与えられた時間には、限りがあった。その限りある時間を、なるべく有効に、後悔なく使いたい。彼のために――――。
まずは、何がしたいだろう。彼を前にして、私は考える。
「ゆっくりでいいよ」
彼は、優しくそう言った。けれど、そうそうゆっくり考えてばかりもいられないことを、彼も私も理解している。だからこれは、言葉の綾というものなのだろう。
私はまず、窓辺から見える晴れ渡った青空に目がいった。
「外。一緒に外へ行ってみない」
「オーケー」
「それから、お弁当。サンドイッチかおにぎりを持って」
「ピクニック?」
「そうっ、それ」
彼のために、サンドイッチとおにぎりの両方を作った。それが収まるバスケットとシートを持って私たちは外に出る。春風が心地よくて、桜の花が咲いていた。
「桜」
「うん、そうだね」
「少し、散り始めてる」
ひらひらと舞い落ちる花びらが、差し出した彼の掌に降りてきた。私が花びらを摘もうとしたら、彼はその手を閉じてしまった。
なぜ? そう問うように彼の顔を見ると、私の頭の上にあった花びらを摘まみ上げてニコリと微笑む。彼は、自分の掌にある花びらと、私の頭についていた花びらの二つを見せて笑みをつくる。彼が笑うと、私も笑顔になれた。
その花びらを、持ち歩いていた文庫本に挟んでおいた。
「両方なんて、欲張りだったかな」
拓けた草原に出て、広げたシートの上でサンドイッチとおにぎりを交互に頬張りながら彼が笑った。美味しいね、そう言うように私も彼に笑いかけた。
雨の中、傘を差した。湿気に少々不快な思いをしていると、彼がショップのウインドウ越しに指をさした。少し古くなってきた私の傘と長靴を見て、彼が買うように勧めた。
カラフルな水玉模様のついた透明な傘と、真っ赤な長靴を彼が選んでくれた。彼が選んだ傘に二人で入る。彼の体はガッチリとしていて大きいから、肩先が雨に濡れていた。
傘の上に降り注ぐ雨が、色々な音を奏でる。
パチパチパチ。パラパラパラ。タチタチタチ。
雨音に耳を澄ます彼と同じように、私も耳を澄ませた。新調した長靴が嬉しくて、水たまりの上にジャンプしたら、彼のズボンに飛沫が飛んでしまった。
「ごめんなさい……」
「いいよ。これもいい思い出だ」
彼は優しく笑った。
太陽が照りつける中、ドライブがてら海に来た。ギラギラとした熱が辺り一面の温度を上昇させ、私はたくさんの汗をかいた。彼は砂に足を取られ、時折ふらついていたけれど笑みは絶やさなかった。
雨の日の傘とは違う、少し小さな傘をさす。縁を控えめなレースが飾っている、紺色の布でできた日傘だ。
ガラにもなくクルクルと回すと、「よく似合ってる」と彼が穏やかな笑みをくれた。私は、照れくさくて目を伏せた。
太陽は眩しくて、暑くて、汗が目に染みた。零れた滴が頬を伝うと、彼が指先でそっと拭ってくれた。
感じるはずのない体温を感じたことが不思議で、けれどそれは当たり前のような気もしていた。
砂の地面はとても歩きにくくて、二人で足を取られ転びそうになって声を上げた。一緒にいられる今が大切で、幸せで、有限な時間が無限だったらいいのにと何度も思っていた。
彼と手を繋ぐと、心の奥の方を温かなものが包み込むように、じんわりとした嬉しさにまた滴が頬を伝う。彼の指先がもう一度触れて、私は懸命に笑みを作ってみせた。
彼とよく歩いていた道が、黄色に彩られていた。桜の時とは違う黄色い葉が次々と道路に舞い落ちて、その上を歩くとサクサクと音を立てた。
「何か言っているみたい」
耳を澄ますようにして立ち止まると、彼も立ち止まって目閉じた。
「僕たちに、話しかけているのかな」
降り注ぐ銀杏の葉は、積もるように地面を埋めていった。道路脇に落ちていたまあるい実を拾い、「焼くと美味しいんだよ」と言っていくつか持ち帰った。
その夜、銀杏を串に刺して焼いた。お酒を飲みながら頬張る私を、彼が穏やかな瞳で見つめる。
酔ってしまいソファで転寝する私の耳元に、彼が言った。
「君といると幸せな気持ちになる」と。
私は眠ったふりをして、涙をこらえた。
テレビで雪を見た。真っ白な雪は、街を白く彩っていた。
「この辺りで降ることはないから――――」
すぐさま乗り物のチケットを手配し、一緒に雪を見るために出かける準備をした。
「少し遠いけど。雪を見に行こうよ」
寒い地方へ行くために、防寒具をあれもこれもと用意し、旅行バッグはぷっくりと膨れ上がってしまった。
「詰め込みすぎたかな……」
バッグのジッパーがなかなか閉まらなくて、苦笑いを浮かべてみせる。そのあと二人で、本当に必要だと思うものを厳選し、詰め直した。他愛もないそんな作業さえ、幸せに感じた。
雪の降る町は、とてもひんやりとしていた。風もなく晴れた日だったからか、太陽が雪に反射していて眩しかった。彼は子供のようにはしゃいで、私よりも雪を楽しんでいた。彼の笑顔は、何よりも幸せな気持ちを連れてきてくれる。
泊まった旅館の前に、二人で雪だるまを作った。飲み物のキャップで目を作り。割箸で口を作り。鼻になるものは見つけられなかったけれど、代わりに枝を見つけて、両手を付けた。
雪だるまは、両手の枝を上げて、喜んでいるように見えた。
雪だるまを作った私の手はかじかんで、指先が赤くなってしまった。温かな息を指先に吹きかけて、二人で顔を見合わせる。
彼が「ありがとう」と私に言った。胸のずっと奥が苦しくなって、息が詰まりそうになった。残された時間を思うと悲しみが押し寄せてきそうで必死に笑顔を作った。
彼は、「もう冬だね……」と寂しげに呟いた。私は僅かに頷くことしかできなかった。季節がこんなにも早く巡るということを、私は初めて知った。
彼と出会った春が、またやって来た。桜は満開だ。
去年花びらを挟んだ本を探しているのだけれど、書棚のどこに入れたのか思い出せない。彼も一緒に探してくれた。
「あったよ」
パラパラパラと、彼がページを捲る。半分を過ぎた先に、二枚の花びらが現れた。ピンク色をしていたはずの桜は、既にその色を失っていた。この花びらにも、同じように限られた時間が存在しているのだ。鮮やかさを欠いた二枚の花びらは、それでも形を崩すことなく、そこに存在していた。
「あと、どれくらい?」
私は震える声で彼に訊ねた。彼は戸惑い、なかなか言葉を口にしない。本に挟まる花びらを見つめたまま、顔を上げようとしない。
与えられた時間は、限られていた。スイッチを入れてから8760時間。それは、彼自身が設定したものだった。そして、試験的なプログラミングがなされている為に、それ以上の時間を有するシステムは内蔵されていない。
「こんな気持ちになるなんて、思いもしなかった……」
彼の声は震えていた。私の瞳から、滴がポタリと一つ床に落ちる。
「泣かないで」
彼が歪んだ笑みを作る。
「この一年、ずっと君のそばにいて、ずっと君と過ごしてきて。僕はとても幸せだった」
彼が私の目を見つめる。私の頬には涙のあとがあり、あの夏のように彼が指先で拭ってくれた。
「桜、綺麗だったね」
彼と一緒に見たピンク色の花が降り注ぐ様は、不思議と私の胸の中を明るいものに変えていった。
「うん……」
彼が少しだけ口角を上げて返事をした。
「サンドイッチもおにぎりも、欲張って食べたね」
「君の食べている姿を見ているだけで、元気が出てきた」
彼が一生懸命に目じりを垂らした。
「雨の音には種類があって、音楽みたいだった」
「うん……。君ははしゃぎすぎて、僕のズボンに飛沫を飛ばした」
彼は、悲し気に笑った。
「夏の太陽は暑すぎて、君が泣いた……」
「……うん。あなたとの時間が有限だったらいいのにって……、そう思うと涙が出ちゃった」
彼が再び私の涙を拭った。
「銀杏の道は、黄色い絨毯みたいだったよね」
「葉がサクサクと囁いた。僕たちを見て、幸せそうだねって、言ってるみたいだった」
彼が笑った。
「雪は、不思議なものだった。とても冷たくて、サラサラとしていて、フワフワもしていた。丸くして転がすと、どんどん大きくなっていった」
「手がかじかんだけど、二人ではぁって息をかけた時、離れたくないって思ったの……」
彼が、そっと私の手を握った。
「あと、どれくらい?」
私は、再び彼に訊ねた。
彼が内蔵されたタイマーを確認する。
「あと、三分……」
彼の声が再び揺れた。彼と過ごす最後の三分。
「抱きしめてもいい?」
涙の滲む私の瞳に向かって、彼が訊ねる。私はコクリと頷いた。
彼が私を引き寄せる。体温などない、合成皮膚。食事はできても、味まではよく解らない。人間が持つ感情は、生活の中から認識し、内部に取り込んでいた。
「お手軽な試作品だからなんて、安易な気持ちで始めなければよかった……」
最後の三分間、私は涙を流しながら彼にしがみついた。
「こんなにあなたを好きになるなんて……」
彼の腕の中で、カウントダウンが始まった。
最後の三分間が、永遠に続けばいいのに。
彼と過ごした日々が走馬灯のように私の心の中をめぐり、感情を膨れ上がらせていく。
国が試験的に造り上げたアンドロイドは、ランダムに選ばれた一部の家庭に配給された。
彼のスイッチを入れると、試験期間を選ぶことができた。特になんの感情も抱かず、アンドロイドとの生活なんて面倒だからと一番短い一年を選ぶと、彼が自らその期間を内部に入力した。変更や取り消しはきかない。
作動した彼が、初めに私へ言った言葉があった。
アンドロイドだけに限ったことではない。時間は、有限だと。後悔しないよう、日々に感謝をし、懸命に生きなければいけないのだと。それが人としての使命だと。
そんなこと、言われなくても解っていると思っていた……。
「僕を選んでくれて、ありがとう」
彼との別れを目の前にして、彼が言ったありがとうの意味を私は深く胸に刻む。
「愛してる」
初めてくれた愛の言葉に、嗚咽が漏れる。
「ありがとう」
彼が教えてくれた感謝の言葉を最後に、最後の三分間は静かに幕を下ろした――――。
まずは、何がしたいだろう。彼を前にして、私は考える。
「ゆっくりでいいよ」
彼は、優しくそう言った。けれど、そうそうゆっくり考えてばかりもいられないことを、彼も私も理解している。だからこれは、言葉の綾というものなのだろう。
私はまず、窓辺から見える晴れ渡った青空に目がいった。
「外。一緒に外へ行ってみない」
「オーケー」
「それから、お弁当。サンドイッチかおにぎりを持って」
「ピクニック?」
「そうっ、それ」
彼のために、サンドイッチとおにぎりの両方を作った。それが収まるバスケットとシートを持って私たちは外に出る。春風が心地よくて、桜の花が咲いていた。
「桜」
「うん、そうだね」
「少し、散り始めてる」
ひらひらと舞い落ちる花びらが、差し出した彼の掌に降りてきた。私が花びらを摘もうとしたら、彼はその手を閉じてしまった。
なぜ? そう問うように彼の顔を見ると、私の頭の上にあった花びらを摘まみ上げてニコリと微笑む。彼は、自分の掌にある花びらと、私の頭についていた花びらの二つを見せて笑みをつくる。彼が笑うと、私も笑顔になれた。
その花びらを、持ち歩いていた文庫本に挟んでおいた。
「両方なんて、欲張りだったかな」
拓けた草原に出て、広げたシートの上でサンドイッチとおにぎりを交互に頬張りながら彼が笑った。美味しいね、そう言うように私も彼に笑いかけた。
雨の中、傘を差した。湿気に少々不快な思いをしていると、彼がショップのウインドウ越しに指をさした。少し古くなってきた私の傘と長靴を見て、彼が買うように勧めた。
カラフルな水玉模様のついた透明な傘と、真っ赤な長靴を彼が選んでくれた。彼が選んだ傘に二人で入る。彼の体はガッチリとしていて大きいから、肩先が雨に濡れていた。
傘の上に降り注ぐ雨が、色々な音を奏でる。
パチパチパチ。パラパラパラ。タチタチタチ。
雨音に耳を澄ます彼と同じように、私も耳を澄ませた。新調した長靴が嬉しくて、水たまりの上にジャンプしたら、彼のズボンに飛沫が飛んでしまった。
「ごめんなさい……」
「いいよ。これもいい思い出だ」
彼は優しく笑った。
太陽が照りつける中、ドライブがてら海に来た。ギラギラとした熱が辺り一面の温度を上昇させ、私はたくさんの汗をかいた。彼は砂に足を取られ、時折ふらついていたけれど笑みは絶やさなかった。
雨の日の傘とは違う、少し小さな傘をさす。縁を控えめなレースが飾っている、紺色の布でできた日傘だ。
ガラにもなくクルクルと回すと、「よく似合ってる」と彼が穏やかな笑みをくれた。私は、照れくさくて目を伏せた。
太陽は眩しくて、暑くて、汗が目に染みた。零れた滴が頬を伝うと、彼が指先でそっと拭ってくれた。
感じるはずのない体温を感じたことが不思議で、けれどそれは当たり前のような気もしていた。
砂の地面はとても歩きにくくて、二人で足を取られ転びそうになって声を上げた。一緒にいられる今が大切で、幸せで、有限な時間が無限だったらいいのにと何度も思っていた。
彼と手を繋ぐと、心の奥の方を温かなものが包み込むように、じんわりとした嬉しさにまた滴が頬を伝う。彼の指先がもう一度触れて、私は懸命に笑みを作ってみせた。
彼とよく歩いていた道が、黄色に彩られていた。桜の時とは違う黄色い葉が次々と道路に舞い落ちて、その上を歩くとサクサクと音を立てた。
「何か言っているみたい」
耳を澄ますようにして立ち止まると、彼も立ち止まって目閉じた。
「僕たちに、話しかけているのかな」
降り注ぐ銀杏の葉は、積もるように地面を埋めていった。道路脇に落ちていたまあるい実を拾い、「焼くと美味しいんだよ」と言っていくつか持ち帰った。
その夜、銀杏を串に刺して焼いた。お酒を飲みながら頬張る私を、彼が穏やかな瞳で見つめる。
酔ってしまいソファで転寝する私の耳元に、彼が言った。
「君といると幸せな気持ちになる」と。
私は眠ったふりをして、涙をこらえた。
テレビで雪を見た。真っ白な雪は、街を白く彩っていた。
「この辺りで降ることはないから――――」
すぐさま乗り物のチケットを手配し、一緒に雪を見るために出かける準備をした。
「少し遠いけど。雪を見に行こうよ」
寒い地方へ行くために、防寒具をあれもこれもと用意し、旅行バッグはぷっくりと膨れ上がってしまった。
「詰め込みすぎたかな……」
バッグのジッパーがなかなか閉まらなくて、苦笑いを浮かべてみせる。そのあと二人で、本当に必要だと思うものを厳選し、詰め直した。他愛もないそんな作業さえ、幸せに感じた。
雪の降る町は、とてもひんやりとしていた。風もなく晴れた日だったからか、太陽が雪に反射していて眩しかった。彼は子供のようにはしゃいで、私よりも雪を楽しんでいた。彼の笑顔は、何よりも幸せな気持ちを連れてきてくれる。
泊まった旅館の前に、二人で雪だるまを作った。飲み物のキャップで目を作り。割箸で口を作り。鼻になるものは見つけられなかったけれど、代わりに枝を見つけて、両手を付けた。
雪だるまは、両手の枝を上げて、喜んでいるように見えた。
雪だるまを作った私の手はかじかんで、指先が赤くなってしまった。温かな息を指先に吹きかけて、二人で顔を見合わせる。
彼が「ありがとう」と私に言った。胸のずっと奥が苦しくなって、息が詰まりそうになった。残された時間を思うと悲しみが押し寄せてきそうで必死に笑顔を作った。
彼は、「もう冬だね……」と寂しげに呟いた。私は僅かに頷くことしかできなかった。季節がこんなにも早く巡るということを、私は初めて知った。
彼と出会った春が、またやって来た。桜は満開だ。
去年花びらを挟んだ本を探しているのだけれど、書棚のどこに入れたのか思い出せない。彼も一緒に探してくれた。
「あったよ」
パラパラパラと、彼がページを捲る。半分を過ぎた先に、二枚の花びらが現れた。ピンク色をしていたはずの桜は、既にその色を失っていた。この花びらにも、同じように限られた時間が存在しているのだ。鮮やかさを欠いた二枚の花びらは、それでも形を崩すことなく、そこに存在していた。
「あと、どれくらい?」
私は震える声で彼に訊ねた。彼は戸惑い、なかなか言葉を口にしない。本に挟まる花びらを見つめたまま、顔を上げようとしない。
与えられた時間は、限られていた。スイッチを入れてから8760時間。それは、彼自身が設定したものだった。そして、試験的なプログラミングがなされている為に、それ以上の時間を有するシステムは内蔵されていない。
「こんな気持ちになるなんて、思いもしなかった……」
彼の声は震えていた。私の瞳から、滴がポタリと一つ床に落ちる。
「泣かないで」
彼が歪んだ笑みを作る。
「この一年、ずっと君のそばにいて、ずっと君と過ごしてきて。僕はとても幸せだった」
彼が私の目を見つめる。私の頬には涙のあとがあり、あの夏のように彼が指先で拭ってくれた。
「桜、綺麗だったね」
彼と一緒に見たピンク色の花が降り注ぐ様は、不思議と私の胸の中を明るいものに変えていった。
「うん……」
彼が少しだけ口角を上げて返事をした。
「サンドイッチもおにぎりも、欲張って食べたね」
「君の食べている姿を見ているだけで、元気が出てきた」
彼が一生懸命に目じりを垂らした。
「雨の音には種類があって、音楽みたいだった」
「うん……。君ははしゃぎすぎて、僕のズボンに飛沫を飛ばした」
彼は、悲し気に笑った。
「夏の太陽は暑すぎて、君が泣いた……」
「……うん。あなたとの時間が有限だったらいいのにって……、そう思うと涙が出ちゃった」
彼が再び私の涙を拭った。
「銀杏の道は、黄色い絨毯みたいだったよね」
「葉がサクサクと囁いた。僕たちを見て、幸せそうだねって、言ってるみたいだった」
彼が笑った。
「雪は、不思議なものだった。とても冷たくて、サラサラとしていて、フワフワもしていた。丸くして転がすと、どんどん大きくなっていった」
「手がかじかんだけど、二人ではぁって息をかけた時、離れたくないって思ったの……」
彼が、そっと私の手を握った。
「あと、どれくらい?」
私は、再び彼に訊ねた。
彼が内蔵されたタイマーを確認する。
「あと、三分……」
彼の声が再び揺れた。彼と過ごす最後の三分。
「抱きしめてもいい?」
涙の滲む私の瞳に向かって、彼が訊ねる。私はコクリと頷いた。
彼が私を引き寄せる。体温などない、合成皮膚。食事はできても、味まではよく解らない。人間が持つ感情は、生活の中から認識し、内部に取り込んでいた。
「お手軽な試作品だからなんて、安易な気持ちで始めなければよかった……」
最後の三分間、私は涙を流しながら彼にしがみついた。
「こんなにあなたを好きになるなんて……」
彼の腕の中で、カウントダウンが始まった。
最後の三分間が、永遠に続けばいいのに。
彼と過ごした日々が走馬灯のように私の心の中をめぐり、感情を膨れ上がらせていく。
国が試験的に造り上げたアンドロイドは、ランダムに選ばれた一部の家庭に配給された。
彼のスイッチを入れると、試験期間を選ぶことができた。特になんの感情も抱かず、アンドロイドとの生活なんて面倒だからと一番短い一年を選ぶと、彼が自らその期間を内部に入力した。変更や取り消しはきかない。
作動した彼が、初めに私へ言った言葉があった。
アンドロイドだけに限ったことではない。時間は、有限だと。後悔しないよう、日々に感謝をし、懸命に生きなければいけないのだと。それが人としての使命だと。
そんなこと、言われなくても解っていると思っていた……。
「僕を選んでくれて、ありがとう」
彼との別れを目の前にして、彼が言ったありがとうの意味を私は深く胸に刻む。
「愛してる」
初めてくれた愛の言葉に、嗚咽が漏れる。
「ありがとう」
彼が教えてくれた感謝の言葉を最後に、最後の三分間は静かに幕を下ろした――――。