調とは裏腹に、信二の顔はまだニヤニヤしている。
もう怒る気にもなれなくて、美乃を連れて水族館に入った。


「わぁー! すっごく綺麗! 海の中にいるみたいだね」


興奮する彼女を見ていると、疲労感が吹き飛んでいく。
俺の隣で嬉しそうにはしゃいでいる姿は、普通の女の子そのものだった。


「よかったね、美乃ちゃん」


信二と広瀬も、嬉しそうにする美乃に目を細めている。
彼女を見ながら微笑む広瀬から視線を逸らした信二は、急に改まったような表情で俺を真っ直ぐ見つめ、おもむろに頭を下げた。


「本当にありがとな、染井」

「なんだよ、急に!」


冗談半分な言い方をしたけれど、信二の気持ちはわかっていた。
だから……なんだか、無性に切なくなってしまった。